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2013年4月17日水曜日

シーズン開幕ツーリングで野尻さんに会う

 一個前の投稿で,バイクシーズンの開幕ツーリングの事を書いたのだが, 実はその時に和歌山県新宮市熊野川町畝畑にお住まいの野尻皇紀さんにお会いした。

 野尻さんは畝畑でお生まれになり,一度新宮に出られたが,お父さんの跡を継ぐ形で畝畑に戻られた。 畝畑での生活の様子が NHK で放映され,著名な国会議員から手紙をいただいたほどの有名人である。 以前,2010年9月に 野尻さんのお宅に伺い,しばらくお話をする機会があった。 その後も行こう行こうと思いながら,遠さを理由にお伺いしていなかった。 2011年9月の台風12号の時には,さすがに心配になって畝畑に行ってみようとした。 しかし,和歌山県道229号線(和 r229)が崖崩れのために通行止だったので,仕方なく引き返していた。 その時もお元気だという話は聞けたが直接お会いできずじまいだった。 2012年シーズンはなんやかやあって足が遠のいてしまっていた。

 そして今回,バイクシーズンの開幕ツーリングとして,和 r229 を走り,野尻さんにお会いしようと思ってツーリングに出かけた。 おうちに伺うので,手土産が欲しいところなのだが,実はそのお土産は2012年の秋に買ってあった。 しかし,寒さにかまけて畝畑まで行っていなかった。 お土産自体は真空パックに入っているので,1年ぐらいは余裕で大丈夫なものだった。 そこで,秋に買ったお土産を持って,畝畑の野尻さんのお宅を訪ねてみた。

2013年1月27日日曜日

予想外の結末だった

 銀河ヒッチハイクガイドをご存知だろうか? 1970年代のイギリス生まれのお馬鹿な SF である。 元はラジオドラマだったそうだが,その後小説,映画などにもなっている。 作者はダグラス・アダムスという人なのだが,2001年に心臓発作で亡くなったらしい。

 私が最初に銀河ヒッチハイクガイドに出会ったのは高校生の頃だったろうか…? 本屋で文庫本の銀河ヒッチハイクガイド(新潮社,風見潤訳,昭和57年12月25日発行)を見つけて買ったのが最初。 その後,2作目の宇宙の果てのレストラン(新潮社,風見潤訳,昭和58年4月25日発行), 宇宙クリケット大戦争(新潮社,風見潤訳,昭和60年3月25日発行)と買った。 中身についてはあまり詳細は書かないが,とにかくお馬鹿な小説だった。 イギリスではその後も小説が発表され,最終的に長編5編,短編1編のシリーズとなった。 作者のダグラス・アダムスが存命ならまだ続きがあったかもしれないが, 2001年にダグラス・アダムスが亡くなってしまったので,そこで終わりになってしまっていた。

2013年1月25日金曜日

イエローサブマリン音頭

 ネットを見ていると金沢明子のインタビュー記事が載っていた。 金沢明子と言えば演歌歌手だが,私の中ではイエローサブマリン音頭が強烈な印象として残っている。 発売は1982年11月1日だったらしい。私は FM ラジオで聞いた印象が残っている。 当時,イエローサブマリン音頭はあまりにインパクトが強く,原曲とはまったく違う新しい曲になっているという点で, とてもいい曲だと感じた。

 しかし,金沢明子はインタビューの中で,イエローサブマリン音頭はビートルズファンからかなり顰蹙をかったと述べている。 個人的には,あの歌を聞いて受け入れられないのはホントの意味でのビートルズファンではないと思った。 そもそも Yellow Submarine 自体がおどけて,ふざけた,遊び心にあふれた曲である。 アニメのために作られた曲で,まじめにどうこういう曲じゃないと思う。 楽しんでなんぼ,という曲である。 その意味でイエローサブマリン音頭のアレンジはとてもいいアレンジだと思う。 遊び心満載のアレンジなのだから。

 Wiki によると歌詞の変更を認めなくなっていた作曲者のポール・マッカトニーでさえ,歌詞の変更を認めたという話。 それだけいいアレンジだったということになると思う。 それをビートルズの曲をビートルズとは違うアレンジをしたからおかしい,というのは間違っている。 それって,作り手の意図や意志を無視して聴き手が勝手に自分の中で作り上げたその作り手や作品のイメージを 他人に,ヘタすると作り手に対しても,押し付けているだけ,だと思う。 エレクトリック・ギターを使った際のボブ・ディランに対する非難や,尾崎豊が葛藤していたのが, まさにこの身勝手なファンの思考だと思う。

