2012年12月5日水曜日

Google Map の交通状況の表示

 2012年12月2日(日)に中央道の笹子トンネルで,トンネル上部にあった換気スペースを作るための天井板(コンクリート製)が長さ 110 m にわたって崩落する大惨事があった。ここではその件に関しては特には書かないでおこうと思っている。いずれにせよ亡くなられた方々のご冥福を祈るばかりである。

 その事故の記事を見ていると,関連情報として付近の渋滞情報というのがリンクされていた。中身を見ると,Google Map みたいだった。いつの間にそんなサービスを始めていたの?と思って,いろいろと検索してみた。どうやら Google Map が交通状況を表示し始めて1年ほど経っているみたいだった。そういえば,Google Map 上で交通状況ってのを選べるなぁ,と思った事があるような気もする。でも,初期の頃はあまり情報が表示されなくて,関心を失ってしまったような気がしている…。…忘れてしまった。しかし,今回見てみると結構情報が表示されている。関西圏を見てみると平日なら大阪や神戸,京都では結構渋滞している。

2012年11月29日木曜日

砺波高岡道路を走る

 最近気づいて気になっていた道路「砺波高岡道路」をバイクで走ってみた。 2つほど前のエントリーにも書いたのだが,その続き。
2015年9月にこの最後に出てくる伊賀コリドールロードの全線を走ってみた。

 きっかけは奈津子氏のサイト。 なにげに奈津子氏のサイトを見ていると,三重県名張市なのに「砺波高岡道路」と書かれた道路があるとのことだった。web 上の地図をいくつか見てみると,確かに Google の地図にも,Yahoo の地図にも「砺波高岡道路」と載っていた。(2012/11 時点。そのうち修正される可能性あり) どちらもゼンリンのデータを使っているみたいだった。 そこでゼンリンのオンラインの地図を見てみると「砺波高岡道路」との表記はされていない。 どうもこれはゼンリンがミスしたものが,ゼンリンのデータを利用している地図に残っているんじゃないだろうか? ゼンリンのデータは修正されても,それが地図に反映されるのにはかなり時間がかかるみたいやし。 バイク用に買った GARMIN 社製のナビも同じゼンリンのデータ (2011/11 のデータ) を使っているのだが, やはり「砺波高岡道路」と書かれた道路が存在している。 ちなみに車のナビには「砺波高岡道路」という表記はない。 うちの車のナビは広域農道はあまりいい待遇を受けていないのが理由かもしれないが…。 また,2010 年のツーリングマップル関西だと「伊賀コリドールロード」という広域農道となっている。

2012年11月12日月曜日

秋の紀伊半島を走る

 しばらくバイクで走っていなかったので,紀伊半島を走りに行った。どこを走るか迷ったが,最終的に R169 を南下して,不動トンネルから下北山村に抜け,三重県道40号線で丸山千枚田に向かった。その後,R311 から R169 で本宮に出て,中辺路を走り,水上栃谷トンネルを通って,高野龍神スカイラインを走った。そして R480 で和泉市に抜け,日本橋に寄ってから帰った。

 出発は午前6時半頃になった。もう少し早く出ようと思っていたが,ここ数日の寒気で気後れしてしまった。行き先は大体しか決めていなかったので,走りながら考えた。R308 を走ってみる,という作戦もあったが,天気もいいし折角なので紀伊半島を走ることにした。紀伊半島と言っても広いが,今回は今シーズンまだ一度も走っていない高野龍神スカイラインを走ろうと思い立った。また,帰りに日本橋に寄りたかった。そのために南から高野龍神スカイラインを走り,高野山から紀ノ川沿いに下り,R480 で山を越えて日本橋に向かう作戦にしてみた。南から高野龍神スカイラインに入るには龍神村に行かないといけない。如何にして龍神村に行くか,だが,R168 の南向きはこの間走ったので,R169 を南に向かうルートにしてみた。R169 もこの間走ったが,その時は北向きだったし。また,工事で通行止めだった三重県道40号線も工事が終わったみたいだったので,r40経由で丸山千枚田も見に行こうと考えた。その後は R311 で中辺路から水上栃谷トンネルで龍神村に行くプランとなった。

2012年10月12日金曜日

なぜ砺波高岡道路が三重に?

よくお邪魔させていただく奈津子氏のサイトで,某リンゴ社の地図についての話題が載っていた。 それは某リンゴ社が新しくした地図の日本に関する部分でかなり誤植がある,というニュースを受けて,実際に使っておられる奈津子氏が書かれたものだったのだが,その中で「ググル地図だって、近所の農道が、砺波高岡道路になってるんだから」という記載があった。 最初読んだ時は全く気づいていなかったのだが,今日,やほーの地図をみて気づいてしまった。 なんとこんなところに砺波高岡道路というのがあるではないですか?

