2009年11月26日木曜日

日本のチロル

この間、三遠南信地方に行ったが、その続き、というか、その名残。
あのツーリング後、いろいろネットで調べてみた。何についてかって?それは飯田市上村について。ツーリングマップルに日本のチロルと書いてあるので,日本のチロルで調べてみた。

 上村は飯田市南信濃のすぐ北隣にある。以前は村として独立していたはず。上村の中心には国道152号線が走っているが、この152号線は糸魚川静岡構造線というフォッサマグナの西の端に位置する断層帯に沿って走っている。その国道152号線の西側にも山並みが続き、東側には南アルプスが存在している。つまり上村は山と山に挟まれた地域にある。その付近はフォッサマグナの西の端に位置するだけあって、急峻な山々が多く見受けられる。当然、上村も多くは急峻な山々が占めている。特に下栗にある集落は斜面にへばりついていて,日本のチロルと呼ばれている。他にもしらびそ高原も標高1900mほどの高さにあり,風光明媚なところらしい。写真でみると下栗の集落はすごい斜面にへばりついている。何故人はあんなところに住もうと考えたのだろうか?紀伊半島なら平家の落人が作った村が山奥の急な斜面の上の方にあったりする。上村の人々はなぜそこに住みだしたのだろうか?写真を見ていると行ってみたくなった。この間はすぐ近くまで行ったのだが,なにぶん季節が悪かった。次回はもう少し暖かくて,日が長い季節に行こうと思う。当然バイクに乗って
(追記)ちゃんと行ったよ

2009年11月23日月曜日

三遠南信の旅

 天気はいいという予報だったので,仕事を休んで南信州に走りにいった。気温が低そうだったので紀伊半島に行こうとも悩んだが,折角なので南信州に挑戦してみた。朝と夕方がとても寒くてとても辛かったけど。目的地は,車やバイクで直接行けないという飯田線の小和田駅と,遠山郷から兵越峠(ひょうごしとうげ)を越える,にしてみた。

 小和田駅に行くには,どこかにバイクを止めて電車で行くのがいい。電車に乗る駅の候補としては,小和田駅の北にある伊那小沢駅や中井侍駅,あるいは南にある大嵐駅か水窪駅あたりということになる。地図と時刻表とにらみ合って検討した結果,水窪駅で上りと下りの電車が入れ違うパターンが多いみたいなので,伊那小沢駅から電車に乗って小和田駅に行き,逆向きの電車で引き返す作戦にしてみた。電車の時間は,伊那小沢駅を朝7:00発と10:25発の可能性があったが,あまりに寒かったので,伊那小沢駅10:25発の電車に乗ることにした。その電車で小和田駅まで向かい,帰りは11:06小和田発の天竜峡行きの電車で引き返すと作戦にした。また,今回は寒さ対策として,ユニクロのヒートテックの9分袖シャツとタイツ,靴下を購入してみた。その効果はというと,まあまあ効いていそうだった。しかし,それ以上に寒くて,凍えながら走らないといけなかった。

 出発は午前6時すぎ。往きは東名阪道から伊勢湾岸道,東名高速と走り,豊川インターで下りた。そこから国道151号線を北上し,平谷村にある道の駅・信州新野千石平というところまで走った。気温は高速上では最低5℃だったが,国道151号線の途中にある大和金峠と新野峠の2つの峠ではもっと低かった。温度計の表示は3℃が最低だったが,下手すると0℃だったかもしれない。そうなると路面の凍結が気になって,カーブではスピードを落とさないといけなかった。国道151号線は新城市街で車が多かった以外は走りやすかった。しかし,新野峠の北側の少しの区間だけ道が細く急だった。南側が改良されたよくなっていただけに,差が大きかった。道の駅・信州新野千石平を出てすぐに国道418号線で東に向かい,伊那小沢駅を目指した。そこでバイクを停めて,電車の時間まで伊那小沢駅を見学した。その後予定通りに10:25発の電車に乗り,小和田駅に向かった。小和田駅はさすがに秘境駅と言われるだけのことはある駅だった。なんかすごいところに来た,という感じだった。ダム湖では浚渫作業をしていたが,駅の辺りだけは孤立した感じだった。駅には引込み線と作業場があり,昔は何かの工場だったみたいだった。しかし今は廃屋と廃車が残っているだけだった。小和田駅は「こわだ」と読むが,皇太子の御成婚の際に話題になり,恋人用のベンチのある東屋などもあったが,今となってはむなしい感じしかしなかった。世の中のはやり廃りはなんともやるせないねぇ。