 また,よくカバー曲があるが,原曲と似たアレンジだとどうしても二番煎じにしか聞こえず, よっぽどでないとカバー曲の方がいいということはない。 しかし,イエローサブマリン音頭はオリジナリティーあふれるとてもいい曲だと思う。 しんみりと聴かせる曲をふざけたアレンジしたのなら「それはどうやろ?」と思うが, 遊び心満載の曲を遊び心いっぱいでアレンジした曲を認められない,というのは,考え方を変えた方がいいと思う。

と,思ったインタビュー記事でした。

2012年4月12日木曜日

なんでたばこふかしてる映像を使うかなぁ?

この間,ドキュメンタリー風の番組を見た。内容は,歴史に残る名曲を紹介するもので,私が見たのは Hey Jude だった。Hey Jude はポール・マッカトニーが,ジョン・レノンの子供のジュリアンに送ったらしい曲。当時,ジョン・レノンがジュリアンのお母さんと離婚して傷心だったジュリアンを元気づけるだめに作ったらしい。ただ,発売された頃は Jude がジュリアンではなくて,キリストと誤解されて,宗教を冒涜してるとか言われてた気がする。その歌がチェコ・スロバキア(現在はチェコとスロバキアに分かれている)の共産党支配からの開放の際に国民を勇気づける歌となった,というものだった。1968年のプラハの春の時のソ連による弾圧に抗議して,当時のチェコ・スロバキアのアイドル的な歌手,マルタ・クビショヴァーが発売間もない Hey Jude のチェコ語カバーをレコーディングしたというもので,それは当時の共産党支配下ではご法度行為だった。そのためマルタ・クビショヴァーは歌手活動から追放され,さらにろくに仕事をさせてもらえないという当時のチェコ共産党の非人道的な扱いを受けたらしい。その後,1989年のビロード革命の際にみながマルタ・クビショヴァーの Hey Jude を精神的な拠り所として歌い,励ましあったというものだった。そのため,チェコでは Hey Jude は自由のための歌という感じになっているらしい。

 その番組の内容はとても心に染み渡るものなのだが,番組自体の出来はとてもいまいちに感じた。なぜかって,Hey Jude が如何にしてチェコ国民の反骨の歌になったかを淡々とドキュメンタリータッチで描いていた時はいいのだが,途中で,日本人(ちょっと微妙だが)のおっさん二人がラジオっぽいスタジオで,Hey Jude とビロード革命,マルタ・クビショヴァーについて語っている場面が多くでてきた。それが最悪で,番組の質をすごく下げていた。他のドキュメンタリータッチの部分のできもちょっといまいちっぽい感じだったが,おっさん二人のトークはいまいちどころか,番組のレベルを中から下の下に下げるぐらいひどかった。話してる内容も当時のチェコの人々やマルタ・クビショヴァーの心境,彼女のその後境遇とその苦労など全然知らないおっさんらが「偉そうに」語っていたのでとてもむかついた。おまけに,タバコプカプカふかしながら雑談してるとか思えない映像にさらにむかついた。マルタ・クビショヴァー自身や当時の夫のインタビューは貴重だと思うが,あのおっさん二人のトークはなんで必要やったのか全然わからへん。あのテレビ局もレベル下がったなぁ,と実感させられたドキュメンタリーでした。ちなみに,その番組は2000年頃に制作されたもので,今回はその再放送だったみたい。

2012年2月13日月曜日

思い出

先日,テレビで谷村新司がリチャード・カーペンターとインタビューしていた。さすがにリチャード・カーペンターは年取った感が否めなかった。その番組を見ていて,カレン・カーペンターの訃報を聞いた時を思い出した。

私がカーペンターズを聴き始めたのは Please Mr. Postman が流行っていた頃だと思う。兄に学校で流行っていると言われ,それからカーペンターズを聴き始めた。そして,2枚組のLP版のレコード(確かベスト版だったと思う)をお年玉か何かで買った。単純に Please Mr. Postman がトップだったというのと,レコード買うならLPだと思っていた,というのが理由だった。後者の理由は,親父が買うならLPの方が効率がいいと言っていたからである。あのレコードのお陰でカーペンターズのたくさんの名曲と出会えた。あのアルバムは何度も聞いたなぁ。あれが私の洋楽との出会いでもあった。