やほーの地図だけではなくて,ググるの地図にもあったし,まぴおんにも砺波高岡道路という記述があった…。 ウォッちずとマップファンにはなかったが,何故こんな記載があるのだろうか??? もしかして,ほんとにあの道(どうやら農免道路らしい)の名前は砺波高岡道路なのだろうか??? どうみてもぱっと見た感じ富山県の道路としか思えなかったのだが…。 ちなみに富山県には高岡砺波道路というのがあるらしい…。 うーん,これは是非印刷されている地図も見てみないと…。

よく見ると,ググるもやほーもまぴおんも元のデータはゼンリンのものみたい。どの地図にも右下か左下に zenrin と記載がある。しかし,ゼンリンの web 上の地図には砺波高岡道路という記載はない…。うーん,謎だっ!きっと誰かが間違えて記載したのがそのまま使われたのではないだろうか???この事実が消えないようにスナップショットにしておこう。
Yahoo Map
Google Map
Mapion
Zenrin

2012年10月5日金曜日

ゴールデンスランバーを見た

この間の週末は台風が近づいていたので家にいた。でも暇だったのでDVDのレンタルをしようと思ってレンタル屋に行ってみた。特にこれを借りたい,というのはなかったが,折角なのでなにか借りてみようと思った。その時,ふと目に入ったのがゴールデンスランバーだった。タイトルを見て,手にとってみたくなった。そして主演が堺雅人氏というので気になった。それ以上はあまり気にせずに借りることにしてみた。

見た感想はというと意外と面白かった。「意外」と書くと怒られるかもしれないが,全く予備知識なしで見たので「意に反して」という意味で「意外」に面白かった。あらすじ等は検索してみて欲しいが,設定なども結構面白かった。原作は伊坂幸太郎氏というのも映画を見てから知った。伊坂幸太郎氏というと重力ピエロの文庫本を読んだことがある。なかなかおもしろい作品を書く作家という印象がある。映画を見る限り,ゴールデンスランバーもなかなかおもしろい作品だろうと思うが原作は読んでいない。

映画に戻ると,キャストがこれまた意外だった。主要なメンバーの堺雅人,竹内結子,吉岡秀隆,劇団ひとり,や,追いかける側の香川照之,キルオの濱田岳あたりは素直に受け取れたが,永島敏行がショットガンを撃ちまくる怪しげな役なのが驚いた。他にも柄本明,ベンガル,大森南朋,貫地谷しほり,相武紗季,石丸謙二郎,でんでん,木下隆行(TKO),山口良一,木内みどり,伊東四朗,竜雷太とそうそうたるメンバーが入っていた。かなり頑張って作ってある映画なのに,実は全然知らなかった。うーん,映画に対するアンテナが鈍っていたにしても,なんで知らなかったのでしょう???

メンバーがメンバーだけに,皆さんの演技は当然しっかりしていた。どこかの下手くそなアイドルを使っていないのでそういう意味ではとても安心して見れる映画だった(若干気になる人もいないことはなかったが…)。結末はハリウッドの映画と違って,戦ったりせずにうまく逃げたねぇ,という感じだった。意外といえば意外だったが,そういう風に終わらせるかぁ,という風に受け取った。
やたら特撮とかを駆使しまくってお金かけて作ったハリウッドの大作とは違ういい味を出してると思った。昔のフランス映画を彷彿とさせる感じだった。久々にいい拾い物をした感じ。

2012年9月20日木曜日

一ノ倉沢とモグラ駅

一日目に戻る
 二日目の行き先は谷川岳と日本一のモグラ駅と称する土合駅にしてみた。 西那須野の宿から谷川岳までは,日光から中禅寺湖のそばを走って片品村経由で沼田インターに抜ける道を走ってみた。 ここでもナビは大活躍だった。なにせ戦場ヶ原経由で土合駅まで行く,と設定すると経路を案内してくれたし, 今回は関東の地図を持ってなかったので,ナビだけが頼りだった。

宿から国道4号線で南下し,途中から国道461号線で日光に向かった。 下今市からは日光宇都宮道路を走って終点まで行き,そのままいろは坂を登って中禅寺湖に向かった。 今回は華厳の滝や竜頭の滝はパスして先に進み,戦場ヶ原で休憩した。 そこからそのまま国道120号線で金精峠を通って片品村経由で沼田インターに向かった。 中禅寺湖畔や戦場ヶ原は高山特有の湿原などがありとても雰囲気のいいところだった。 沼田インターから関越道で水上インターまで行き,最後は国道291号線で谷川岳ロープウェイの乗り場を目指した。 途中,湯檜曽の先で工事のため片側通行箇所が2ヶ所あり,ちょっとめんどくさかった。 ロープウェイ乗り場では5階建ての駐車場の一番下にバイクスペースがあったので,そこにバイクを駐めた。 谷川岳ロープウェイのサイトには普通自動車の駐車料金しか記載がなかったが,バイクは半額の250円だった。

浄土平と峠駅

 台風16号が九州沖縄に近づいてきていたせいでちょっと天気に不安があったが,念願の磐梯吾妻スカイラインツーリングに行ってきた。 日程は1泊2日。より正確には1泊3日という方が正しいかもしれない。最後は宿泊せずに夜通し走って帰ったので…。 今回は,GARMIN 社製のポータブルナビ nüvi 3770V を買って初めてのツーリングになったので, 前日仕事を休んでなんとか nüvi 3770V を使えるような状態にしてから出発した。 但し,防水は防水袋をかぶせるだけ,というかなり強引な形のまま出発した。 それでもかなりの雨の中でも防水機能を発揮してくれたし, いちいち地図をみないでもよかったので大変ラクなツーリングになった。 (一時ナビが不調になって困ったが…)