 小和田駅周辺を探索した後,電車で伊那小沢駅まで戻り,次の目的地の中井侍駅に向かった。中井侍駅は小和田駅と伊那小沢駅の間にある。中井侍駅はバイクで行けるが,道は狭い道しかない。川沿いの道か天竜川林道から下る道のどちらかになる。今回は少しだけでも天竜川林道を走ってみたかったので,天竜川林道に行ってみた。道は…,ぼぼ一車線の道だった。でも,川沿いから急に高度を上げるので,眺めはよかった。舗装はまだましな感じだった。ちょっと走るとすぐに中井侍駅に下る分岐に着いた。天竜川林道から下る道はまさに七曲りという道だった。勾配も急だったし。下った先は川沿いに伊那小沢駅から来る道だった。その交差点から駅に向かって下る道があり,交差点から100mほどで駅に着く。駅の前には車がターンできるぐらいのスペースがあり,そのまま駅の端の入口につながっていた。駅はやっぱり小さかった。小和田駅と同じぐらい秘境の駅だった。でも駅のすぐ上に人が住んでいる家がある点が違っていた。中井侍駅からは川沿いに南下し,平神橋を渡った。その道は落ち葉だらけで走りにくかった。平神橋から県道1号線を南下して大嵐駅に向かった。県道1号線は,長野県でも県道1号線だったが,愛知県に入っても同じ県道1号線だった。大嵐駅へは県道1号線から,鷹巣橋を渡った。大嵐駅から南は,旧線が佐久間ダムのダム湖に沈んで,路線が付け替えられたところである。今の大嵐駅はホームが2線あるが,両側をトンネルに挟まれ,ポイントはともにトンネルの中にあった。大嵐駅を見た後で,ついでに旧飯田線のトンネルを再利用した県道の夏焼トンネルも走ってみた。トンネルの先の県道は崩落がひどく,ずっと通行止めになっている区間で,見るべきものは何もなかった。夏焼トンネルは結構下っているみたいで,大嵐駅では結構下の方に見えた湖面が,夏焼トンネルの南ではすぐ近くに見えた。

 大嵐駅から県道1号線を北上して,鶯巣駅,平岡駅を訪れてから,国道418号線で南信濃村の遠山郷を目指した。国道418号線が国道152号線にぶつかる辺りの和田というところに向かった。平成の大合併で今は長野県飯田市南信濃和田という地名になっていた。時間があれば遠山郷から奥に入って,北隣の上村にある山の斜面に張り付いている集落を見たかったが,秋はあっという間に日が暮れるのでやめておいた。遠山郷では,山肉料理が食べれるとのことだったので,ガソリンスタンドでおいしいお店を聞いてみた。そこでは星野屋さんを勧められた。場所は遠山郷の和田の集落のちょっと北寄りだった。メニューではいろいろあり,熊鍋,猪料理,鹿料理が気になった。熊鍋のみ「限定」となっていたが,たまたま前日にツキノワグマが獲れたとのことだったのと,熊だけ食べたことがなかったので,せっかくなので熊鍋にしてみた。熊も猪も猟ができる期間は11月15日から2月15日らしかった。食べたのは熊鍋御膳。熊以外の食材もほとんどが遠山郷で採れたものと聞いた。わかめだけは違うけど,とご主人はのたまっていた…。ごはんにお茶の粉をふりかけてあるのもよかったなぁ。熊の味は意外とよかった。場合によってはゴムを噛んでるような場合もあるらしいが,今回食べたのは柔らかくて,脂がのっていて,かつ濃い山肉の味がしてよかった。