その後,カーペンターズのような音楽から興味が移り,Beatles や ABBA にはまり(ABBA はカーペンターズに近いかな?),そこから Deep Purple や Led Zeppelin などに走り,Rolling Stones を聴き,AC DC や Aerosmith を聴いた。Beatles に興味が移った一つの理由は Please Mr. Postman や Ticket to Ride などのカバー曲の存在があった。カバー曲と聞くとどうしてもオリジナルを聞きたくなってしまう。そこで Beatles に興味が移っていった。しかし,後で気づくのだが,Please Mr. Postman は元々はマーヴェレッツの曲で,Beatles もカバー(プロモーションという意味合いもあったみたいだが…)していたので,その点では間違っていたのだが,結局他の Beatles の曲に興味が移っていってしまったのだった。しかし,あくまで私の洋楽,ひいては音楽の原点は Carpenters だった。

2012年2月3日金曜日

テリー伊藤氏が聴聞???ワンバックならなでしこ??

いつものようにネットのニュースのヘッドラインを見ていた時の事,ふと目に入ったタイトルが「テリーが聴聞で人種差別発言を否定、7月に公判へ」という記事だった。このタイトルを見た瞬間に頭に浮かんだ「テリー」氏は何故か「テリー伊藤氏」だった。何故かわからないが,とにかくテリー伊藤氏の顔が頭に浮かんだのだった。しか~~し,この記事の「テリー」とは,サッカー・イングランド・プレミアリーグのチェルシーに所属するイングランド代表ディフェンダーのジョン・テリー氏のことだった。なんでも試合中に人種差別発言をしたと告発され,聴聞会が開かれたみたい。そこでテリー氏の代理人が疑惑を否定したらしい。その結果,結論は正式な公判で行われる,という記事だった。でも,「テリー」と書かれると一瞬誰のことだかわからなくなってしまった。

 ちなみに同じイングランド・プレミアリーグのリバプールに所属するウルグアイ代表のスアレスは,フランス代表のパトリス・エブラに対する人種差別的とされる発言に対して,発言を肯定し,ペナルティとして8試合の出場停止を受け入れたらしい。しかし,スアレス曰く,スアレスがエブラに対して言ったとされる negro という言葉は「ウルグアイでは差別的な意味はない」との事だった。ニグロは以前差別的な意味で黒人を示す言葉だと教わったが,「もし」スアレスが言う事が事実なら,その決定自体は若干疑問が残ることになる。まぁ,言葉の問題はとても難しいので,なんともいえないが…。

2011年9月12日月曜日

畝畑の野尻さんと畝畑への道の情報

(もっと写真を見たい人はMatsup's Motorcycle Siteを見てくださいな)


追記):2013年4月に野尻さんに会いました。お元気にされておられました。

まず,結論から書こう。2011/9/11 現在の情報として,熊野川町畝畑にお住まいの野尻皇紀さんはお元気だそうです畝畑に通じる県道229号線は路面崩落と法面崩落のため,熊野川町側も古座川町側も通行不能です。
追記)10/5 に野尻さんからメールが来ました。9月中に電気も復旧し,10/1には県道の仮設橋も完成して孤立状態から抜け出せたそうです。仕事が1ヶ月遅れとのことでした。しかしご無事で何よりです。

 昨日,熊野川町畝畑にお住まいの野尻さんの安否を確認すべく,バイクで畝畑に向かってみた。NHKの和歌山放送局の情報によると,畝畑は孤立地区で6名の方がおられるが,物資も運ばれ衛星電話もある,とのことだった。しかし,それ以上のことはわからなかった。で,気になったので行ってみた,というのが今回の記録。

 いろいろネットで見たところ,三重県の紀和町には行けそうだったので,紀和町から熊野川町日足にある三和大橋を目指してみた。道中の写真の多くは別のサイト(Matsup's Motorcycle Site)に載せておいた。道中何箇所が難しい場所はあったが,なんとか三和大橋,そして熊野川町日足に辿りつけた。三和大橋は話には聞いていたが,路面まで冠水した様子が見て取れた。欄干に流木が多数残っていた。まだ橋の手入れまで手が回っていない感じだった。三和大橋は公式には通行止めだった。理由は,路面に泥が残りスリップの危険があるのと,道の両側に流木が残っているから,などと思われる。見た感じは綺麗な路面に見えたのだが…。どうしてもの場合には通れないことはないと思う。もう通行止め解除されてるかもしれない。