 初日はまず北陸道で新潟まで行き,そこから磐越道を走って会津若松の東の磐梯河東インターまで行った。 距離にして 650 km 以上高速を走ったので,さすがに最後は疲れてしまった。 途中,小矢部川サービスエリアと米山サービスエリアでガソリンを補給した。 小矢部川サービスエリアは午前6時以降午後10時までしかガソリンスタンドが営業していないので夜中走る時には気をつけないといけない。 今回は出発がちょっと遅くなったために小矢部川サービスエリアは午前6時を過ぎていたので,ガソリンを補給できた。 普段は尼御前サービスエリアで入れておく方がいいみたい。 また,新潟方面だと黒埼パーキングエリアに最後のガソリンスタンドがあるらしい。

2012年9月4日火曜日

トンネル探訪

ふと,JR西日本の北陸線の旧線跡に行ってみた。

向かったのは敦賀の前後にある北陸線の旧線跡。 最初は敦賀の手前にある柳ヶ瀬トンネルを含む区間。 北陸道の木之本インターチェンジで下りて,国道365号線を北上すると旧北陸線の柳ヶ瀬隧道を再利用した柳ヶ瀬トンネルへの分岐が現れる。 柳ヶ瀬隧道は単線時代の北陸線のトンネルで,明治初期に作られたらしい。 どうやら敦賀が大陸との貿易の拠点だったので,早くに敦賀まで鉄道を敷設したみたい。 柳ヶ瀬トンネルは単線時代の,それも明治初期に作られたトンネルだけあって,鉄道トンネルの割には狭い感じがした。 内部はレンガと石積みでできていたが,結構漏水があって路面は濡れていた。 そのくせ結構長いので,交互通行信号の待ち時間は最大5分になっていた。 意外と車の走行が多かった気がするなぁ。
柳ヶ瀬トンネルを抜けると刀根の集落に着く。 その付近は今は北陸自動車道の刀根PA付近になってしまっている。 そのため旧北陸線の遺構はほとんど残っていない。 残っているものとしては小刀根トンネルぐらいしかないみたい。 刀根の先で国道8号線に合流する。そして疋田に向かう。 疋田で北陸線の現行線と合流して敦賀駅直前のループへと向かう。 今回は現行のループ区間はパスして,国道8号線のバイパスで北陸道敦賀IC前を通り,敦賀駅の向こうで北陸線のそばに戻った。 北陸線は交直交換のデッドセクションを通過してすぐに長い北陸トンネルへと入っていくが,旧線は現行の国道476号線に沿って北上する。 走っているとところどころにトンネル跡があったりするが,基本的には国道476号線になってしまっている感じ。 そのまま旧線跡は国道476号線のまま葉原の集落までいく。 葉原の集落の先で北陸線旧線は国道476号線から離れて北陸自動車道に沿って北上する。

2012年8月29日水曜日

高い山に登った

2012年8月26日(日)から翌27日(月)にかけて富士山に登ってみた。

富士山は誰もが一度は登ってみたいと思う山だと思う。ご多分にもれず私も登ってみたかった。そろそろ挑戦しておかないと一生登れないかもしれない,と思い,今回思い切って登ってみることにした。

ルートは4つあるうちの須走ルートにしてみた。理由は,4つのコースの中で唯一樹林帯からガレ場へと変化し,かつ,帰りに砂走りがあり,東から登るから山頂まで行けなくても御来光が見れる,ツアーが使わないのでマイペースで登れる,など。日程は土曜日の夜は混むので,日曜に登り始め,途中山小屋で一泊して月曜日に山頂に登る,という作戦にしてみた。 宿泊は吉田ルートと合流する八合目よりも手前で,かつできるだけ高い位置ということで本七合目にある見晴館という所に泊まることにした。

登り始めは日曜日の朝で,ふじあざみラインは通行規制中だった。 そのため道の駅すばしりの近くにある駐車場に車を置いてシャトルバスで須走口五合目に登った。 午前八時前に五合目に着き,五合目で高山病対策として1時間以上ぼーっとしてから出発した。 どの程度効果があるのかはよくわからないが…。

須走ルートは最初樹林帯を抜ける。その区間はある程度日陰があり,歩くには楽だった。 五合目から歩き始めて最初にある休憩場所は六合目なのだが,そこまでは結構長い感じがした。 それでも木々の中を歩き,かつ,言うほど砂地ではないのでそんなに疲労感はなかった。 須走ルートの六合目の山小屋は長田山荘といい,鯉のぼりが目印だった。 高度は 2,400 m 地点にある。 山小屋は地上に比べて物価が高いことを除けば普通の感じがした。 六合目で休憩してから次の本六合目に向かった。

2012年8月2日木曜日

なんかトラブル続きの夏の祭典

テレビをつけると連日やっているのは夏のスポーツの祭典の話題。お家芸と言われる柔道がなかなか金メダルが取れず,体操も男子団体はミスが続いて銀。それも内村の演技に関する採点に対して抗議してなんとか銀にしてもらったとか…。

そういえば,今回は審判受難の大会のような気がする。柔道の試合の判定で,3人の審判が下した判定をジュリーとか呼ばれる審判委員がひっくりかえさせた,というのがあった。ちゃんと見なおすと明らかなミスらしいのだが,一人じゃなくて3人とも判定がおかしい,ってどういうことなんやろ?それって審判のレベルが低すぎるってこと???あるいは審判が賄賂でももらっていたのか??と疑ってしまう。サッカーの試合などでも審判によっていい試合になるような試合であっても,クソ試合になってしまうから,審判はとても大切なのだが,どうもサッカーでも素人が見ても明らかに下手くそな審判が多くなってきたように思う。たぶん,プロの選手などは活躍すると大金をもらえるけど,審判には名誉しかない,っても関係してるかも,と邪推してしまう…。でもまぁ,どうみてもおかしい審判にはなんらかのペナルティがあってしかるべきだと思うので,今回の件はある意味仕方ないのかも,しれない。

