2008年2月8日金曜日
バルパライソ
バルパライソ。その名前を聞いても普通の人は反応しないかもしれない。でも私は反応してしまった。でも最初はなんのことだか思い出せなかった。それはとあるテレビを見ていてのこと。いろんな町をカメラマンがぶらぶら歩くというもの。あたかも自分が歩いているように撮影してあるやつ。その番組でバルパライソという町を訪れていた。バルパライソ。なんか聞いた記憶があるなぁ、としばらく見ていた。その町には猫が多いらしい。ガス屋のトラックはボンベを木の棒でリズミカルにたたいて、近所の人に来訪を告げるらしい。坂が多く、南太平洋を望む港町らしい。むむむ?南太平洋を望む港町??南半球ってことやん。おれは行ったことないぞ。なんでバルパライソを知ってるんやろ?と思ってみてたら、それはチリの南の方にある港で、遠洋漁業の船などが立ち寄る港らしい。で、なんで知ってるかというと、知り合いがバルパライソの港町で、行っては行けない地域の飲み屋に行って、店長(なぜか日本人)にタクシーを呼んでもらって、無事船まで戻ったという逸話を聞いていたからだった。その友人は救急を専門とする医者で、南極観測船の船医として南半球まで行ったのだった。その帰り(?)に寄ったのがバルパライソだった。きっと日本から一番遠い地域。自分では多分いかないと思う。でもバルパライソって名前が妙に懐かしく思えたひと時でした。
2008年1月29日火曜日
花背はやっぱりすごかった
週末とても寒くて、雪がかなりぱらついていた。それでも家の付近は全然雪は積もらなかった。しか〜し、北の山は真っ白に見えていた。これは行かなくてはいけない、と思い、車に乗った。行き先は当然花背!!スタッドレスに4輪駆動とくれば行かないわけにはいかない。毎年、雪が積もると花背に走りの練習に行くことにしている。普段から雪道に慣れておかないと、いざという時に困るしね。実際には単に楽しいからやけど。
行程は、宝ケ池から市原、鞍馬を通って、花背峠へ。さすがに車は少なかった。のぼりは滑っても怖くないからまあまあのスピードで上って行く。何カ所かにあるヘアピンを回る時は特に楽しい。最後のヘアピンのところで除雪車と遭遇した。こんな時にはいつもがんばってくれてはる。感謝感謝。そのすぐ上が峠。気温表示は−2度だった。でも反対から上ってきた方には−4度と出てる。なんで??そのまま峠をすぎて花背の集落に向かって下って行く。こっちの方が若干道幅が狭いので楽しい。でも無理すると滑って壁面にボディをこすりそうなので、かなり慎重に、でもある程度は大胆におりて行く。無事おりれたら集落のはずれにある駐車場へ。そこは一面の雪。おりて歩いてみると、膝の辺りまでずぼっとはまってしまう。うーん、これぐらいの雪は楽しいなぁ。さすがに一晩で1mとか2m積もって、それが毎日だと嫌になると思うけど、たまにだからとても楽しい。贅沢やなぁ。少なすぎたら物足りないし、多すぎると嫌になる。人間てずるいねぇ。
とりあえず雪と戯れてから、帰路につく。反対向きはのぼりが楽しい。広めなので、ちょっと速めにして、カーブでお尻を振ろうとしてみる。これが意外と振れない。やりすぎてぶつけるのも嫌なので、適当に遊んでかえってきた。峠の下りは狭いからかなり気を使う。対向車が見えて、ブレーキをかけると、ほぼ確実にアンチロックブレーキがくっくっくっくっと音を出す。早め早めの減速が重要〜。途中、ヘアピンのところで遊んでいる家族連れがいたが、あれは危険やなぁ。もし走ってる車が滑ってぶつかられたらどうするの?もうちょっと安全なところで遊べばいいのにねぇ。今晩も雪の予報。さすがに夜中に走りにいく元気ないなぁ。
おやすみなさい〜〜〜〜
行程は、宝ケ池から市原、鞍馬を通って、花背峠へ。さすがに車は少なかった。のぼりは滑っても怖くないからまあまあのスピードで上って行く。何カ所かにあるヘアピンを回る時は特に楽しい。最後のヘアピンのところで除雪車と遭遇した。こんな時にはいつもがんばってくれてはる。感謝感謝。そのすぐ上が峠。気温表示は−2度だった。でも反対から上ってきた方には−4度と出てる。なんで??そのまま峠をすぎて花背の集落に向かって下って行く。こっちの方が若干道幅が狭いので楽しい。でも無理すると滑って壁面にボディをこすりそうなので、かなり慎重に、でもある程度は大胆におりて行く。無事おりれたら集落のはずれにある駐車場へ。そこは一面の雪。おりて歩いてみると、膝の辺りまでずぼっとはまってしまう。うーん、これぐらいの雪は楽しいなぁ。さすがに一晩で1mとか2m積もって、それが毎日だと嫌になると思うけど、たまにだからとても楽しい。贅沢やなぁ。少なすぎたら物足りないし、多すぎると嫌になる。人間てずるいねぇ。
とりあえず雪と戯れてから、帰路につく。反対向きはのぼりが楽しい。広めなので、ちょっと速めにして、カーブでお尻を振ろうとしてみる。これが意外と振れない。やりすぎてぶつけるのも嫌なので、適当に遊んでかえってきた。峠の下りは狭いからかなり気を使う。対向車が見えて、ブレーキをかけると、ほぼ確実にアンチロックブレーキがくっくっくっくっと音を出す。早め早めの減速が重要〜。途中、ヘアピンのところで遊んでいる家族連れがいたが、あれは危険やなぁ。もし走ってる車が滑ってぶつかられたらどうするの?もうちょっと安全なところで遊べばいいのにねぇ。今晩も雪の予報。さすがに夜中に走りにいく元気ないなぁ。