 それにしてもあの橋の上まで水が上がったのは想像を絶する。地元の方々の被害は相当なものだと容易に想像できる。日曜日は天候がよかったため,皆さん家財道具を家から出して,路上に積まれていた。きっと全て処分しないと仕方ないと思う。国道168号線の路面には泥が残り,乾くとホコリが舞い上がり,濡れるとヌルヌルで危険だった。散水車で泥を取り除く作業をされていたが,まだしばらくかかりそうな感じだった。自衛隊や他の自治体の災害支援車両等を数多く見たが,もっと多くの組織的な支援が欲しい,と感じた(個人的には何もできなかったので,偉そうにはいえないが…)。

 最終的に,新宮市熊野川町日足,さらにその奥の熊野川町小口まではあまり苦労せずにたどり着くことができた。現時点(2011/9/11時点)では,熊野川町日足までは,熊野市方面から国道311号線で紀和町を過ぎ,瀞大橋を超え,国道311号線が国道169号線と合流する竹筒,国道169号線の四瀧トンネル,宮井大橋,国道168号線経由でたどり着くことが可能である。ただし,国道311号線は瀞大橋を過ぎて狭くなる箇所から国道169号線と合流する竹筒までは交互通行となっていたので,それなりの時間がかかる覚悟が必要である。また,国道169号線と合流して,道幅が広くなった所にある四瀧トンネルは,内部が真っ暗で,かつ路面に泥があるみたいで滑りそうな感じで怖かった。国道168号線は新宮から本宮までは公式には通行止めとなっている(9/12には宮井大橋から本宮までは通行止めが解除になっていた)。宮井大橋〜日足間でも,路面には泥があり,その泥を横に押しのけて積んであったり,周囲の家から出された家財道具などが積まれていたりして,充分な道が確保されてはいない。また,道路自体をきれいにする作業や,家々の片付けなどをされているので,気を付けなければいけない。そのための通行止めであり,宮井大橋から日足まではなんとか(泥だらけになりながら,スリップや作業車,作業されいている方々に気をつけて,ゆっくりなら)走ることはできる。熊野川町日足から新宮までは行けないらしい。新宮市の職員の方がそうおっしゃっておられた。具体的な理由(法面崩落なのか,道路自体が落ちてるのか,など)はわからないが,いけないみたい。ちなみに道の駅・瀞峡街道熊野川も「かあちゃんの店」も流されてなくなった,と聞いた。宮井大橋と日足地区の間には志古地区があるが,その付近は車が路上に転がっていたりして,まだまだ復旧の手が足りていない感じだった。瀞峡観光のウォータージェット船乗り場のドライブイン志古は,めちゃめちゃになっていた(どこかのサイトでジェット船自体は大丈夫とのことだった)。

 さて,肝心の畝畑だが,畝畑に行くには和歌山県の県道229号線を通って行かないといけない。熊野川町日足から小口に行き,そこからr229で畝畑を目指す。小口から畝畑までは約 13 km あり,途中に大きめの長瀞橋があり,さらにトンネルが5本ある。今回,小口までいけたので,せっかくだからと思って(無謀にも)リッターのツーリングバイクで畝畑を目指してみた。路面には木の小枝や葉っぱ,角張った小石が随所で散乱している状況だった。場所によっては全く通常っぽい路面の所もあるが,ほぼ全線にわたって緊張を強いられる状況だった(特にパンク)。長瀞橋までで2箇所か3箇所,法面が少し崩れていた。しかし,小型の自動車なら通れる幅は確保されていた。また,路面には車が何度か通った新しい轍があり,畝畑まで行けるのではないか?と希望を抱かせてくれた(実際には路面崩落のため,バイク・車では畝畑には行けない)。長瀞橋を過ぎて,1号トンネルと2号トンネル(小口から見た番号)の出口はそれぞれ法面から礫が多数落ちてきていた。オフロード車なら通れる感じに踏み固めてあったが,リッターバイクでは恐怖だらけだった。その後も数箇所で石ころだらけの部分(長さ 1m 程度や,1m 未満)が数箇所あった。それでもなんとか5号トンネルを超え,もうちょっと行ったら阿修羅橋(誰かがあしゅら男爵みたい〜,と書いていた橋。正式名称はなんだっけ?)だ,と思っていたら,そこに数台の車と10人ぐらいの人がいた…。私のバイクに気づくと「あー,この先は行かれへんでぇ!」との声。実はその付近で長さ 10 m 程度(目測なので実際の長さは不明)にわたって法面が崩れ,路面ごとなくなっていた。せっかくそこまで頑張ったが,さすがにその先はバイクでは無理だった。残念。そこにおられた方々は中部や九州から応援で来られた国土交通省の人達で,崩落現場を見てどうやって復旧させるかを検討されている,とのことだった。日曜日なのに皆さんご苦労様です。逆に,国土交通省の方々に「あんた,こんなバイクでよう来たねぇ」と呆れられてしまった…。うーん,邪魔しただけだったみたい…。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。