しかし,なんでそんなレベルの低い審判を起用するのかねぇ?そもそもそこが問題点なのかもしれない。

2012年7月31日火曜日

南へ

(もっと写真を見たい人はMatsup's Motorcycle Siteを見てくださいな)

暑いのに 2012年7月29日(日)に紀伊半島に走りに行った。 今回はどこを走ろうかと思ったが,ネットで調べると 1 年近く不通だった国道169号線が全線走れそうだったので,今回は国道169号線を行く,にしてみた。

国道169号線(以降 R169 と記載)は,奈良市県庁東交差点から南下し, 天理,桜井,橿原,吉野,川上村,上北山村,下北山村,北山村,十津川村, と紀伊半島を縦断して和歌山県新宮市の橋本交差点に至る国道である。 以前は北山村小松から十津川村田戸の間が未開通であった。 また,紀伊半島の山の中はほぼ全線酷道だったようだが,近年は改良が続き多くの部分では走りやすい道になっている。 それでも七色ダム付近,北山村小松付近,新宮市熊野川町玉置口付近には狭路急カーブの酷道区間が残る国道となっている。

今回は全線走破を目指して,午前5時半頃奈良県庁東を出発して一路新宮市を目指した。 奈良市から吉野までは飛鳥・奈良時代などの古い古墳や神社などが多く残る地域を走る。 この辺りは田畑の多くが住宅地になっており,ちょっとした田舎をひたすら走る感じである。 特に天理市から桜井市にかけては近くに大きな古墳が見え,独特の雰囲気を持っている。 桜井市から橿原市にかけては国道165号線と重複,その先で一部国道24号線を重複している。 JR畝傍駅や近鉄八木駅がある付近では,R165とR24と共に複雑な路線を構成していて, R169 に従って走るには注意が必要だった。

2012年7月30日月曜日

かあちゃんの店が仮復旧

日曜日に紀伊半島をバイクで南下した。その際,本宮町宮井から新宮まで国道168号線を走った。驚いたことに熊野川町田長に作られていたバイパス用のトンネルが出来上がって運用されていた。また,そのトンネルから熊野川町日足をバイパスする高架ルートも橋桁が8割方載せられていた。道が徐々によくなっていくねぇ…。

その後,さらに国道168号線を南下して,道の駅・瀞峡街道熊野川がどうなったかを見に行った。さすがに道の駅自体はまだ何もなかったが,そこに仮設の店舗があった。何かと思って寄ってみると,あの「かあちゃんの店」が仮店舗で営業を再開していた。いつ再開したのかを聞いてみると,2012/7/28 (土) との事だった。なんと復活した次の日にたまたま通りかかったみたい。そこでお昼ごはんにと思ってめはり寿司を買って食べた。かあちゃんの店が復活してるのを知って,少し元気をもらった。

皆さんも熊野川町に行く際は,是非寄ってあげてください。


2012年6月21日木曜日

他人を批判するのは容易いが…

ここしばらくニュースを見ていて感じるのが,他人を批判するのは容易いが,自分がその立場に立って自分が批判している状況で自分が正しいと思ってることができる人間がどれだけいるのか?ということである。例えば,ユーロ2012のイングランドとウクライナの試合で,ウクライナのシュート(あまりシュートっぽくなかったが…)をイングランドのテリーがゴールの中に倒れ込みながら蹴りだしたシーン。それをゴール横で見ていた審判がゴールとしてみ認めず,その結果ウクライナが予選リーグで敗退した。後で,映像で確認すると数センチゴールラインを越えていた,と判断され,審判部長のコリーナ氏が謝罪した,らしい。これまでサッカーの審判に関しては,多くの疑惑の判定が残されている。しかし,今回の件は「個人的な見解としては」仕方ない,と感じる。文句をいう人にやってもらいたいのが,実際にゴール横に立って,ボールがゴールラインを越えたかどうかを実際に見て判断するという作業。90分(実際にはもうちょっと長いが…)のうちに,そんな判定をしないといけないシーンは数回あるかないか,である。そのくせ判断は一瞬でしないといけない。いくら横に立っていても,ぎりぎりで,かつ今回のようにディフェンダーの足もあったりすると,微妙な判定は難しいと思う。つまり,瞬時に判定するのはとても難しいということになる。以前なら,明らかに中に入っているのに,それが入ってないと判定された,というのがよく問題になっていたが,今回のはかなり微妙な部類に入ると思う。数センチも入っていたじゃないか,と言われそうだが,逆にたかだか数センチという気もする。ウクライナにしてみたら決勝トーナメントへの進出がかかった点だったので,文句を言って当然だが,逆に言うと,得点が入りそうなシーンが他になかった,というのが根本的な問題だと思う。もっとはっきりとゴールラインを越えるようなシュートがなかったということの方が問題だと思う。
じゃあ,すぐに機械を使った判定が必要か?と言われると,それはそれで味気ないような気もする。人間がみて,かなり微妙に見える,ってことはまぁ,どっちに転んでも仕方ない,と思う。
むしろ,日本とオーストラリアのワールドカップ予選の試合の審判の方が問題なような気がする。大したことないことですぐにファウルの判定をするし,やたらイエローカードだすし。そう考えるとワールドカップよりもユーロの方がレベル高いと思うなぁ。何せワールドカップもワールドカップ予選もレベル低い審判が多すぎると思う。基準もすっごくばらばらやし…。あれはなんとかならんのかね??