おやすみなさい〜〜〜〜
2008年1月19日土曜日
もう13年も経つのですねぇ
そう、あの阪神淡路大震災からもう13年も経つのですねぇ。あの時私は大阪市の東住吉区に住んでいました。前の仕事場が大阪だったので。地震の起きたのは月曜日の朝でした。寝ていて、地震の時に目が覚めたのですが、いつもの地震に比べていやに長い揺れやなぁ、と思ったのでした。おぼろげな記憶では数十秒続いたように思います。ほんとかどうかはわかりませんが。とりあえずすごい地震だと思って、テレビのニュースを見ました。その時、近畿地方で大きな地震がありました、とアナウンサーの人が言っていました。その時表示されていた各地の震度が意外と小さくて、あれ?と思っていたら、神戸だけ情報が出ません、と言い出して、そのうち神戸で大変な被害がおきてるみたいです、といい始めました。あまりに被害が大きくて、地震計が情報を気象庁に送って来れなかったようでした。もしかしてめちゃ大変?と思った頃に電話がありました。芦屋の埋立地に建っているマンションに住んでいる父親からでした。「そっちは大丈夫か?」の第一声。「は?結構長く揺れたけど被害は全然ないで」と言ったら、芦屋では建物の中でシェイクされてるみたいやった、とのこと。とりあえず親父さん達の住んでいたマンションは新しかったので建物は大丈夫だけど、ガス臭いからということで車にいるという話でした。その時は電話ができたけど、ちょっとしたら全然電話はつながらなくなっていました。その頃にはテレビでは町中から煙が上がり、阪神高速神戸線が倒れている映像や、ビルがこけている映像などが映っていました。私自身はとりあえず家族の無事を知って、あぁ、そんなもんか?という感じで、呑気に洗濯をしました。その時に余震で粉石鹸の箱が墜落して、石けんがいっぱいこぼれました。私自信の被害はそれが最大でした....なんか情けないなぁ。
その後、仕事先の装置が壊れてないかをまず見に行きました。装置は大丈夫だったので、次は人の心配をし始めました(順序が逆やん)。どうやら仕事場の職員の人などが多数来てないし、連絡が取れない、ということでした。親の家の様子も知りたいし(どうやら電気・ガス・水道が全滅らしいということだったので)、同方向で気になる人(2名)の安否を確かめてこい、という指令を受けて、とりあえず水の入ったペットボトルを持ってバイクで芦屋に向かいました。出発したのは午後だったかな?
芦屋までは43号線を使おうと思って弁天町辺りから43号線を走りました。その辺りは余裕だったのですが、西宮辺りに行くと、通れないところが出始めました。芦屋の家は埋立地なので、臨港線という道でよく行っていました。その時も西宮の辺りから臨港線を通ったのですが、何カ所か通れずに遠回りした記憶があります。でもなんとか芦屋にたどり着いたのはもう薄暗くなってからでした。芦屋の家ではちょうど電気が回復したところでした。家には妹しかいなかったのですが、話を聞くとほんとにすごかったようでした。家の中は復旧していましたが、地震直後は本棚が倒れて扉のガラスが割れたり、食器が落ちて散乱していたそうです。とりあえず水を渡して、一休みしてからさらに神戸市に向かうことにしました。向かう先は阪神御影駅辺りとJRの六甲道駅辺りでした。さすがに被害がひどそうで、バイクは無理と判断して、家でママチャリを借りました。芦屋から阪神御影まではやはり43号線を走りました。ちょうど阪神高速が倒れいていたところで、往きは高速の裏側を見ながら西に向かいました(帰りは表側を見ながら芦屋の家に戻りました)。さすがに高速道路は大きかった。こんなんが倒れるぐらいやからかなりの地震やったんや、と実感しました。その後、魚崎の辺りでは大きな火災が起きていました。消防の人がいるけど、水がないので手の施しようがないということでした。ほかにも電線が垂れていて、危険だからと車が前に進めないで困っている状況も多数ありました。
なんとか御影の辺りにたどり着いたのは、夜の8時頃だったと思います。目的とする家は住所しか知らないので、とりあえずその辺りをぐるぐる回って、なんとか目的の家を発見したのですが、当然中はもぬけのからでした。でも家はつぶれてなかったので(それまでにも1階がつぶれた家をいっぱい見てきた)、探している人は死んではいないと思い、避難所に行ってみることにしました。まずは近所で空の一斗缶に木材を入れてたき火をして暖をとっている人たちに聞いてみました。すると近くに小学校があるから、そこかもしれないと言われ、とりあえず行ってみました。行くと、グランドに避難してきた人々の車がいっぱいありました。でも探している人は車は持ってないはず。そこらの人に話を聞いてみると、体育館にいっぱい人がいるとのことでした。そこで体育館に行ってみると....いっぱい人がいるのはわかるのですが、真っ暗で誰がいるのかなんて全然わからない状況でした。