 しかし,r229が崩れている場所から野尻さん宅までは歩いて1時間程度の距離らしかった。実は,新宮市の職員の方が数名,崩落現場から歩いて野尻さん方まで行かれ,戻ってこられたところだった。野尻さんやご家族の安否を尋ねると,「野尻さんもご家族も元気にしてはりますよ。行ったら逆にお茶出してくれはりましたわ。停電みたいやけど,発電機使ってはりました。この先(崩落現場の先)の道はどうってことなくて,物資はここまで車で持ってきて,反対側に野尻さんが車で来はって受け渡してます。消防の方から衛星電話も借りれたみたいですし。畝畑から先も県道が2箇所崩れてるらしくて,係長を車で案内するって言うてはりましたわ」とのこと。係長さんはその後野尻さんの車で崩落現場そばまで送ってきてもらったらしい。でも野尻さんはすぐに引き返してしまわれたので,お顔を拝見することはできなかった。午後1時ぐらいだったので,畝畑まで歩いてもよかったのだが,道路復旧作業(現時点では下見だけだったけど)の邪魔しても悪いし,バイクで小口まで無事帰れるかどうか(パンクの危険が大きかった)もあったので,野尻さんご家族の無事を確認したというこで今回は引き返すことにした。早い時間で後方に人が大勢いればパンクしても修理可能だし…。
  川上村迫の国道169号線崩落現場

  茶色く濁った池原ダム湖

  三重県道40号線の崩落現場

  水没した三重県道740号線

  冠水した三和大橋

  国道168号線から見た三和大橋

  冠水した道は泥だらけだった

  まだ手付かずの車

  国道168号線志古に残る軽トラ

  ドライブイン志古もめちゃくちゃ

 川は茶色いが空は悲しいくらい青かった

 その後,なんとか運良く小口までパンクせずに走れた。帰りは小口,日足,志古,宮井大橋,竹筒,瀞大橋,紀和町と走って,その後国道311号線で熊野市に出て,国道42号線で帰ってきた。国道42号線は,矢ノ川峠区間で3箇所(だったと思う)交互通行だったが,いずれも距離はそんなに長くなかったので,すぐに通過できた。その後は国道42号線,紀勢道ともに順調に走って帰ることができた。

 今回の水害は,四国付近をゆっくり北上した台風12号によって長時間もたらされた雨によるものだが,明治時代の大水害も同様の台風が原因らしいとWikipediaに書いてあった。きっと明治時代の大水害の時も大変だったと思う。ヘリコプターもない時代なので,復旧も大変だったと思う。もう一週間以上経つが,山の奥地はまだまだ復旧していない。多くの方々の多くの支援が必要だと思われる。しかし,私には今何ができるのだろう?こうやって皆さんに伝えることぐらいしかできない。休みを取ってボランティアに行ければとも思うが…。
(もっと写真を見たい人はMatsup's Motorcycle Siteを見てくださいな)

2011年7月7日木曜日

Happy Birthday !!

 この日に誕生日おめでとう,と言えば堤真一?まぁ,確かにそうなんですが,実は私の誕生日なんです。いちおう毎年書いてはいるんですけどね。7月7日生まれというと,他に,シャガール,円谷英二,塩野七生,リンゴ・スター,研ナオコ,などもいるらしい。へぇ~
 堤真一と言えばプリンセストヨトミ?ちょっと気になるけど観てないなぁ。他にもかりぶの海賊とか魔法使いの話なんかも一応見てるのでいつかは観てみようと思うのですが,これがなかなかめんどくさくて…。晴れたらついついバイクに乗ってしまうし…。
 ま,いずれにせよ,自分に対して誕生日おめでとう〜!!