 遠山郷からは国道152号線を南下し,不通区間の青崩峠をさけて兵越峠を越えて水窪に出た。兵越峠は「ひょうごしとうげ」と読むらしい。「ひょうごえとうげ」だと思っていたのだが。兵越峠を越えた先は水窪というところだが,今は浜松市天竜区水窪町となっていた。浜松市でかいなぁ。ここまで来たら折角なので,水窪駅,向市場駅,城西駅,相月駅と見てから佐久間駅と中部天竜駅に向かってから帰ることにした。水窪の少し南の城西には,崩落がひどくてトンネルが作れなかったために,仕方なく作られた対岸に渡らない鉄道橋がある。ほぼ対岸まで行っているのに,また元の岸に戻る鉄道橋である。その鉄橋は第六水窪川橋梁というらしい。この鉄橋は全国的に有名なので,その橋の写真を撮ってから先に進んだ。佐久間駅に着いた時には,まだ夕方の5時前だというのにかなり暗くなり,街灯が点燈していた。中部天竜駅を出る頃には,かなり暗くなってしまっていた。そこから国道152号線で浜松を目指した。途中,天竜二俣辺りから県道45号線を南下して,浜松インターから東名高速に乗った。東名は音羽蒲郡インターを過ぎた辺りから岡崎インターすぎまで渋滞していた。どうやらいつも渋滞するところらしい。その渋滞を抜けて,豊田ジャンクションから伊勢湾岸道,東名阪道と走って帰った。最後はかなり気温が下がり,凍えながら帰った。あまりに寒くて,体中に変に力が入ったみたいで,肩はこるし,背中は痛いし,とても辛かった。やっぱり寒い日に夏場みたいに走ってはいけませんねぇ。

より多くの写真をみたい方はMatsup's Motorcycleを見てやったください。
(追記)次の投稿では日本のチロルに行きたい,と書いておきました。

2009年11月16日月曜日

画像で遊んでみた

 バイクのサイトを作るのに,windowsのフリーソフトでアルバムを作っていたが,ちょっと気にいらないところがあった。そこでちょこっとスクリプトを書いてみた。その時に画像処理をしないといけなかったのだが(自動で親指の爪を作らないといけないからね)ImageMagickなるソフトを使った。で,遊んだ結果を載せてみよう。

 オリジナルは2009/10/19の投稿にある写真。それをいろいろ加工してみた。

 まずは油絵風にしてみた。写真をクリックして拡大しないとわからないが,よく見ると油絵風になっている。









 次は回転させたもの。これは角度で3度ほどまわしたもの。結構変わるねぇ(写真クリックで拡大)










 これは特定の色を強調している。特定の色だけ取ってきてるのかもしれない。今回は赤でフィルターをかけてみた(写真クリックで拡大)









 これはspreadという効果。各点を広げているみたい。これはpixelを5倍に広げてる(写真クリックで拡大)









 これは縁取りをつけてみた。額に入れる写真みたいでしょ(写真クリックで拡大)









 こんな効果を使ってバイクのサイトをいじってみようかなぁ。でも,そのためにはアイデアがないとねぇ。それにいい写真がもっと欲しいねぇ。週末に撮りに行こうかなぁ???ちなみにこのblogに使ってる写真は全てPicasaアルバムにいくと見れる。

2009年11月13日金曜日

写真検索が楽しいぞ

 今日は13日の金曜日じゃないですか。って,別に何も起こらないと思うけど。昔は13日の金曜日というとちょっと気にしてたような気がする。やっぱりメディアの影響は大きいよなぁ。ところで,Picasaアルバムに写真を載せていると,ピックアップというところでいろんな人が撮った写真を見れる。ただし,世界中の人が撮った写真なので,ほんとにさまざまだが。その中には場所を当てるゲームがあり,やってみると結構アメリカのことが多い。やはりアメリカ人が多く写真をアップしてるのだろうか?
 そういえば,検索で写真(画像)の検索ができるのをご存知だろうか?Googleの検索で画像検索というのを選ぶと,画像を検索してくれる。例えば「国道425号線」と入れると,かの酷道425号線の写真がわらわらと出てくる。「らいだぽよ」と入れると,最初の写真にプロフィールのエスカルゴが出てくる。数ページ先まで見ると,結構ブログにアップした写真が登場してくる。「らいだ」や「ぽよ」でひっかかったのも多く出てくるけど。「超青鳥号」でもまあまあでてきた。画像検索のオプションを選ぶと,顔写真だけ選んでくれたりもする。バイクだけってのは選べなかったが。結構楽しめると思うので,一度お試しあれ

2009年11月11日水曜日

ごろごろ

 今日はごろがいい日だねぇ。ごろごろ。特に何が書きたいわけじゃないけど,語呂がいいから書いてみた。オバマ氏がくるとかこないとか。めまぐるしいスケジュールをぬって来るらしいやん。で,何を話すのかねぇ?とにかく来ると言うのが重要なのかもしれない。うちに来るわけじゃないからほとんど関係ないけどね。なんか,選挙が終わったらいまいち政治に惹かれないねぇ。なんででしょ?