もう一点思うのが,福島の原子力発電所の津波によるトラブルの問題。事故調査委員会が3つもあって,それぞれが報告をしたり,しようとしたりしているが,その中でとっても気になるのが菅総理大臣の対応の問題。総理大臣が東京電力の対応に干渉しすぎた,と批判が出ているが,本当にそうだろうか?マスコミやネットでの批判を聞いたり読んだりして思うのが,彼ら批判している内容は正しい事実に基づいているのか?ということと,ほんとに批判されるべきことなのか?ということ。当然ここも私の「個人的な見解」なので,そのつもりで読んで欲しいが,まず,我々にとって致命的なのことは,ほんとの情報が少ない,ということ。菅さんがブログで書いているが,東電本社と官邸や福島の原発とのやり取りの記録があるものは全て公開すべきであり,その上で国民の判断を仰ぐのがほんとは一番いいと思う。東京電力の作ったお手盛りの事故調査委員会報告書の内容なんて全く信用出来ない。そもそも,下手したら東京にも人がしばらく住めなくなくなるかもしれない,という未曾有の危機の時に,総理大臣がなにもしない方がおかしいと思う。東電幹部は干渉しすぎというが,東京電力に日本を潰されたらそれこそたまらないし,原子力保安院は情報を集めようとしていたのに,情報がないと怒鳴られたと文句を言っているらしいが,それだって情報があまりに遅かった,というのが正しそうな気がする。呑気な予測で作った現場近くでの指揮等を行うはずのオフサイトセンターは全く使えない,という情けない状況だったし。菅総理大臣が原発の所長に直接電話したのだって,東京電力の本社を通しても情報を操作されるのがミエミエだったから,直接聞いたまでのことであって,それぐらいは当然のような気がする。それだけの事態だったのだから。しかし,国や国民のことなんて考えずに自分の立場ばかり気にする人々は逃げ道として菅総理大臣に責任を押し付けすぎてる気がする。そもそも原子力発電は自民党政権が推し進めてきて,安全対策や出来の悪い原子力保安院という組織も自民党政権が作ったもんじゃないのか?まず批判されるのはそれらの人々だと思う。もっとそこを批判すべきであって,そんな不利な状況の中で国の浮沈の責任を背負わされた人に批判を集中するのは間違っていると思う。ただし,菅さんのやったことが全て正しかったかどうかはわからない。それは何年か経って初めてわかると思う。自分が菅さんの立場に立っていれば,何ができたのか?それも一刻を争う状況で,「さぁ,総理大臣,どうしますか?あなたの判断で国が生き残るのか,潰れるのが決まります。正しい判断をすぐにしてくださいっ!」と言われて,あなたは判断できますか?決断できますか?他人を批判するのは容易いことだが,ほんとに考えて責任を持って批判している人はどれだけいるのだろうか?

2012年5月21日月曜日

潮岬へ

2012/5/19 に紀伊半島を走って潮岬に行った。

5月なので紀伊半島を走りに行った。出発は午前5時頃。順調に阪和道を走って,その先は国道42号線をひたすら走って潮岬を目指した。白浜から潮岬までは綺麗な海を見ながらのんびりモードだった。天気が良くて海も空とてもきれいでとても気持ちいいツーリングだった。串本から潮岬へはいつも使ってる外周の道じゃなくて,集落の中の道にしてみた。ふといつもと違うルートにしてみたくなったから,というのが理由。走ってみて思ったのが,今回使った道はもしかしたら昔からの潮岬灯台に行くための道かも,と思ってしまった。灯台近くに来ると両側に木が覆いかぶさるように生えているところがあり,ちょっといい感じだった。潮岬では,これまた初めて潮岬観光タワーに上がってみた。 1回 300 円なのだが,何故かこれまでは無駄と思っていた。でも,今回はいつもと違うことをしたかったし,300 円やから安いやん,と思って登ってみた。天気も良かったしね。登った感想は意外とよかった。まぁ,何度も登りたいとは思わないけど,たまにはいいかも,と思った。そこで写真を撮ってからさっさと次を目指した。

その先は新宮までは国道42号線と那智勝浦新宮道路を走り,新宮から先は紀和町,オレンジロードと走って熊野市駅の裏側に行った。そこから木本隧道を走って大泊の方に行き,国道311号線で波田須,新鹿,遊木,二木島,甫母,梶賀,賀田,古江,三木里と走り,三木里から国道42号線のバイパスとなる熊野尾鷲道路の新八鬼山トンネルで一気に尾鷲に着いた。尾鷲ではいつもの和幸寿司さんでちょっと遅めのお昼を食べた。尾鷲からはできたばかりの紀勢道の尾鷲北インターから海山インター間を走り,再び国道42号線を走って大内山まで行った。大内山のミルクランドというお店でソフトクリーム休憩を取った後に,紀勢大内山インターから紀勢道,伊勢自動車道を走って帰りました。