しばらく途方に暮れていると、同じように人を捜している人がやってきて、大声で「xxxさんいますかぁ???」と叫んで人を捜していました。その人が探している人はいなかったので、さっさと次に行ってしまいました。私もこれは声を出さないといけない、と思い、大声で探している人を呼んでみました。すると、返事があるではありませんか。とってもラッキーなことに一発で見つけることができました。そのご家族は好運なことに皆さん無事でした。その場ではとりあえず無事を確認したので、水のペットボトル(確か2リッター)を渡して、明日またくる、と言って次の人を捜しにいきました。その人の家の近くに言って、避難所の場所を聞いて行ってみました。中学校だったと思います。そこには名簿があって、その名簿を見たら、避難してきている人がわかるようになっていました。その名簿には名前がなく、仕方なく目的の人の住んでいたマンションに戻ってみました。すると駐車場で集まっているグループの人々がいたので、聞いてみるとその人は無事で、別の避難所(小学校だったかな?)に行っているのかも、ということでした。とりあえず無事ということだったので、その日は芦屋に戻ることにしました。その時すでに夜の10時を過ぎていたように思います。
そこから芦屋までが遠かった。疲れもあったし、意外と距離があったので。帰りも火災の現場を通ったり、つぶれた家屋もいっぱい見ました。道には車があふれかえっていました。町から避難しようとする人はわかるけど、神戸の中心に向かっている車に乗っている人たちは、何を考えているのか?と思いました。ビルが倒れたりしている、ということは、道はまともに使えない、ということです。当然渋滞して車は動けないはず。そんな時に車を使ってどうするねん????だいたい、なんで尼崎の辺りで大阪府警が交通制限をすぐにしないのか不思議で仕方なかった。おまけにそんな一大事なのに、大阪では普通に仕事をしているというのが信じられなかった。なんで3日ぐらい周辺の市をみんな休みにして、救助にかり出さないのか?と思いました。自衛隊はすぐに動かないし。映画とかだったらすぐにヘリコプターがいっぱい飛んできそうなものなのに、飛んでいるのは取材のヘリコプターだけ、という感じだったみたいです。偉そうに言っても、日本人のほとんどは危機管理が全くできてない、と実感しました。その時の首相が村山さんだったかな?ひどかったなぁ。後で友達(外科医、芦屋市在住)から聞いたところでは、近くに医者が足りないから、君近いし行ってくれないか?と言われたそうです。その友達はそんな暇あるか?と怒ったそうです。当然です。当事者は自分たちのことで手一杯でした。そういえば市役所とかの被害想定では、みんなが無事に登庁できるとして対策が立てられていたそうです。実際に来れたのは半分程度じゃなかったかなぁ?今でもそんなひどい想定をしているところがないとは限らないよなぁ。
芦屋の家に戻ったのは午前1時頃でした。さすがに疲労困憊でした。親に経過を伝えて、私は寝ました。それでも朝6時頃起きて、一度大阪に戻りました。次の日はちょっとした食料を持って、再び御影まで行きました。その時は最後までバイクで行ったかな?東京に就職していた友達は、なんで神戸に帰って人助けをしないんだ?と言われて、一週間ほど休みをもらって戻ってきました。友達は西宮から神戸まで歩いたそうです。電車はすべて止まっていましたから。地震の2日後に親父に頼まれて、大阪の堺筋の辺りで原付を買って、芦屋まで乗って行きました。遠かったなぁ。私の知っている人達は無事だったようですが、かなりの人が亡くなっていました。その後も大きな地震が新潟や能登などでおきましたが、人口も密集具合では神戸の地震が最悪だったと思います。それだけ人的な被害も大きかったのだと思います。
そんなことがあってから、もう13年が経ちました。長いような短いような13年でした。その間にいろんなことがありました。東京にいた友達も別の件で今はもういません。うちの親は未だに同じマンションに住んでいます。その辺りは地震の時の傷跡はほとんどなくなっています。その後、高校からあまり遠くなかった新長田の辺りを訪れると、家がほとんどなく、空き地ばかりでした。建っているのは新築された家々だけでした。数年後でもかなり空き地がいっぱいあったのを覚えています。さすがに最近は徐々に地震の傷跡は減りつつありますが、それでもまだ長田の辺りはもとに戻ったという感じにはなっていないと思います。それでも神戸はがんばっていますよね。がんばれ神戸
二日遅れですが、黙祷。
その後、仕事先の装置が壊れてないかをまず見に行きました。装置は大丈夫だったので、次は人の心配をし始めました(順序が逆やん)。どうやら仕事場の職員の人などが多数来てないし、連絡が取れない、ということでした。親の家の様子も知りたいし(どうやら電気・ガス・水道が全滅らしいということだったので)、同方向で気になる人(2名)の安否を確かめてこい、という指令を受けて、とりあえず水の入ったペットボトルを持ってバイクで芦屋に向かいました。出発したのは午後だったかな?