2009年11月3日火曜日

国道168号線を行く

 今回も紀伊半島に走りに行ってみた。マシンは当然ニューマシンの超青鳥号。ルートは前回が国道169号線だったので、今回は168号線か高野龍神スカイラインにしてみようと思った。最終的に寒さを考えて国道168号線を走り,さらに紀勢本線の新宮から熊野市までの駅を見に行く作戦にしてみた。

 まずは24号線で五條まで向かった。途中、大和高田の辺りのセルフのガソリンスタンドでガソリンを満タンにした。結構涼しかった(寒かった)ので、とりあえず五條で休憩することにした。五條から先のコンビニの場所を覚えていなかったので、168号線との分岐の交差点をちょっと行き過ぎた所にあるローソンに立ち寄った。コンビニから出発する時に北側を見ると何やら古そうな建物が木々の間に見えた。折角なのでそこを見てみることにした。そこは旧・五條代官所趾で、今は地方検察庁の支部になっているところだった。五條代官所時代の遺構としては門が残されていて、その前が公園になっていた。そこに蒸気機関車も置いてあった。機関車はハロー号というらしい。ハロー号を撮影してからいよいよ国道168号線で新宮に向かった。

 国道168号線は北は枚方から和歌山県新宮市まで行く国道だが、今回は五條から新宮までの135 km (昔135 kmだったけど、今はもうちょっと短いかもしれない)の区間を走ってみた。最初はセンターラインのあるまあまあの道が続く。カーブも言う程きつくはない。ところどころ厳しめのカーブもあるが、バイクなら余裕だった。最初しばらくは国鉄の五新線計画の遺物であるバス専用道と交差しながら進む。西吉野町西野で県道49号線と分岐するところまでは走りやすい道となっている。この県道49号線との分岐から先は急に山岳区間に入る。かなり急な登りと急なカーブがある区間になる。しかし道幅はそれなりにあるのであまり厳しい区間ではない。山岳区間にはいると長めのトンネルが2本出てくる。2本目が天辻峠のトンネル、新天辻トンネルだが、意外と古いトンネルである。天辻峠を越えると道の駅吉野路大塔がある。この辺りには天文台があり、星の観測ができるらしい。

 天辻峠の先は猿谷ダムのダム湖畔に向かって一気に下る。かなり急な下り区間に急なカーブがあって、気をつけないとはみ出しそうになる。猿谷ダムのダム湖が見えてくると道幅が狭いところが出てくる。ここから先はかなり古い道が残っている区間で、基本的に1.5車線が続くと思っておいた方がいい区間になる。猿谷ダムのダム湖畔にでると赤い大塔橋でダム湖を渡る。橋を渡った正面には旅館があり、そこを右に行くと新宮、左に行くと天川村に行く県道53号線になる。国道168号線は1.5車線でダム湖に沿って行くが、直後に短いトンネルがある。このトンネルの出入り口はほぼ直角に曲がるカーブがあり、気をつけないと事故りそうになる。その先猿谷ダムの堰堤まではだいだい1.5車線だが、途中改良された区間がある。改良された区間の前後は急に道が細くなるので、細くなるという標識を見落とさないことが重要。猿谷ダムの堰堤を過ぎると、細くくねくねと曲がった下りがあり、川の近くまで下る。その辺りは辻堂というところだが、その先の引土という辺りで以前斜面が大崩落をおこしたため、しばらく168号線が不通となった期間があった。その時は対岸の県道734号線が迂回路となったが、引土付近は168号線がかなり狭い区間なので、今でも北向きの車両は県道734号線を迂回させられたりする。狭い区間は道路改良中で、大きな橋の工事現場あり、その先に崩落場所がある。崩落場所は橋がかけてあり、宇井の先までしばらくいい道が続く。

