2011年6月17日金曜日

今度は海外

何が海外かって?それは音楽の旅の話。前回は日本の懐メロにはまったのだが,今回は洋楽で少しさまよってみた。

 きっかけの曲はカーリー・サイモン(Carly Simon)の You're So Vain という曲。邦題は「うつろな愛」だったらしい。なんかちょっと違うような気もするが…。とあるサイトでは,「あなたはとても自惚れ屋ね」という訳をつけていた。そっちの方がよさげな気がする。この曲はなかなかいい感じの曲である。一度ようつべ辺りで検索して聴いてみて欲しい。その曲を聴いた次はアルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」という曲を聴いた。南沙織か誰かがカバーしたとかしないとか,って話もどっかに書いてあったような気がするが,そりゃ,原作の方がいいでしょ。これまたいい曲なんだわ。ハイになる曲じゃないけど,なんか聞いていていいねぇ,っと思えるのよねぇ。

 次に聴いたのがプラターズ(The Platters)の煙が目にしみる(Smoke Gets In Your Eyes)。続いてThe Platters の Unchained Melody。さらにも一つ欠かせない Only You (The Platters) と聴いてみた。どれもプラターズの名作中の名作なので,安心して聞けたねぇ。今回はどれも聴かせる,って感じの名曲を聴いた。昔 FM で聴いていたジェットストリームでかかっていそうな曲ばかり。ジェットストリームと言えば城達也さんのナレーションがよかったなぁ。夜中にFMから聞こえる城達也さんの声はとても渋かったなぁ。

 で,続いては Sylvie Vartan の La Plus Belle Pour Aller Danser。カタカナで書くと,シルビーバルタンの「アイドルを探せ」という曲。これもどうも邦題はいまいちっぽい感じがするが…。シルビー・バルタンといえばフランスのアイドルだけど,未だに現役らしい。すごいなぁ。50年代にはもう第一線にいたんじゃなかったっけ?さらにシルビー・バルタンで IRRESISTIBLEMENT も聴いた。これは邦題が「あなたのとりこ」というらしい。フランス語ほとんど知らないから,邦題がどうなのかは知らないけど,「アイドルを探せ」も「あなたのとりこ」もどちらも好きな曲。こうみると節操無く好きな曲がいっぱいあるねぇ。

 シルビーを聴いていて見つけたのが,今回の最後,Louis Armstrong の What A Wonderful World。これも名曲やねぇ。Louis Armstrong といえば,サッチモと呼ばれたジャズトランペットの名演奏者であり,歌手,俳優など多彩だった黒人のアーティスト。戦時中にはすでに有名で,慰問に行ってもかなり人種差別を受けたらしいが,それでもそんなの関係なしにいい音楽を作り出していたみたい。1971年ぐらいに亡くなってるみたいなのに,未だに What A Wonderful World 聴くと新鮮なんだよねぇ。やっぱりいい曲はいつまで経ってもいいもんやねぇ

2011年6月14日火曜日

ハチのムサシがヨコハマでバカンス

 ネットのニュースで平田隆夫という人が亡くなったと出ていた。全然知らない人なのだが,その人といえば「ハチのムサシは死んだのさ」だ,と書いてあった。そういえばハチのムサシは死んだのさという曲があった記憶がある。何年前の曲だったんやろ?かすかに記憶にある。で,どんな曲だったのか,と思って検索してみた。なんとなく覚えていたがのだが,歌っていたのが女性で,デュエットだった,とかは全然覚えてなかった。当時はかなり売れた曲だったと思うが,あまりはっきり覚えていなかった。
 その曲を今回は「ようつべ」で聴いたのだが,横に他にも…とある中の多くの楽曲にひかかってしばらく懐メロにハマってしまった。

 まずは,青い三角定規の「太陽がくれた季節」。確か飛び出せ青春の主題歌だっけ??忘れてしまった。まだ中村雅俊が若かった頃のテレビ番組だったが。曲の印象としては,青い三角定規のボーカルのお姉さんの声はいい声してるなぁ,だった。曲自体はあまりに耳に残っていて陳腐に感じてしまったのは悲しい人間の性だろうか?
 その次にひっかかったのが赤い鳥の「翼をください」。実は赤い鳥というグループの存在を知らなかった…。そこから派生したハイ・ファイ・セットは聴いたことあったけど。曲も知っていたが,後年音楽の教科書に載ったのを知っていたぐらい。ちゃんと聴いてなかった。で,映像と一緒に見ると,これがしっかりしたバンドでやったいたみたい。ほんと知らなかった…。