芦屋までは43号線を使おうと思って弁天町辺りから43号線を走りました。その辺りは余裕だったのですが、西宮辺りに行くと、通れないところが出始めました。芦屋の家は埋立地なので、臨港線という道でよく行っていました。その時も西宮の辺りから臨港線を通ったのですが、何カ所か通れずに遠回りした記憶があります。でもなんとか芦屋にたどり着いたのはもう薄暗くなってからでした。芦屋の家ではちょうど電気が回復したところでした。家には妹しかいなかったのですが、話を聞くとほんとにすごかったようでした。家の中は復旧していましたが、地震直後は本棚が倒れて扉のガラスが割れたり、食器が落ちて散乱していたそうです。とりあえず水を渡して、一休みしてからさらに神戸市に向かうことにしました。向かう先は阪神御影駅辺りとJRの六甲道駅辺りでした。さすがに被害がひどそうで、バイクは無理と判断して、家でママチャリを借りました。芦屋から阪神御影まではやはり43号線を走りました。ちょうど阪神高速が倒れいていたところで、往きは高速の裏側を見ながら西に向かいました(帰りは表側を見ながら芦屋の家に戻りました)。さすがに高速道路は大きかった。こんなんが倒れるぐらいやからかなりの地震やったんや、と実感しました。その後、魚崎の辺りでは大きな火災が起きていました。消防の人がいるけど、水がないので手の施しようがないということでした。ほかにも電線が垂れていて、危険だからと車が前に進めないで困っている状況も多数ありました。
なんとか御影の辺りにたどり着いたのは、夜の8時頃だったと思います。目的とする家は住所しか知らないので、とりあえずその辺りをぐるぐる回って、なんとか目的の家を発見したのですが、当然中はもぬけのからでした。でも家はつぶれてなかったので(それまでにも1階がつぶれた家をいっぱい見てきた)、探している人は死んではいないと思い、避難所に行ってみることにしました。まずは近所で空の一斗缶に木材を入れてたき火をして暖をとっている人たちに聞いてみました。すると近くに小学校があるから、そこかもしれないと言われ、とりあえず行ってみました。行くと、グランドに避難してきた人々の車がいっぱいありました。でも探している人は車は持ってないはず。そこらの人に話を聞いてみると、体育館にいっぱい人がいるとのことでした。そこで体育館に行ってみると....いっぱい人がいるのはわかるのですが、真っ暗で誰がいるのかなんて全然わからない状況でした。しばらく途方に暮れていると、同じように人を捜している人がやってきて、大声で「xxxさんいますかぁ???」と叫んで人を捜していました。その人が探している人はいなかったので、さっさと次に行ってしまいました。私もこれは声を出さないといけない、と思い、大声で探している人を呼んでみました。すると、返事があるではありませんか。とってもラッキーなことに一発で見つけることができました。そのご家族は好運なことに皆さん無事でした。その場ではとりあえず無事を確認したので、水のペットボトル(確か2リッター)を渡して、明日またくる、と言って次の人を捜しにいきました。その人の家の近くに言って、避難所の場所を聞いて行ってみました。中学校だったと思います。そこには名簿があって、その名簿を見たら、避難してきている人がわかるようになっていました。その名簿には名前がなく、仕方なく目的の人の住んでいたマンションに戻ってみました。すると駐車場で集まっているグループの人々がいたので、聞いてみるとその人は無事で、別の避難所(小学校だったかな?)に行っているのかも、ということでした。とりあえず無事ということだったので、その日は芦屋に戻ることにしました。その時すでに夜の10時を過ぎていたように思います。
そこから芦屋までが遠かった。疲れもあったし、意外と距離があったので。帰りも火災の現場を通ったり、つぶれた家屋もいっぱい見ました。道には車があふれかえっていました。町から避難しようとする人はわかるけど、神戸の中心に向かっている車に乗っている人たちは、何を考えているのか?と思いました。ビルが倒れたりしている、ということは、道はまともに使えない、ということです。当然渋滞して車は動けないはず。そんな時に車を使ってどうするねん????だいたい、なんで尼崎の辺りで大阪府警が交通制限をすぐにしないのか不思議で仕方なかった。おまけにそんな一大事なのに、大阪では普通に仕事をしているというのが信じられなかった。なんで3日ぐらい周辺の市をみんな休みにして、救助にかり出さないのか?と思いました。自衛隊はすぐに動かないし。映画とかだったらすぐにヘリコプターがいっぱい飛んできそうなものなのに、飛んでいるのは取材のヘリコプターだけ、という感じだったみたいです。偉そうに言っても、日本人のほとんどは危機管理が全くできてない、と実感しました。その時の首相が村山さんだったかな?ひどかったなぁ。後で友達(外科医、芦屋市在住)から聞いたところでは、近くに医者が足りないから、君近いし行ってくれないか?と言われたそうです。その友達はそんな暇あるか?と怒ったそうです。当然です。当事者は自分たちのことで手一杯でした。そういえば市役所とかの被害想定では、みんなが無事に登庁できるとして対策が立てられていたそうです。実際に来れたのは半分程度じゃなかったかなぁ?今でもそんなひどい想定をしているところがないとは限らないよなぁ。