 宇井の先は、塩鶴、長殿と狭い区間が続くが、1.5車線あるのでバイクなら対向に苦労することはない。長殿の先は橋2本とトンネル2本分の改良区間がある。この区間は最近改良された区間であり、あまりに高規格化されていて、前後の道とのギャップが大きい。初めて走るとビックリするかもしれない。以前はこの辺りもかなり狭くて対向がしんどかった区間である。その先は谷瀬の吊橋の近くになり、一度未改良区間になった後に、再び谷瀬の吊橋付近で橋とトンネルという改良区間となる。谷瀬の吊橋を過ぎると風屋ダムのダム湖畔になる。この区間は猿谷ダムのダム湖畔よりも道幅が広く、ほぼ全線で2車線となっているが、かなり昔に作られた区間なので急カーブと短いトンネルが断続的に続く。特に風屋ダムの堰堤近くに風屋トンネルがあるが、そのトンネルの前後は共にほぼ直角のカーブとなっている。風屋トンネルを抜けると急カーブの下りがあり、笹の滝への分岐点付近で右に大きなヘアピンカーブとなっている。その先に風屋大橋があり、そこから風屋ダムの堰堤がはっきりと見える。その先は少しだけ未改良区間があるが、そこを過ぎると十津川村役場を過ぎる辺りまでは走りやすい道となっている。十津川村役場の先、国道425号線の分岐のある滝という場所から、さらに折戸までは狭い区間が残っている。折立から先は2車線区間が続く。ただし未改良できついカーブの所も残っている。特に二津野ダムの辺りは風屋ダムのダム湖畔と同様に、2車線だが古い区間のためきついカーブと短いトンネルが断続的に続いている。しかし、そこを過ぎると168号線の厳しい区間はほぼ終わりとなる。

 二津野ダムの先から、急に道がよくなる。良くなりすぎ、という感じの七色高架橋が見えてくる。もともと谷間の山肌に沿ってくねくねと曲がっていた区間に、谷に沿うような感じで高架道路をつけてある。こんな山の中になんであるの?という違和感たっぷりの高架道路である。ここは五條新宮道路という名称の高規格化道路の一角らしい。いくら以前の道が不便だからといって、あの道はやりすぎだと思う。七色高架橋の先は土河屋トンネルをすぎると元の道に戻る。その先は三里辺りから発心門王子への分岐がある。発心門王子への分岐付近だけ不思議と1.5車線になっている。そのすぐ先に道の駅奥熊野古道ほんぐうがある。道の駅を出て少し行くと本宮大社がある。今の本宮大社は道の西側の高台にあるが、明治時代までは道の東側の大斎原(おおゆのはら)にあった。現在は大斎原には大鳥居と、神社の遺構だけが残ってる。これまで大斎原には行ったことがなかったので、今回行ってみた。大鳥居は遠くから見ても大きかったが、近くから見てもとても大きかった。昔から大きいのがあったのか?本宮大社を出ると後は新宮までいい道が続いている。以前は東敷屋の辺りで1.5車線になっていたが、これまたすごいトンネルを掘って高速道路のような道ができてる。今回は折角なので敷屋の辺りの旧道を走ってみた。その後は以前からかなりいい道だった。飛ばしすぎるとお巡りに怒られそうな危険な道。目立つものと言うと、国道169号線との分岐、熊野川町辺りに左岸に渡る三和大橋、などがある。快調に走ると気づいたら新宮についている。