今回はとても天気がよく,空も海も青々としていた。やっぱり天気がいい日のツーリングは気持ちいいねぇ。

2012年5月14日月曜日

すごい

すごい。何がってマンチェスターシティの優勝。勝たないといけない試合で,1点差で負けてる延長(5分程度)に2点をいれて逆転で優勝って,それはすごいわ。あれは誰でも諦めかけた時だけにほんとすごいわ。それも優勝がかかった試合で,やからなぁ。最終的に決勝点が入ったのは終了の1~2分前やもんなぁ。シティにはおめでとうと言ってあげたい。

2012年5月6日日曜日

新しい道を走り,峠を越え,鎮魂の山に行く

今シーズンもGWに泊まりで走りに行った。今回の目的は,新東名を走り,大日影トンネル遊歩道を歩き,雁坂トンネルを越え,小鹿野町に行き宿泊,榛名山を走り,八ヶ岳近くを走り,権兵衛トンネルを走る,としてみた。日程は2泊3日にしたかったのだが,天候が悪くなるとの予報があったので,1泊2日となった。

出発は祝日だったので,あまり焦らずに出発した。それでも出発は午前5時前だった。東名阪から伊勢湾岸道を走り,豊田ジャンクション (JCT) から東名に入った。豊田 JCT から浜名湖の手前の三ヶ日 JCT まで東名を走ったのだが,本来片側2車線路を強引に片側3車線路にしていた。そのため路肩が狭くなっていて,制限速度が 60 km/h に下げられていた。新東名が浜松いなさ JCT から豊田東 JCT につながるまでこの状態なのかもしれない。三ヶ日 JCT から浜松いなさ JCT までが東名と新東名の連絡路となっている。連絡路は他にも清水の辺りにもあり,そちらはすでに本来の連絡路として使われている。浜松いなさ JCT からは,北に向かって三遠南信道が国道151号線までつながっている。浜松いなさ JCT からが本格的な新東名の区間となる。今回開通した新東名の区間には,3つのサービスエリア (SA) がある。西から,浜松 SA,静岡 SA,駿河湾沼津 SA であり,新しいタイプのサービスエリアらしい。ドッグラン(犬が遊ぶスペース)などもあるらしい。今回,浜松 SA と駿河湾沼津 SA に入ってみたが,時間的なものもあると思うが,より人口の多い首都圏に近い駿河湾沼津 SA の方がいっぱいだった。

2012年4月16日月曜日

シーズン開幕

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2011年9月3日から4日にかけて紀伊半島を襲った台風12号に伴う豪雨で紀伊半島は大変な被害を受けた。紀伊半島を新宮から五條へ南北に貫く国道168号線,169号線も多くの箇所で寸断され,しばらく不通の区間が残っていた。その後,2011年11月に国道168号線を走ったが,その後どうような状況下を知りたくて,2012年シーズン最初のツーリングとして国道168号線と国道169号線を走ってみた。

今回は4月なので早く明るくなるから早く出発しようと思った。しかし,朝の気温が低くて出発は午前7時頃になってしまった。今回のルートは,五條から新宮に国道168号線を走って新宮に抜け,熊野から国道309号線で下北山村に向かい,そのまま国道169号線を走って,吉野経由で帰る作戦にしてみた。実際には新宮から先は走りながら決めたのだが…。お昼は川上村の国道169号線の迂回路の待ち時間に食べようと思って,ゐざさ寿司でゐざさ寿司と柿の葉寿司がパックになったものを買った。しかし,西谷橋に仮設橋がかかっていたので,昼飯を食べれたのはもっと後になってしまった…。

今回も大和郡山から京奈和道を使って大和高田まで行き,大和高田バイパスで少し西に行ってから,国道24号線にそって御所経由で五條に行こうと思っていた。ところが,大和高田バイパスに入ろうと思ったら,「御所直進」という標識が目に入った。そこで急きょルートを変更してみた。その道は京奈和道の一部で距離は短かったが御所の南までいけた。知らなかった…。やっぱり走ってみないとわからないねぇ。ちなみにネットで調べると,この区間(橿原高田 IC - 御所 IC 間)は,2012年3月25日に開通したばかりだった。京奈和道の南端は国道24号線から少し東に離れていたが,24号線まではすぐだった。国道24号線の御所までの区間を走らなくていいのは楽だった。そのまま五條まではいつもの道だった。

2012年4月14日土曜日

そろそろシーズン開幕か?

今週は目が痒い…。しばらく調子よくて,もう花粉の季節は終わったか?と勝手に思い込んでいたのだが,全然そんなことなくて,今週は激しく目が痒かったりする…。2月から薬を飲んでるから,かなり症状はましやけど,それでのねぇ…。早く花粉の季節終わらないかなぁ??

 そういえば,最近,目が痒い話題かスキーのことしか書いてないなぁ…。でも世の中あまり元気が出る話題もないし…。何か話題はないかなぁ?…。まずはバイクの今シーズンの計画を考えよう。

 今シーズン走ってみたい道は,まずは国道168号線,169号線,425号線と紀伊半島を縦横に走る国道。去年(2011年)9月の台風12号の時の災害で寸断されたり,迂回路で仮復旧した道ばかり。国道168号線は早くに仮復旧できたが,国道169号線と425号線は未だに通行止めの区間が残っている。さっき三重,奈良,和歌山の道路情報をネットで調べたが,やはり国道169号線と国道425号線は未だに通行止め区間が残っているみたい。いつなったら走れるようになるのかなぁ??