 次に気になったのはジュリー。いくつか聴いたが,大昔に好きだったのは「危険なふたり」。しょっちゅう口ずさんでいたような記憶がある。他にも「時の過ぎゆくままに」もいい曲やねぇ。なんかジュリーのイメージが違って感じられてしまった。作詞は阿久悠らしい。やっぱりすごい人は違うねぇ。さらに「勝手にしやがれ」も聴いたが,「危険なふたり」や「時の過ぎゆくままに」ほどのインパクトがなかった。「勝手にしやがれ」はしっかりと記憶に残ってるからかもしれない。「時の過ぎゆくままに」は新鮮に感じてしまったからねぇ。そういえば映像で紅白の時のものだったと思うけど,バックでベースを弾く岸部一徳氏がよかったねぇ。ベースなのに目立っていた気がする…。

 その次に聴いたのは「岬めぐり」と「走れコウタロー」。どちらも山本コウタローが頭に浮かんだが,「走れコウタロー」はソルティー・シュガーというグループの曲らしい。「走れコウタロー」はコミックソングみたいだが,印象に残ってるなぁ。セリフが楽しい感じだった。歌詞を検索するといろいろ考えて作ったんやろなぁ,という感じがした。「岬めぐり」は悲しい内容なのになんか元気が出てくる感じが好きで,今でも好きな曲の一曲に入っている。初めて聴いた頃は,どこの岬に行こうと思ったのだろう?と思ったものだった。
 で,その流れで次に聴いたのはフォーククルセダーズの「悲しくてやりきれない」,「イムジン河」,「あの素晴らしい愛をもう一度」だった。帰って来たヨッパライは聴いてないかも…。今回聴いた曲は全て,帰って来たヨッパライとは正反対の渋い曲ばかりだったかも。ここでもなんか時代を感じたねぇ。

 さらに懐メロの旅は続き,次は「知床旅情」にたどり着いた。「知床旅情」といえば加藤登紀子の歌を思い浮かべるが作詞作曲は森繁久彌。私は基本的にオリジナルがいいと考える人なので,加藤登紀子が歌うのはどうなん?と思っていた。そこで,今回ようつべで捜すと森繁久彌氏の歌を聴くことができた。聴いた印象はというと…森繁氏の作詞作曲能力は高く買うけど,歌唱力は…。絶対に加藤登紀子の方がいいと思った。森繁氏の歌はうまくないというか,下手というか…。ちょっと残念だった。

 さらに聴き続け,次は「春夏秋冬」を聴いた。当然歌っていたのは泉谷!一度だけ西部講堂での泉谷しげるの歌を聴きにいったなぁ。あれはかなり印象的だった。なにせ,後ろからステージに向かって缶ビールが飛んできたし,「おいこらぁ,いずみやぁ~」という掛け声が普通にかかるステージだったから…。おまけに西部講堂ぼろかったし…。「おいこらぁ,いずみやぁ~」と「春夏秋冬」のギャプはすごかったなぁ。
 続いては,森田公一とトップギャランの「青春時代」,久保田早紀の「異邦人」。歌謡曲にもいい曲いっぱいあるねぇ。昔は他の人が作詞や作曲した楽曲を歌う「歌手」があまり好きじゃなかったなぁ。シンガーソングライターの方が自分で曲を作ってる分えらい,と思っていた。それでもすごく歌がうまい人ならいいんだけど,いまいちの人も多かったからねぇ…。そういえば,森田公一も久保田早紀も自分で曲を書いてた人達だった。

 歌がうまいと言って思い出すのは「ちあきなおみ」。あの人はほんとに歌がうまかったらしい。私が記憶にあるのは,当然「喝采」。確かレコード大賞受賞曲だったと思う(違ってたらごめんなさい)。子供ながらにうまいなぁ,と思った記憶がある。それもようつべで探して聞いてみた。やっぱり渋い曲やねぇ。さらに若かりし日のいしだあゆみの歌う「ブルーライトヨコハマ」も聴いてしまった。デビューの頃のいしだあゆみってすっごく可愛い人やったんやねぇ。
 で,そこまで行くとやっぱり行き着くのがザ・ピーナッツ(美空ひばりまでは辿りつかない世代なのでした…)。「恋のバカンス」,「恋のフーガ」,「ウナ・セラ・ディ東京」,「情熱の花」などなど。やっぱりハモるっていいよなぁ。「恋のフーガ」のドラム(正確にはティンパニか)がいい感じで入ってて新鮮な感じを与えてる。それにしても,古い映像で歌う時の踊りにかなり違和感を感じてしまった。というか,あの踊りはいらないんじゃないだろうか?と思ってしまった。それも時代なのかねぇ?そういえば,ザ・ピーナッツの知床旅情もネットにあった。やっぱり歌のウマさは加藤登紀子よりも上やねぇ。

2011年6月12日日曜日

ド○○の八百長「売り上げ半分に」 ????