 今回は新宮から先は、紀勢本線全通50周年記念企画第3弾として新宮駅から熊野市駅まで行くことにした。ただ、新宮から串本方面に熊野地駅と広角駅という2つの廃止駅があるということなのでその探索もしてみた。広角駅は地名から言って新宮の市街地から少し南寄りに行った辺りにあったと思われる。その辺りで線路まで行けそうな道はというと新宮から串本に向かって最初にあるトンネルの辺りになる。よくわからずにとりあえずその辺りを目指してみたが、地図を見てもさすがによくわからなかった。そしてその近くに行くと「高野坂」という場所への案内が出ていたので、その方に行ってみた。最後狭い道で下っていたのでどうしようかと思ったが、とりあえず前進してみた。バイクはバックできないので、下手すると困ることになるところだったが…。行ってみると、道は紀勢本線のそばの広場まで行っていた。そこから高野坂へは歩いて20~30分ぐらいかかるみたいだった。へぇ、と思ってその辺りを探索してみたが、何も見つからなかった。海岸にも出れたので出てみた。でも、波打ち際には行くなと指示が書いてあった。波が高いからだと思う。ところで広角駅はどこだったのか?線路のそばに出れたのはトンネルに近い辺りにある。そこから南にはなさそうだった。北を見ても道が線路のそばまできている場所はなさそうだった。となると、やはり今回たどり着いた場所が広角駅のあった所なのかなぁ?よくわからないので引き返して今度は熊野地駅の方に行ってみた。熊野地駅は昔紀勢本線が通っていたが、新宮駅からまっすぐ南にいくように線路が付け替えられた後、木材の搬出用に支線として残された駅だった。それも数十年前に廃止になったらしい。で、その辺りに行ってみたが、よくわからなかった。地図でこの道というのは見ていたが、実際に行っても何も残ってなさそうだった。

 そこで気を取り直して新宮駅から熊野市駅まで行ってみた。今回は駅の数が少ないので比較的余裕だった。鵜殿では紀州製紙の工場への引き込み線があり、そこの写真も撮っておいた。その先の紀伊井田、阿田和、紀伊市木、神志山、有井はどれも結構見つけにくかった。何故かって、みんな今の42号線沿いにはない。かといって、古い街道にも面してなかったりする。そこで古い街道に入って、その辺りできょろきょろして探さないといけないことが多かったから。特に紀伊市木と有井は難しかった。それ以外はまだ楽だった。駅舎はどこも古そうだった。ほとんどが駅名を右から書いてるし、駅の漢字として「驛」が使われていた。有井だけ駅舎がモダンだった。でもどこも閑散としていた。有井駅の後で花の窟神社に行ってみた。そこもいつも通過している所だったので。そこで御神体を拝んでから熊野市駅に行ってみた。熊野市駅ではお腹空いたので昼ご飯にさんま寿司を食べた。さらに時刻表を見ると那智勝浦行きと名古屋行きの特急南紀が入れ違うみたいだった。折角なのでその時間を待って、動画を撮ってから帰路についた。

 帰りは県道34号線を走って七色ダムの辺りに抜けるルートも走ってみたかったが、木本隧道も走ってみたかったので、今回は木本隧道を走って国道309号線と国道169号線を走って帰るルートにしてみた。木本隧道は狭いトンネルだが、半分近くが歩道にしてあった。なので当然のように一方通行だった。どこぞのxxパトの方のように動画を撮ろうかと思ったが,さすがにバイクだし,それなりの装備もないのでやめておいた。そこから42号線を走ると清滝が見えた。そこで清滝の遠景を撮っておいた。そこからはひたすら走って帰るだけだった。国道309号線に入った所で、時間通行制限の看板があった。普通は土曜日は「本日解除」と貼ってあるのに、その日は貼ってなかった。どうしようかと思ったが、待っても20分程度なので先に進むことにした。もし時間通行制限しているなら対向車も来ないから、その分楽しく走れると思って走って行った。ところが意外と対向車が来る。なんでかな?おかしいなぁと、思っていたが、どうやらその日は作業をしていないようだった。もしかしたら片側通行の区間があったので、そこが平日は時間通行制限している場所かもしれなかった。とにかく時間通行制限がなかったので、そのまま一気に名阪国道まで進んだ。 169号線を一気に吉野まで北上し、大滝辺りから県道262号線、県道16号線、県道370号線を使って北上した。カーブが結構続くのでかなり疲れてしまったが、なんとか無事に帰ることができた。

 今回は435 kmの走行距離だったが、距離の割に疲れてしまった。カーブの曲がり方もわからなくなってしまった。以前の超赤鳥号なら下半身だけで曲げていた感じだったのに,それだとうまくいかなかった。上半身の移動も重要だった。もしかしたら以前もちゃんと上半身の移動をしていたのかな?それにしてもなんで今回は今までと違うのかなぁ?また走りに行かないといけないなぁ、と思った一日でした。

多くの写真を撮影したので,全てを見たい人はMatsup's Motorcycleを見てください。