ふと,JR西日本の北陸線の旧線跡に行ってみた。
向かったのは敦賀の前後にある北陸線の旧線跡。 最初は敦賀の手前にある柳ヶ瀬トンネルを含む区間。 北陸道の木之本インターチェンジで下りて,国道365号線を北上すると旧北陸線の柳ヶ瀬隧道を再利用した柳ヶ瀬トンネルへの分岐が現れる。 柳ヶ瀬隧道は単線時代の北陸線のトンネルで,明治初期に作られたらしい。 どうやら敦賀が大陸との貿易の拠点だったので,早くに敦賀まで鉄道を敷設したみたい。 柳ヶ瀬トンネルは単線時代の,それも明治初期に作られたトンネルだけあって,鉄道トンネルの割には狭い感じがした。 内部はレンガと石積みでできていたが,結構漏水があって路面は濡れていた。 そのくせ結構長いので,交互通行信号の待ち時間は最大5分になっていた。 意外と車の走行が多かった気がするなぁ。
柳ヶ瀬トンネルを抜けると刀根の集落に着く。 その付近は今は北陸自動車道の刀根PA付近になってしまっている。 そのため旧北陸線の遺構はほとんど残っていない。 残っているものとしては小刀根トンネルぐらいしかないみたい。 刀根の先で国道8号線に合流する。そして疋田に向かう。 疋田で北陸線の現行線と合流して敦賀駅直前のループへと向かう。 今回は現行のループ区間はパスして,国道8号線のバイパスで北陸道敦賀IC前を通り,敦賀駅の向こうで北陸線のそばに戻った。 北陸線は交直交換のデッドセクションを通過してすぐに長い北陸トンネルへと入っていくが,旧線は現行の国道476号線に沿って北上する。 走っているとところどころにトンネル跡があったりするが,基本的には国道476号線になってしまっている感じ。 そのまま旧線跡は国道476号線のまま葉原の集落までいく。 葉原の集落の先で北陸線旧線は国道476号線から離れて北陸自動車道に沿って北上する。
旧北陸線はそこから多くのトンネルを使って高度を上げていく。 旧葉原信号場,旧杉津駅,旧山中信号場,旧大桐駅,と通って今庄に向かう。 その区間は走って初めて知ったのだが,かなりの勾配で高度を稼いでいるのわかる。 こんな急な勾配で重い貨車を連ねた貨物がちゃんと上れたのか?という疑問が湧いてしまう。 25‰(25パーミル,1000m進む間に25m登る)と聞いてもいまいちピンとこないが,走ると結構の勾配だとわかる。 旅客の電車のみなら余裕だろうが,貨物列車だと,それも蒸気機関車だとかなり大変な区間だったことが偲ばれる。 杉津の辺りは海からかなり高い地点を走っていて,その昔は風光明媚な場所として有名だったみたい。 それにしてもよくもまぁあんな高いところを走らせたなぁ,と思うが,地形としてはそこしかなかったみたい。 蒸気機関車の頃は長いトンネルは非常に危険だったし,まだ長いトンネルを掘る技術もなかったための苦肉のルートだと思われる。
最後の山中隧道を抜けるとそこは山中信号場跡があった。単線時代に列車の交換を行った場所らしい。 今も引き込み線の跡などがあるらしいが,夏場だけに雑草に埋もれてしまっていた…。 山中信号場から大桐まではこれまたかなりの急勾配で下っていく。 逆に言うと逆方向の列車はこの勾配を上ってきていたはず…。うーん,恐るべし北陸線旧線…。 大桐には大桐駅があったが,場所としては勾配が緩くなった付近にあったみたい。 今も駅の跡を示す看板が立ててあった。
これまでも廃線となった場所などを見に行ったりしたが,古いトンネルなどを見ても個人的にはいまいちインパクトに欠けた感じがしていた。 しかし,今回のルートはここまでしないとこの区間を越えることはできなかったのか?というのがよくわかってよかった。 また,敦賀~今庄の旧線区間は,路盤がそのまま残って普通の道路になっていたが, 同じ勾配でゆったりとしたカーブの道であり,いかにも昔は鉄道線路が敷設してあったという感じの道だった。 この区間は近代の遺構として多くの人に是非とも訪れて欲しい区間である。
(もっと写真を見たい人はMatsup's Motorcycle Siteを見てくださいな)
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