 ネットニュースの記事のヘッドラインを見ていた時のこと。ふと目に入ったのが「ドイツの八百長売り上げ半分に」というタイトルだった。むむむ?ドイツで八百長?八百長でニュースになったのは韓国のKリーグじゃないのか?もしやドイツでもあったのか????
 と,思ったら,よく見ると「ドイツの八百屋売り上げ半分に: O104感染拡大」というのが正しいタイトルだった。確かにドイツを含むヨーロッパ諸国では,今O104とかいう出血性大腸菌(なんか正確じゃないような気がする…腸管出血性大腸菌O(オー)104が正しいらしい)の感染拡大で大騒ぎになっているみたいで,その原因として新芽野菜(もやし系か?)が疑われているらしい。少し前にはスペイン産のきゅうりが原因と名指しされたけど,疑いが晴れた,というのもニュースになっていた。そのあおりで八百屋さんで野菜が売れてない,ということだと思うのだが,何故か「八百屋」が「八百長」に見えてしまった。ぱっと見た感じ似てると思うのだがいかがだろうか?「やおや」と書くとひらがななので,それはそれで読みにくいかもしれないし…。ネットで調べると,どうやら八百長は八百屋の長兵衛という人物から来てるとか?そりゃ,似てて当たり前か。それにネットのニュースであまり八百屋ってお目にかからないような気がする。それで一瞬み間違えた,ということにしておこう(実は直前にも同じヘッドラインを見ていたのだが…)。今回のブログのタイトルで「ドイツ」を伏字にしておいたのは,念の為にみなさんに誤解を与えないための作戦である。本文の中なら,すぐに「実はね…」と出てくるが,タイトルに変なことを書くと,誤解を与えかねないからねぇ。まぁ,あくまで今回も私の勝手な思い込みなので,真面目に受け取らないでくださいな。

2011年6月10日金曜日

来ない,の三段活用??

 来ない,の三段活用とは…。きーひん,けーへん,こーへん,であるっ!!
というのは,あくまで私の独り言であるが…。この,きーひん,けーへん,こーへん,は何かと言うと,全て「来ない」を表している。また,いずれも関西圏で使われる言葉である。きーひん,は京都(町中)の言葉であり,けーへん,は大阪(船場や漫才)の言葉,こーへん,は神戸などの西寄りの言葉(京都,大阪以外という噂もあるが…),である。このきーひん,けーへん,こーへん,は単に「来ない」だけに留まらず,他の言葉遣いでの「語尾」にも現れている。京都では「〜してはる」や「〜しーひん」と言う。それが大阪になると「〜してへん」とか「何してんねん」となる。神戸ではどうなるかというと「〜しとう」や「何しとんねん」となる。つまり「い」の音か,「え」の音か,「お」の音か,の違いになる。それを端的に表したのが,きーひん,けーへん,こーへん,の「来ないの三段活用!!」となる。関西圏は大きさの割に地域によって言葉が大きく異なる。それはきっと歴史的なことが関係しているのではないかと思っている。平安時代以降,しばらくの間は日本の中心は京都であった。そのため,京都を中心として,同じような言葉が使われいてる,という話がある。このきーひん,けーへん,こーへん,もその辺りの歴史的な流れが創りだした物ではないだろうか???