2011年6月17日金曜日

今度は海外

何が海外かって?それは音楽の旅の話。前回は日本の懐メロにはまったのだが,今回は洋楽で少しさまよってみた。

 きっかけの曲はカーリー・サイモン(Carly Simon)の You're So Vain という曲。邦題は「うつろな愛」だったらしい。なんかちょっと違うような気もするが…。とあるサイトでは,「あなたはとても自惚れ屋ね」という訳をつけていた。そっちの方がよさげな気がする。この曲はなかなかいい感じの曲である。一度ようつべ辺りで検索して聴いてみて欲しい。その曲を聴いた次はアルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」という曲を聴いた。南沙織か誰かがカバーしたとかしないとか,って話もどっかに書いてあったような気がするが,そりゃ,原作の方がいいでしょ。これまたいい曲なんだわ。ハイになる曲じゃないけど,なんか聞いていていいねぇ,っと思えるのよねぇ。

 次に聴いたのがプラターズ(The Platters)の煙が目にしみる(Smoke Gets In Your Eyes)。続いてThe Platters の Unchained Melody。さらにも一つ欠かせない Only You (The Platters) と聴いてみた。どれもプラターズの名作中の名作なので,安心して聞けたねぇ。今回はどれも聴かせる,って感じの名曲を聴いた。昔 FM で聴いていたジェットストリームでかかっていそうな曲ばかり。ジェットストリームと言えば城達也さんのナレーションがよかったなぁ。夜中にFMから聞こえる城達也さんの声はとても渋かったなぁ。

 で,続いては Sylvie Vartan の La Plus Belle Pour Aller Danser。カタカナで書くと,シルビーバルタンの「アイドルを探せ」という曲。これもどうも邦題はいまいちっぽい感じがするが…。シルビー・バルタンといえばフランスのアイドルだけど,未だに現役らしい。すごいなぁ。50年代にはもう第一線にいたんじゃなかったっけ?さらにシルビー・バルタンで IRRESISTIBLEMENT も聴いた。これは邦題が「あなたのとりこ」というらしい。フランス語ほとんど知らないから,邦題がどうなのかは知らないけど,「アイドルを探せ」も「あなたのとりこ」もどちらも好きな曲。こうみると節操無く好きな曲がいっぱいあるねぇ。

 シルビーを聴いていて見つけたのが,今回の最後,Louis Armstrong の What A Wonderful World。これも名曲やねぇ。Louis Armstrong といえば,サッチモと呼ばれたジャズトランペットの名演奏者であり,歌手,俳優など多彩だった黒人のアーティスト。戦時中にはすでに有名で,慰問に行ってもかなり人種差別を受けたらしいが,それでもそんなの関係なしにいい音楽を作り出していたみたい。1971年ぐらいに亡くなってるみたいなのに,未だに What A Wonderful World 聴くと新鮮なんだよねぇ。やっぱりいい曲はいつまで経ってもいいもんやねぇ

2011年6月14日火曜日

ハチのムサシがヨコハマでバカンス

 ネットのニュースで平田隆夫という人が亡くなったと出ていた。全然知らない人なのだが,その人といえば「ハチのムサシは死んだのさ」だ,と書いてあった。そういえばハチのムサシは死んだのさという曲があった記憶がある。何年前の曲だったんやろ?かすかに記憶にある。で,どんな曲だったのか,と思って検索してみた。なんとなく覚えていたがのだが,歌っていたのが女性で,デュエットだった,とかは全然覚えてなかった。当時はかなり売れた曲だったと思うが,あまりはっきり覚えていなかった。
 その曲を今回は「ようつべ」で聴いたのだが,横に他にも…とある中の多くの楽曲にひかかってしばらく懐メロにハマってしまった。

 まずは,青い三角定規の「太陽がくれた季節」。確か飛び出せ青春の主題歌だっけ??忘れてしまった。まだ中村雅俊が若かった頃のテレビ番組だったが。曲の印象としては,青い三角定規のボーカルのお姉さんの声はいい声してるなぁ,だった。曲自体はあまりに耳に残っていて陳腐に感じてしまったのは悲しい人間の性だろうか?
 その次にひっかかったのが赤い鳥の「翼をください」。実は赤い鳥というグループの存在を知らなかった…。そこから派生したハイ・ファイ・セットは聴いたことあったけど。曲も知っていたが,後年音楽の教科書に載ったのを知っていたぐらい。ちゃんと聴いてなかった。で,映像と一緒に見ると,これがしっかりしたバンドでやったいたみたい。ほんと知らなかった…。