芦屋の家に戻ったのは午前1時頃でした。さすがに疲労困憊でした。親に経過を伝えて、私は寝ました。それでも朝6時頃起きて、一度大阪に戻りました。次の日はちょっとした食料を持って、再び御影まで行きました。その時は最後までバイクで行ったかな?東京に就職していた友達は、なんで神戸に帰って人助けをしないんだ?と言われて、一週間ほど休みをもらって戻ってきました。友達は西宮から神戸まで歩いたそうです。電車はすべて止まっていましたから。地震の2日後に親父に頼まれて、大阪の堺筋の辺りで原付を買って、芦屋まで乗って行きました。遠かったなぁ。私の知っている人達は無事だったようですが、かなりの人が亡くなっていました。その後も大きな地震が新潟や能登などでおきましたが、人口も密集具合では神戸の地震が最悪だったと思います。それだけ人的な被害も大きかったのだと思います。
そんなことがあってから、もう13年が経ちました。長いような短いような13年でした。その間にいろんなことがありました。東京にいた友達も別の件で今はもういません。うちの親は未だに同じマンションに住んでいます。その辺りは地震の時の傷跡はほとんどなくなっています。その後、高校からあまり遠くなかった新長田の辺りを訪れると、家がほとんどなく、空き地ばかりでした。建っているのは新築された家々だけでした。数年後でもかなり空き地がいっぱいあったのを覚えています。さすがに最近は徐々に地震の傷跡は減りつつありますが、それでもまだ長田の辺りはもとに戻ったという感じにはなっていないと思います。それでも神戸はがんばっていますよね。がんばれ神戸
二日遅れですが、黙祷。
2008年1月7日月曜日
遅ればせながら明けましておめでとうございます
遅くなってしまいましたが,明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。いやぁ,あっと言う間に一週間が経っていました。あまり正月らしくなかったような気もするなぁ。一応親の家には行ったけど,結構自分の家にいたし,仕事場にも顔を出していたし。ま,それでも一応年が変わったので,おめでたいですね。今年の目標は何にしよう。バイクにいっぱい乗る,かな?皆さんの目標はなんですか?
2007年12月31日月曜日
今年も終わりとなりました
気がついたら大晦日だった。もう今年も終わりですねぇ。どうやら今日からとっても寒いらしい。除夜の鐘をつく人は大変かもしれない。いっぱい雪が降ると楽しそうでいいなぁ。でもスキーにはすぐには行けないけど。久々にスキーしたいなぁ。でも年末に出てきた腰痛がまだ続いている。冷やすとあかんのかなぁ?腰に貼るタイプの使い捨てカイロをつけたりしてるけど,いまいち。困ったなぁ。針がいいだの,湿布がいいだのみんな好きなことを言っています。年内の目標は年賀状を書くこと。うーん,去年もらった人ぐらいには出そうかなぁ?大抵は送ってくれた人に出すって感じです。メールで済ましたいなぁ。
さて,一眠りしてからまた作業しなければ。それではみなさんよいお年を。来年がみなさんにとってよい年になりますように。アブダカダブラ~(ちょっと違うか??)
さて,一眠りしてからまた作業しなければ。それではみなさんよいお年を。来年がみなさんにとってよい年になりますように。アブダカダブラ~(ちょっと違うか??)
2007年12月18日火曜日
甲子園ボールと腰痛
久々の書き込み。ほぼ一月ぶりやん。
夜中にふとテレビを見ると,甲子園ボールをやっていた。私が学生の頃は母校が強かったので,甲子園まで何度か行ったが,最近はどうもいまいちなのでご無沙汰だった。今年は久々に関学と日大だった。往年の黄金カード。日大は最近法政に押されていたが,今年は復活して甲子園まできた。そういえば今年と来年は長居のグランドでやるらしい。その試合が結構面白かった。何が面白いって,逆転して,また逆転,の連続。ともにオフェンスがよかったのかもしれないが。で,残り数分で日大が勝ち越したが,ちょっと時間が長く残ってしまった。気づいたら残り1分程度で関学はゴール直前だった。中央突破を図って止められたが,まだ十数秒残っていた。そこで関学はタイムアウトで作戦会議。しかし再び中央突破を止められる。最後に6秒残った。ここでタイムアウトの応酬。関学が一度タイムアウトを取ってフォーメーションを変えると,日大もすかさずタイムアウト。関学はその機にフォーメーションを戻していた。そしたら日大が最後のタイムアウトで再び作戦会議。プレーが始まると,関学はライン同士で低めに当たりあった上を,ランニングバックにダイブさせてタッチダウン。残り3.5秒ぐらいで逆転した。日大は最後のキックオフのリターンにかけたが,万事休す。久々に面白い試合だった。よかったよかった。
話は変わって,どうもこのところ腰に違和感がある。うーん,これは久々の腰痛か?腰をまげてしばらく同じ姿勢を続けていると,腰が固まってしまう感じ。やばいかもしれない。特に寒いと調子が悪いみたい。仕方ないので使い捨てのカイロを買ってみた。小さいやつにしてみたのだが,小さすぎたかもしれない。でもほんのり暖かいような気もする。あとは腹筋を鍛えないと仕方ないか。調子が戻ったら遅ればせながら入隊してビリー隊長に鍛えてもらおう。