 他には,ゴールデンウィークに磐梯山の麓のスカイライン(だっけ?)を走ってみたい。でも,磐梯山付近はゴールデンウィークの頃ってまだ寒くないかなぁ?南アルプス付近はゴールデンウィークならなんとかしのげたけど,さすがに福島まで行くと寒そうやなぁ。ここからやと距離も遠いしなぁ…。

 ま,基本は紀伊半島を走るけど,2回ぐらい泊まりで走りに行きたい…。磐梯山がだめなら信州か四国か九州にでも行こう,おー!

2012年4月12日木曜日

なんでたばこふかしてる映像を使うかなぁ?

この間,ドキュメンタリー風の番組を見た。内容は,歴史に残る名曲を紹介するもので,私が見たのは Hey Jude だった。Hey Jude はポール・マッカトニーが,ジョン・レノンの子供のジュリアンに送ったらしい曲。当時,ジョン・レノンがジュリアンのお母さんと離婚して傷心だったジュリアンを元気づけるだめに作ったらしい。ただ,発売された頃は Jude がジュリアンではなくて,キリストと誤解されて,宗教を冒涜してるとか言われてた気がする。その歌がチェコ・スロバキア(現在はチェコとスロバキアに分かれている)の共産党支配からの開放の際に国民を勇気づける歌となった,というものだった。1968年のプラハの春の時のソ連による弾圧に抗議して,当時のチェコ・スロバキアのアイドル的な歌手,マルタ・クビショヴァーが発売間もない Hey Jude のチェコ語カバーをレコーディングしたというもので,それは当時の共産党支配下ではご法度行為だった。そのためマルタ・クビショヴァーは歌手活動から追放され,さらにろくに仕事をさせてもらえないという当時のチェコ共産党の非人道的な扱いを受けたらしい。その後,1989年のビロード革命の際にみながマルタ・クビショヴァーの Hey Jude を精神的な拠り所として歌い,励ましあったというものだった。そのため,チェコでは Hey Jude は自由のための歌という感じになっているらしい。

 その番組の内容はとても心に染み渡るものなのだが,番組自体の出来はとてもいまいちに感じた。なぜかって,Hey Jude が如何にしてチェコ国民の反骨の歌になったかを淡々とドキュメンタリータッチで描いていた時はいいのだが,途中で,日本人(ちょっと微妙だが)のおっさん二人がラジオっぽいスタジオで,Hey Jude とビロード革命,マルタ・クビショヴァーについて語っている場面が多くでてきた。それが最悪で,番組の質をすごく下げていた。他のドキュメンタリータッチの部分のできもちょっといまいちっぽい感じだったが,おっさん二人のトークはいまいちどころか,番組のレベルを中から下の下に下げるぐらいひどかった。話してる内容も当時のチェコの人々やマルタ・クビショヴァーの心境,彼女のその後境遇とその苦労など全然知らないおっさんらが「偉そうに」語っていたのでとてもむかついた。おまけに,タバコプカプカふかしながら雑談してるとか思えない映像にさらにむかついた。マルタ・クビショヴァー自身や当時の夫のインタビューは貴重だと思うが,あのおっさん二人のトークはなんで必要やったのか全然わからへん。あのテレビ局もレベル下がったなぁ,と実感させられたドキュメンタリーでした。ちなみに,その番組は2000年頃に制作されたもので,今回はその再放送だったみたい。

2012年3月13日火曜日

やっぱり春は雨の日に限る

3月になり,春ももう間近!でも,暖かい日々と寒い日々が交互に来るから,体が気温の変化についていけない…。しかし,もっと難敵なのが花粉症。最近は花粉が飛び始める前(だいたい2月早々)に耳鼻科に行って,薬を処方してもらっているので症状はかなりましだが,それでも花粉症はしんどい。。今年も薬のおかげか,はたまた単に花粉が少なかっただけかわからないが,2月中は花粉症のことなんて全然気にしなくてもいい感じが続いていた。

 しか~~し,3月の声を聞いた途端,花粉の襲来を肌身で(眼と鼻で?)感じてしまった。3月になって天候が良く暖かい日が多くなるに連れて目が痒くなる日が増えてきた。2月中は花粉なんて余裕~,と思ってマスクも保護メガネもしていなかったが,ここ数日で急にメガネやマスクをし始めた。ここ数日気温は低めだったが,天候がとてもよく(たぶんちょっと乾燥気味だと思う…),花粉がビシバシ飛んでいるように感じる。
事実,目が痒いなぁ,と思った日は目ヤニが多く,それもなんとなく砂みたいにザラザラしている。薬を飲んで抑えているとはいえ,花粉をガンガン浴びるとよくなさそうなので,とりあえずマスクと保護メガネを使うことにした。それでもひどい日は一日頭が痛くて,何もヤル気が起こらない…。それでもやらないといけないことはいっぱいあるから困ったものだ…。

 楽なのは雨の日。雨が花粉を叩き落すので,やっぱり楽。眼のかゆみもましだし,頭痛もほとんどない(前の日に浴びた花粉のせいで,雨が降ってもすぐにはよくならないのだが…)。花粉症もそのうち治るみたいなのだが,まだしばらくは春は雨の日がいいみたい…。

2012年3月5日月曜日

今シーズンも八方で修行!