2011年6月9日木曜日

布団は「着て」寝る

 時々,私の言葉遣いがおかしい,という人がいる。例えば,私は蚊に噛まれる,とよくいう。しかし,関東出身のやつに言わせると「蚊には刺される」ものらしい。関西では普通に蚊に噛まれる,蚊に食われる,という。ニュアンスとしては関西の言葉の方がよいと思う。なぜなら「刺される」というと「痛い」というイメージがあるが,蚊に食われても痛くはなく,痒くなるだけである。従って,痛いというイメージを持つ「刺される」よりは柔らかい表現の,食われるや噛まれるという方があってると思うからである。
 これ以外にもよく言われることがある。何かと言うと,私は布団を「着て」寝る人である。しかし,これまた関東出身の奴が言うには,布団は着ずに「かぶって」寝るものらしい。この問題は関西だから,という感じではなさそう。なぜそうなるのか?私の場合,「かぶる」という動詞は頭に何かをかぶる時に使う。帽子をかぶる,ヘルメットをかぶる,など。なので,布団をかぶる,というと,頭の上から布団をかぶってかくれんぼをする,というイメージになってしまう。ところが,寝る時には頭の上まで布団をかぶったりはしない。寒い冬でも普通は首から上は布団の外にある。どちらかというと「かぶる」よりは「着る」の方があっているように思う。他にも布団を「かける」,というのもあるが,「かける」だとどうしても他動詞というイメージがあり,自分の体にかける,というのはなんとなくいまいちな感じがする。誰かに布団をかける,ってのはいいのだが…。ネットで見る限り,昔は着物に綿を詰めたような着る形のふとんだったから,という話も見受けられる。実際のところはよくわからない。個人的には,なんとなく関東出身の奴の言葉にはイメージが足りない感じがする。言葉は文化なのでどういう表現をするかは人それぞれなのだが,もっとイメージを大切にして欲しいなぁ。

2011年6月8日水曜日

出身は?…関西ですっ!

 今回は少し趣を変えてみよう。
出身は?と聞かれると,大抵の人は都道府県ぐらいを答えると思うが,私の場合は「関西です」ぐらいしか言えない…。何故かって?それは,生まれたのは大阪府堺市なのだが,2歳の時に親父の転勤に伴って奈良に引っ越した。そのため堺にいた記憶も,影響も何もない。しかし,奈良にも小学校1年の夏休みまでしかいなかった。同じく転勤のために姫路に引っ越した。奈良の時の記憶は奈良公園によく連れて行ってもらったことや,あやめ池の遊園地に行った記憶ぐらいしかない。姫路ではそれなりの記憶があるが,それでもまだ外的な影響を受け易い小学生であり,言うほどその影響は残ってない。その後,小学校6年生の夏休みに神戸に引っ越した。そして高校を卒業するまで神戸にいた。そのため,言葉遣いや考え方など全て神戸の影響が一番色濃く残っている。従って,出身は?と聞かれると,神戸と言いたくなる。しかし,ほぼ中学・高校の期間しかいなかったので,出身というのもなぁ,となると,「出身は関西です」となってしまうのであった…。

2011年6月6日月曜日

R371を走る

 2011年6月4日に,再び国道371号線を走ってみた。まずは国道371号線を走破すべく,午前7時前に河内長野の本町交差点を出発して,南の端の串本を目指した。今回はGPSでルートを記録するのも目的だったので,盲腸区間は走らず,一気に串本を目指した。ルートや道路の様子は基本的に2010年5月に走った時とほぼ同じだった。ただ,しばらく荒天が多かったので,高野龍神スカイラインなどで一部杉の枯葉だらけの部分もあったが…。

 今回の出発点は河内長野の本町交差点。途中バイパスもあるが,まだ盲腸区間なので橋本までは主に旧道を走った。折角なのでルート図と合わせて記録したかったしね。河内長野から橋本まではいつものように余裕だった。橋本から高野山奥の院前までも,まぁまぁの感じだった。路面のアスファルトもそんなに悪くないし,落ち葉や石ころもほとんど落ちてなかったし。やっぱりみんなが普段から使う道は違うねぇ。変わったところというと,青少年旅行村の建物かその辺りを改良してるみたいだった。良も悪しくも他には特に変わった点はなかった。

 奥の院前の駐車場でトイレ休憩してから,さっさと次の高野龍神スカイライン区間に入った。高野龍神スカイラインは余裕〜,と思っていたら,ここしばらくの荒天のせいか,路面に杉の落ち葉がたっぷり落ちているところがあった。確か鶴姫の先ぐらいだったと思う。轍はましになっていたので,数日前に吹きだまったんだと思った。それ以外は特に問題なく進めた。意外だったのが護摩壇山が空いていたこと。少し時間が早かったからかなぁ?高野龍神スカイラインが終わると,龍神温泉から旧龍神役場のある龍神村西の集落まではいつものように至極快適な道だった。途中,国道425号線の分岐の所で,R425の工事のよる時間通行制限の看板があったので見てみた。そしたらガードマンのお兄さんがいろいろ説明してくれた。今回の工事で一番長いのは牛廻越の向こう側ということだった。日曜と祝日は休工するということだったけど,土曜日は工事をしてるらしい。工事関係者の方々はご苦労様です。