夜中にふとテレビを見ると,甲子園ボールをやっていた。私が学生の頃は母校が強かったので,甲子園まで何度か行ったが,最近はどうもいまいちなのでご無沙汰だった。今年は久々に関学と日大だった。往年の黄金カード。日大は最近法政に押されていたが,今年は復活して甲子園まできた。そういえば今年と来年は長居のグランドでやるらしい。その試合が結構面白かった。何が面白いって,逆転して,また逆転,の連続。ともにオフェンスがよかったのかもしれないが。で,残り数分で日大が勝ち越したが,ちょっと時間が長く残ってしまった。気づいたら残り1分程度で関学はゴール直前だった。中央突破を図って止められたが,まだ十数秒残っていた。そこで関学はタイムアウトで作戦会議。しかし再び中央突破を止められる。最後に6秒残った。ここでタイムアウトの応酬。関学が一度タイムアウトを取ってフォーメーションを変えると,日大もすかさずタイムアウト。関学はその機にフォーメーションを戻していた。そしたら日大が最後のタイムアウトで再び作戦会議。プレーが始まると,関学はライン同士で低めに当たりあった上を,ランニングバックにダイブさせてタッチダウン。残り3.5秒ぐらいで逆転した。日大は最後のキックオフのリターンにかけたが,万事休す。久々に面白い試合だった。よかったよかった。
話は変わって,どうもこのところ腰に違和感がある。うーん,これは久々の腰痛か?腰をまげてしばらく同じ姿勢を続けていると,腰が固まってしまう感じ。やばいかもしれない。特に寒いと調子が悪いみたい。仕方ないので使い捨てのカイロを買ってみた。小さいやつにしてみたのだが,小さすぎたかもしれない。でもほんのり暖かいような気もする。あとは腹筋を鍛えないと仕方ないか。調子が戻ったら遅ればせながら入隊してビリー隊長に鍛えてもらおう。
2007年11月19日月曜日
恐るべしオルタネータノイズ
週末,寒いなぁ,と思って車のタイヤをスタッドレスに換えた。作業は自分でやった。ジャッキアップして,インパクトドライバーでガガガガっとやった。大した作業じゃないけど,タイヤが結構重いのでかなり疲れた。バイクも寒いから乗るのはやめて,無線機をいじってみた。懸案のノイズ落とし。仕事場からオシロスコープを借りて気合入れていたのに,3本足のコンセントを二本足にする変換プラグを忘れてトーンダウン....それでも元気だして,無線機への配線をシールドのましな線に変えてみた。線のコネクタの近くで切って,別の線につなぎかえ。4本+シールドの5箇所をつながないといけなかった。でもそれは暖かいストーブの前で作業できるから楽チン。念のため,その線をグランドようの網線で囲ってもみた。結果はというと,ノイズによる症状はましになったが,それでもノイズがのる。うーん,困ったなぁ。仕方ないから普段は無線機のバッテリーで運用して,どうしてもの時にはノイズを我慢することにしようかなぁ???
2007年11月15日木曜日
Charles M. Shultz
ふとしたことから,Snoopyの日本の公式サイト(?)に足を踏み入れた。懐かしい絵がいっぱいあった。私がSnoopyと最初に触れたのはPeanutsコミックの日本語版だった。いつのことだろう?小学生になっていたと思う。英語のコミックで,吹き出しの中は日本語にしてあった。でも欄外に英語も書いてあった。その中でSnoopyはかわいいと言うよりはちょっとひねくれた感じの面白い奴だった。空想癖があり,第一次世界大戦のパイロットに扮していたりしたなぁ。いつのまにかJoe Coolになっていたりもしたらしいが,その辺りは全然知らなかったりする。でもどこかほのぼのしていて,でもちょっと悲哀とかあって,憎めない漫画だった。Snoopyのグッズだけ見ていても,あのSnoopyのひょうきんさは伝わらないんじゃないだろうか?もしかしたら私が最初に買ったコミックはSnoopy,じゃないや,Peanutsだったのかもしれない。作者のシュルツという人は50年間ほぼ毎日休まずに4コマ漫画を書いていたらしい。すごいなぁ。そんだけよくネタが続いたと思う。その人が癌を理由に掲載をやめると発表して,最後の作品が新聞に載ったのが2000年らしい。ひとつ時代が終わってしまっていたのですね。
2007年11月12日月曜日
経験値