 次に気になったのはジュリー。いくつか聴いたが,大昔に好きだったのは「危険なふたり」。しょっちゅう口ずさんでいたような記憶がある。他にも「時の過ぎゆくままに」もいい曲やねぇ。なんかジュリーのイメージが違って感じられてしまった。作詞は阿久悠らしい。やっぱりすごい人は違うねぇ。さらに「勝手にしやがれ」も聴いたが,「危険なふたり」や「時の過ぎゆくままに」ほどのインパクトがなかった。「勝手にしやがれ」はしっかりと記憶に残ってるからかもしれない。「時の過ぎゆくままに」は新鮮に感じてしまったからねぇ。そういえば映像で紅白の時のものだったと思うけど,バックでベースを弾く岸部一徳氏がよかったねぇ。ベースなのに目立っていた気がする…。

 その次に聴いたのは「岬めぐり」と「走れコウタロー」。どちらも山本コウタローが頭に浮かんだが,「走れコウタロー」はソルティー・シュガーというグループの曲らしい。「走れコウタロー」はコミックソングみたいだが,印象に残ってるなぁ。セリフが楽しい感じだった。歌詞を検索するといろいろ考えて作ったんやろなぁ,という感じがした。「岬めぐり」は悲しい内容なのになんか元気が出てくる感じが好きで,今でも好きな曲の一曲に入っている。初めて聴いた頃は,どこの岬に行こうと思ったのだろう?と思ったものだった。
 で,その流れで次に聴いたのはフォーククルセダーズの「悲しくてやりきれない」,「イムジン河」,「あの素晴らしい愛をもう一度」だった。帰って来たヨッパライは聴いてないかも…。今回聴いた曲は全て,帰って来たヨッパライとは正反対の渋い曲ばかりだったかも。ここでもなんか時代を感じたねぇ。

 さらに懐メロの旅は続き,次は「知床旅情」にたどり着いた。「知床旅情」といえば加藤登紀子の歌を思い浮かべるが作詞作曲は森繁久彌。私は基本的にオリジナルがいいと考える人なので,加藤登紀子が歌うのはどうなん?と思っていた。そこで,今回ようつべで捜すと森繁久彌氏の歌を聴くことができた。聴いた印象はというと…森繁氏の作詞作曲能力は高く買うけど,歌唱力は…。絶対に加藤登紀子の方がいいと思った。森繁氏の歌はうまくないというか,下手というか…。ちょっと残念だった。

 さらに聴き続け,次は「春夏秋冬」を聴いた。当然歌っていたのは泉谷!一度だけ西部講堂での泉谷しげるの歌を聴きにいったなぁ。あれはかなり印象的だった。なにせ,後ろからステージに向かって缶ビールが飛んできたし,「おいこらぁ,いずみやぁ~」という掛け声が普通にかかるステージだったから…。おまけに西部講堂ぼろかったし…。「おいこらぁ,いずみやぁ~」と「春夏秋冬」のギャプはすごかったなぁ。
 続いては,森田公一とトップギャランの「青春時代」,久保田早紀の「異邦人」。歌謡曲にもいい曲いっぱいあるねぇ。昔は他の人が作詞や作曲した楽曲を歌う「歌手」があまり好きじゃなかったなぁ。シンガーソングライターの方が自分で曲を作ってる分えらい,と思っていた。それでもすごく歌がうまい人ならいいんだけど,いまいちの人も多かったからねぇ…。そういえば,森田公一も久保田早紀も自分で曲を書いてた人達だった。

 歌がうまいと言って思い出すのは「ちあきなおみ」。あの人はほんとに歌がうまかったらしい。私が記憶にあるのは,当然「喝采」。確かレコード大賞受賞曲だったと思う(違ってたらごめんなさい)。子供ながらにうまいなぁ,と思った記憶がある。それもようつべで探して聞いてみた。やっぱり渋い曲やねぇ。さらに若かりし日のいしだあゆみの歌う「ブルーライトヨコハマ」も聴いてしまった。デビューの頃のいしだあゆみってすっごく可愛い人やったんやねぇ。
 で,そこまで行くとやっぱり行き着くのがザ・ピーナッツ(美空ひばりまでは辿りつかない世代なのでした…)。「恋のバカンス」,「恋のフーガ」,「ウナ・セラ・ディ東京」,「情熱の花」などなど。やっぱりハモるっていいよなぁ。「恋のフーガ」のドラム(正確にはティンパニか)がいい感じで入ってて新鮮な感じを与えてる。それにしても,古い映像で歌う時の踊りにかなり違和感を感じてしまった。というか,あの踊りはいらないんじゃないだろうか?と思ってしまった。それも時代なのかねぇ?そういえば,ザ・ピーナッツの知床旅情もネットにあった。やっぱり歌のウマさは加藤登紀子よりも上やねぇ。