 龍神村西から中辺路までの第一分断区間(私が勝手にそう呼んでいる)は,改良工事が中断されているという話だったのだが,2011年1月にその区間をつなぐ工事をする予算がついた,という記事を読んでいたので,もしかしたらもう工事始まっているかなぁ?と期待していった。しかし,まだ工事は全然始まっていなかった。入札とかの手順がまだあるのかなぁ??その先の区間は大きな変更はなかったが,中辺路町小松原付近で少しだけ道が改良されてた。去年(2010年)走ったときに工事していた区間が完成していた。それ以外は去年と同じだった。龍神村側からのアクセス路となっている林道の最後の区間は相変わらずアスファルトがひどいままだった。

 去年(2010年)はこの辺り(中辺路)でお昼近かったのだが,今回はまだ昼までたっぷり時間があった。うまくいけば午後1時頃にはゴールできそうという感じがしてきた。とりあえず中辺路でガソリンを補給しておいてから,最後の区間に突入した。最後の区間と言っても,滝尻王子から合川ダムのダム湖を渡る三川大橋までと,三川大橋から古座川町平井,さらには串本までの区間,に分かれるが…。滝尻王子から三川大橋までの区間は,前半と中盤に狭路区間が残っている。どちらも酷道度は一級であり,それなりに走りごたえがあった。しかし,なんといってもR371と言えば,三川大橋から林道を挟んで古座川町平井へと抜ける区間でしょう。三川大橋から木守までの区間は酷道度は超一級であり,それなりの技量がないと走るだけでも辛そうな区間が続く。しかし,この道は地元の人の生活道路であり、普段から使っておられる地元の人はすごいなぁ,と感心してしまう。道の状態としては,全般に苔が多い感じがした。季節柄雨が多いためだと思っているが,もしかしたら年々苔が増えてたりする??他には,高野龍神スカイラインと同じく荒天のせいと思われる杉の落ち葉や枯れ枝が多く見られた。パンクなどの致命傷にはならないが,上に乗って滑ると怖いので,多少気を使う点であった。木守から先の林道木守平井線(玉の川林道)区間は,前半の峠まではまだよかったが,峠から先の下りは,路面も荒れて段差や窪みがあったし,杉の落ち葉や枯れ枝も多く,法面からの小石がいっぱい路面にあって,去年(2010年)よりも道が荒れた印象だった。おかげで去年よりも格段に走りにくかった。また,鮎の季節みたいで,車も多く,危なく事故りそうというのが数回あった。運良く何もなく過ごせたが,これまた走りにくい原因の一つでもあった。

 平井から先はこれまた例年通りの感じだった。変わった点と言えば,三尾川橋の先で工事中だったバイパスが完成していて,古いトンネルを含む旧道区間が通行止めになっていた。それ以外はここでも良も悪しくも昨年通りだった。そこでさっさと走ってゴールを目指した。結局ゴールには午後1時半頃着いた。昨年は午前6時頃出発して午後3時過ぎに着き,9時間以上かかったのだが,今年は6時間半ぐらいですんだ。一番の違いは盲腸区間を探査しなかったから,というのが効いていると思う。昨年はそれで時間を使い,古座川の一枚岩の道の駅でしばらく休憩してしまった。その休憩でも1時間ぐらい使ってしまったので,その辺りの差が2時間半〜3時間の差につながったんだと思う。また,一度走って見覚えがある道だと,意外と疲れずに走れた,というのも違う点かもしれない。いずれにせよ,無事走破出来てよかったよかった。

 R371の後は,折角なので,紀勢本線の駅訪問で行ってない駅を目指すことにしてみた。これまで白浜の一個和歌山よりの朝来駅までと,和歌山から南へ順にたどった先の湯浅の隣の広川ビーチ駅までを訪れている。後は紀伊田辺駅付近から御坊駅,由良駅付近であり,残り13駅まできている。今回は朝来駅の隣の紀伊新庄駅から順に辿り,道成寺駅までを訪れた。途中,停車場中心標を撮り直すために,周参見駅,紀伊日置駅に寄り,時刻表を撮ってなかった朝来駅に寄った。残りは御坊,紀伊内原駅,紀伊由良駅の3駅を残すだけとなった。これは国道425号線を走破する時についでに寄ればいいと思っている。次回チャンスがあれば,是非国道425号線と紀勢本線の駅訪問を完成させたいと思っている。
(もっと写真を見たい人はMatsup's Motorcycle Siteを見てくださいな)