つい最近,いろんなコミュに参加してみて,いろいろコメントしてみた。そこでのお話。とあるコミュのトピでバイクでのいろんなトラブルについて教えてくれというものがあった。そこで,私のパンクの経験について書いてみた。私は今まで車で2回(確か2回だったと思う),バイクで3回パンクを経験した。バイクに関しては,一度は鳴門大橋を走っている時,2度目は紀伊半島の山の中で人家がなくなってから10kmほど進んだところ,3度目は名阪国道だった。紀伊半島でのパンク以外は原因はよくわからないが,きっと釘とかを拾ったんだと思っている。紀伊半島の時には道に角張った礫がいっぱい落ちていた。あまりに多くて全然避けて走れないぐらいだった。その中の一個を踏んだ時にタイヤを突き破ったみたいで,結構裂けていた。車ならスペアタイヤを持っているからいいけど,バイクだとそうはいかない。その時にどう対処したか,ってのはとっても貴重な経験だと思っている。紀伊半島のケースでは,ホイールが痛むのを覚悟で10kmを1時間以上かけて走って電話のあるところまで戻った。そこで電話を借りたけど,GWでバイク屋はバイクを取りに来てくれなかった。仕方なく,さらに8km先のガソリンスタンドまで行くことにした。私のバイクのタイヤは多くの車と同じチューブレス。だから普通の車用のキットで修理できるはず,という作戦だった。その時には途中でデュアルパーパスというカテゴリー(アフリカツインだったかな?)のバイク(オフロードにもいけそうなオンロードのバイク??パリダカとかに出てるようなやつ)に乗ったおっちゃんにバイク用のパンク修理キットをもらって応急修理を施した。裂け目が大きくて完全にはパンクを修理できなかったが,それでもタイヤが丸くなってそれなりに走れるところまでいけたので,そこからは40km/h程度の速度ですぐにガソリンスタンドに到着。そこで車用のキットで修理してもらって,無事旅を続けたのだった。でも,秋になって気温が下がると再び空気が漏れ出したので,最終的にはタイヤを交換した,ってのがことの顛末。
で,これをもうちょっと省略して書いたのだが,それに対するコメントがむかつく。20と19のやつらが(どれぐらいバイクに乗ったことがあるんや???)普通に乗ってたらパンクなんてしないんじゃない?ときた。何を偉そうに!!お前らみたいな未熟者のために書き込んでやってるのに,その有り難味がわからんのか?と思った。最初は文句を書き込もうと思ったが,いちいちそんなことで時間を無駄にしたくないと思って書き込むのをやめた。むしろ私の貴重な経験をあんな奴らに伝授するのがあほらしくなって,そのコミュから抜けた。当然今までの書き込みを全部消してから。まったくむかつく。そいつらには私のところをみれないようにしておいた。
ちなみに私の免許の経験値は,車が免許とって24年ぐらいで,走行距離が15万キロを越えているはず。バイクも免許取ってから17年ぐらいで,距離は5~6万キロぐらいのはず。もうちょっといってるかな????いずれにせよ,あわせて20万キロ以上は走ってる。その中で,事故は車で10回程度,バイクで4~5回程度。事故と言っても車のバンパーをこつんと当てた,ってのも入ってるが。事故らしい事故(例えば修理が必要だったような事故)だけだと,車で2回,バイクで3回かな?そのせいで車1台とバイク1台はお釈迦になった。他にはガス欠もあったし,エアコン用のベルトが切れたこともあった。その中でも一番困ったのがバイクの紀伊半島でのパンク。何せ山の中で人里から10kmほど離れてるってのが一番困った。街中なら交通手段もあるし,バイク屋や車屋も多いからなんとでもなる。でも山の中だとどうしようもない。当然携帯はつながらなかったし。そんな時にどうやって乗り切ったかってのが経験値としてとても重要なのになぁ。まったくバカにつける薬はないなぁ。ちなみに鳴門大橋の時(高速の上)の時は,パンクに気づいたのが高速の上。仕方なくゆっくり走ってすぐ近くのSAに入り,そこでバイク屋4件ぐらいに電話して,1件だけ近くに来てくれるというから,そこで修理してもらって無事家まで帰れた。この時もホイールが痛む危険性は大いにあった。でも数万円程度なので,そうなったらあきらめないと仕方ない。
大体,事故とかトラブルってのは避けて通れない,ってのがわかってないよなぁ。事故にしてもパンクにしても,遭遇するまでは自分がそんな事態に陥るなんて思わない。でもこれが結構ある時にはある。だからこそ,そういう時の対処の仕方とかを学ばないといけないのにねぇ。事故に遭わないなんてありえない。事故が嫌なら運転はしてはいけない。事故に遭わないのはたまたま運がよかっただけ。むしろ,ちょっとした事故を経験しておけば,事故がどんなものかがわかって,意外と大きな事故には遭わないと思う。下手な奴に限って自分は事故らないと思ってそうな感じがする。ほんとバカにつける薬はないなぁ。
そうそう,私は今のところまだ人身事故は起こしてないし,起こされてもいない。全て物損で済んでいる。これは自慢ではない。たまたま運がよかっただけ。世の中に絶対なんであり得ない。
で,これをもうちょっと省略して書いたのだが,それに対するコメントがむかつく。20と19のやつらが(どれぐらいバイクに乗ったことがあるんや???)普通に乗ってたらパンクなんてしないんじゃない?ときた。何を偉そうに!!お前らみたいな未熟者のために書き込んでやってるのに,その有り難味がわからんのか?と思った。最初は文句を書き込もうと思ったが,いちいちそんなことで時間を無駄にしたくないと思って書き込むのをやめた。むしろ私の貴重な経験をあんな奴らに伝授するのがあほらしくなって,そのコミュから抜けた。当然今までの書き込みを全部消してから。まったくむかつく。そいつらには私のところをみれないようにしておいた。