2011年4月26日火曜日

春一番

 また一時代を築いた人が他界された。キャンディーズが活躍していた時は特にファンではなかった。でも,彼女たちの楽曲は,当時から結構いい曲だなぁ,とは思っていた。個人的に一番好きな曲は春一番である。理由は…,特にない。敢えて言えば,聴いていて心地よいから,というのが理由かもしれない。歌詞も好きである。歌詞自体が曲に負けないぐらいテンポがいいと思っている。曲全体のイメージは,まさに春が来てとてもウキウキした気分~,というイメージ。よく考えると春一番って嵐なので,うきうきわくわく,じゃないような気もするが…。まぁ,そんなことは気にしないでおこう。歌詞の中身は恋破れた友達(?)を励ます内容みたい。これを聴くと確かに,なんかがんばろう,って思えるような曲だからいいと思うのかもしれない。この歌詞ってあまりカタカナがないように感じる。それも好印象を与えているような気がする。しかし,今聴いてもそんなに古いのか?と思えるのは気のせいだろうか?微笑がえしもいい曲だと思っている。あれは引越しという形で解散を歌っているが,やっぱりイメージは春だった。なんとなくキャンディーズは春というイメージがある。解散したのも4月。その春に亡くなるなんて…。ご冥福をお祈りするばかりです。

 それにしても,珍しく,いっぱい往年の歌謡曲を聴いてしまった…。ちなみに,最近は花粉症なので,春って必ずしもうきうきできないのが悲しい…。昔は春は嬉しかったのになぁ…

2009年6月26日金曜日

訃報

 朝,テレビをつけるといきなりの訃報だった。ジャイケル・マクソン,じゃない,マイケル・ジャクソン (50)が病院に搬送され,心肺停止,との報道がされていた。ちょうど私がまだ学生の頃,スリラーやバッドがはやっていた。あれは何年ごろだったのかな?高校の終わりか大学の頃だった。ミュージックビデオが前面に出てきた頃で,確かにスリラーのミュージックビデオは印象的だった。でもいつの間にか彼の話題というと,子供への性的な虐待とか,多大な借金とか,過度の整形,などになっていた。若い頃のマイケルは黒人の若者のあどけないいい顔をしていたのに,いつのまにかすごい顔になってしまっていた....。彼は何を考え,何を目指し,何のために生きたのだろうか?いずれにせよ,彼の音楽が人々に大いに受け入れられ,未だに支持されいてるのだけは確かなようだ。
 そのジャイケル氏の訃報に隠れてしまっているような気もするが,もう一つ訃報がでていた。それはファラ・フォーセットの訃報。ファラ・フォーセットといえばチャーリーズ・エンジェル。あの人は美人やったなぁ。深夜によくチャーリーズ・エンジェルのドラマをやっていて,時々見ていた。いつのまにか62歳になっていたなんて。それもここ数年は癌を患っていたとの話。長年付き合っていた(一度結婚したけど破局した?)ライアン・オニール氏からの求婚を受け入れたとの報道がされたばかりだった。
 忌野清志郎といい,マイケルといい,ファラ・フォーセットといい,かつての大スターがまたいなくなってしまった。さすがに自分が年取ったと感じてしまうなぁ。

2007年11月15日木曜日

Charles M. Shultz

 ふとしたことから,Snoopyの日本の公式サイト(?)に足を踏み入れた。懐かしい絵がいっぱいあった。私がSnoopyと最初に触れたのはPeanutsコミックの日本語版だった。いつのことだろう?小学生になっていたと思う。英語のコミックで,吹き出しの中は日本語にしてあった。でも欄外に英語も書いてあった。その中でSnoopyはかわいいと言うよりはちょっとひねくれた感じの面白い奴だった。空想癖があり,第一次世界大戦のパイロットに扮していたりしたなぁ。いつのまにかJoe Coolになっていたりもしたらしいが,その辺りは全然知らなかったりする。でもどこかほのぼのしていて,でもちょっと悲哀とかあって,憎めない漫画だった。Snoopyのグッズだけ見ていても,あのSnoopyのひょうきんさは伝わらないんじゃないだろうか?もしかしたら私が最初に買ったコミックはSnoopy,じゃないや,Peanutsだったのかもしれない。作者のシュルツという人は50年間ほぼ毎日休まずに4コマ漫画を書いていたらしい。すごいなぁ。そんだけよくネタが続いたと思う。その人が癌を理由に掲載をやめると発表して,最後の作品が新聞に載ったのが2000年らしい。ひとつ時代が終わってしまっていたのですね。