ちなみに私の免許の経験値は,車が免許とって24年ぐらいで,走行距離が15万キロを越えているはず。バイクも免許取ってから17年ぐらいで,距離は5~6万キロぐらいのはず。もうちょっといってるかな????いずれにせよ,あわせて20万キロ以上は走ってる。その中で,事故は車で10回程度,バイクで4~5回程度。事故と言っても車のバンパーをこつんと当てた,ってのも入ってるが。事故らしい事故(例えば修理が必要だったような事故)だけだと,車で2回,バイクで3回かな?そのせいで車1台とバイク1台はお釈迦になった。他にはガス欠もあったし,エアコン用のベルトが切れたこともあった。その中でも一番困ったのがバイクの紀伊半島でのパンク。何せ山の中で人里から10kmほど離れてるってのが一番困った。街中なら交通手段もあるし,バイク屋や車屋も多いからなんとでもなる。でも山の中だとどうしようもない。当然携帯はつながらなかったし。そんな時にどうやって乗り切ったかってのが経験値としてとても重要なのになぁ。まったくバカにつける薬はないなぁ。ちなみに鳴門大橋の時(高速の上)の時は,パンクに気づいたのが高速の上。仕方なくゆっくり走ってすぐ近くのSAに入り,そこでバイク屋4件ぐらいに電話して,1件だけ近くに来てくれるというから,そこで修理してもらって無事家まで帰れた。この時もホイールが痛む危険性は大いにあった。でも数万円程度なので,そうなったらあきらめないと仕方ない。
大体,事故とかトラブルってのは避けて通れない,ってのがわかってないよなぁ。事故にしてもパンクにしても,遭遇するまでは自分がそんな事態に陥るなんて思わない。でもこれが結構ある時にはある。だからこそ,そういう時の対処の仕方とかを学ばないといけないのにねぇ。事故に遭わないなんてありえない。事故が嫌なら運転はしてはいけない。事故に遭わないのはたまたま運がよかっただけ。むしろ,ちょっとした事故を経験しておけば,事故がどんなものかがわかって,意外と大きな事故には遭わないと思う。下手な奴に限って自分は事故らないと思ってそうな感じがする。ほんとバカにつける薬はないなぁ。
そうそう,私は今のところまだ人身事故は起こしてないし,起こされてもいない。全て物損で済んでいる。これは自慢ではない。たまたま運がよかっただけ。世の中に絶対なんであり得ない。
2007年11月2日金曜日
純栗
ちょっと久々の更新。ちょいと仕事関係でばたばたしてて,書き込みをする元気がなかった。今週は月曜から木曜まで出張だったし。で,昨日(木曜)ガソリンを入れた。車に。そしたらガソリン代の高いこと高いこと。ニュースで高くなると言っていたが,そこまで高くなるのぉ??って感じだった。いきなり10円近くあがったのではないだろうか?うーん,なんでそんなに高くなるの?なんでアメリカの市場ってそんなに高値になるの?アメリカのばかやろ~~~
あっ,11月になった。ということは栗羊羹がおいしい季節だ。私の好きなのは丹波篠山の栗屋西垣さんの純栗。普通,栗羊羹というと,アンコの中に栗の塊が入ってるやつを想像するけど,純栗は違う。小豆の代わりに栗を使ってるから,黄金色の羊羹。栗の塊は入ってない。これがとても上品なお味。さすがに一気に一本食べるなんてのはできないが。栗屋西垣さんは篠山の春日神社の南側に本店がある。最近篠山の北の端(篠山市の北の端じゃない。市街地のはずれ)に新しい店を出してるけど,個人的には昔ながらのお店のたたずまいが好き。篠山までは亀岡経由で2時間かからないから,買いに行かないといけない。ちなみに純栗は一本で1900円もする。今年は燃料代が上がってるから,2000円になってるかもしれないなぁ。
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追記:http://www.kuriyanishigaki.com/に栗屋西垣さんのweb siteがあった。やはり純栗羊羹は一本2000円になっていた...でもおいしいのよねぇ。あー,食べたくなったぞ。
あっ,11月になった。ということは栗羊羹がおいしい季節だ。私の好きなのは丹波篠山の栗屋西垣さんの純栗。普通,栗羊羹というと,アンコの中に栗の塊が入ってるやつを想像するけど,純栗は違う。小豆の代わりに栗を使ってるから,黄金色の羊羹。栗の塊は入ってない。これがとても上品なお味。さすがに一気に一本食べるなんてのはできないが。栗屋西垣さんは篠山の春日神社の南側に本店がある。最近篠山の北の端(篠山市の北の端じゃない。市街地のはずれ)に新しい店を出してるけど,個人的には昔ながらのお店のたたずまいが好き。篠山までは亀岡経由で2時間かからないから,買いに行かないといけない。ちなみに純栗は一本で1900円もする。今年は燃料代が上がってるから,2000円になってるかもしれないなぁ。
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追記:http://www.kuriyanishigaki.com/に栗屋西垣さんのweb siteがあった。やはり純栗羊羹は一本2000円になっていた...でもおいしいのよねぇ。あー,食べたくなったぞ。
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