今シーズン最後に八方に行って来た。土日の一泊二日だけだったが,それなりに楽しめた八方での修行だった。一日目,ゴンドラ乗り場に行ったのは8時半ぐらいで,1本滑るとゴンドラ乗り場はちょっと混んできた。前日気温が高かったらしく,下の方の雪はべしゃべしゃだった。しかし,上部は上部で濃いガスがかかり視界がきかないので,仕方なく雪の悪いリーゼンスラロームを滑って練習してた。お昼は早めに食べてから滑り,さらに午後2時前に休憩に入った。今回は2時頃の休憩時に,あまりの眠さに昼寝をしてしまった。それも1時間ぐらい。それでトーンダウンしてしまって,3時半頃宿に戻って一日目は終了にしてしまった…。お風呂が4時からだったので,4時に風呂に入って,部屋で一眠りしてから晩ご飯食べましたとさ。

2012年2月13日月曜日

思い出

先日,テレビで谷村新司がリチャード・カーペンターとインタビューしていた。さすがにリチャード・カーペンターは年取った感が否めなかった。その番組を見ていて,カレン・カーペンターの訃報を聞いた時を思い出した。

私がカーペンターズを聴き始めたのは Please Mr. Postman が流行っていた頃だと思う。兄に学校で流行っていると言われ,それからカーペンターズを聴き始めた。そして,2枚組のLP版のレコード(確かベスト版だったと思う)をお年玉か何かで買った。単純に Please Mr. Postman がトップだったというのと,レコード買うならLPだと思っていた,というのが理由だった。後者の理由は,親父が買うならLPの方が効率がいいと言っていたからである。あのレコードのお陰でカーペンターズのたくさんの名曲と出会えた。あのアルバムは何度も聞いたなぁ。あれが私の洋楽との出会いでもあった。

その後,カーペンターズのような音楽から興味が移り,Beatles や ABBA にはまり(ABBA はカーペンターズに近いかな?),そこから Deep Purple や Led Zeppelin などに走り,Rolling Stones を聴き,AC DC や Aerosmith を聴いた。Beatles に興味が移った一つの理由は Please Mr. Postman や Ticket to Ride などのカバー曲の存在があった。カバー曲と聞くとどうしてもオリジナルを聞きたくなってしまう。そこで Beatles に興味が移っていった。しかし,後で気づくのだが,Please Mr. Postman は元々はマーヴェレッツの曲で,Beatles もカバー(プロモーションという意味合いもあったみたいだが…)していたので,その点では間違っていたのだが,結局他の Beatles の曲に興味が移っていってしまったのだった。しかし,あくまで私の洋楽,ひいては音楽の原点は Carpenters だった。

2012年2月3日金曜日

テリー伊藤氏が聴聞???ワンバックならなでしこ??

いつものようにネットのニュースのヘッドラインを見ていた時の事,ふと目に入ったタイトルが「テリーが聴聞で人種差別発言を否定、7月に公判へ」という記事だった。このタイトルを見た瞬間に頭に浮かんだ「テリー」氏は何故か「テリー伊藤氏」だった。何故かわからないが,とにかくテリー伊藤氏の顔が頭に浮かんだのだった。しか~~し,この記事の「テリー」とは,サッカー・イングランド・プレミアリーグのチェルシーに所属するイングランド代表ディフェンダーのジョン・テリー氏のことだった。なんでも試合中に人種差別発言をしたと告発され,聴聞会が開かれたみたい。そこでテリー氏の代理人が疑惑を否定したらしい。その結果,結論は正式な公判で行われる,という記事だった。でも,「テリー」と書かれると一瞬誰のことだかわからなくなってしまった。

 ちなみに同じイングランド・プレミアリーグのリバプールに所属するウルグアイ代表のスアレスは,フランス代表のパトリス・エブラに対する人種差別的とされる発言に対して,発言を肯定し,ペナルティとして8試合の出場停止を受け入れたらしい。しかし,スアレス曰く,スアレスがエブラに対して言ったとされる negro という言葉は「ウルグアイでは差別的な意味はない」との事だった。ニグロは以前差別的な意味で黒人を示す言葉だと教わったが,「もし」スアレスが言う事が事実なら,その決定自体は若干疑問が残ることになる。まぁ,言葉の問題はとても難しいので,なんともいえないが…。

2012年1月31日火曜日

お昼ごはん

とある用事で,とある国に来ている。ということは,もちろん日本ではない国に来ている。そこはグルメの国なので,お昼ごはんもまともに食べるととても時間がかかる。1時間以上は普通で,下手すると2時間近くかかってしまう…。ま,そんな国はあまり多くないので,だいたいどこかは分かると思いますが…。

 さて,そんな国で食べたお昼ごはんの写真を撮ってみた。一つ目がこちら。これは普通のお肉っぽく見えるけど,Lapin って書いてあったから,うさぎらしい。肉としては鶏肉の脂の少ない部分,という感じであっさりした味になってる。味付けはクリームソースっぽかった。肉のだしも出ていて,いわゆるクリームソースとは味が違っていたが…。付け合せは小さなパスタ。形はマカロニっぽいけど,小さいからきっと違う名前があるはず…。なんて書いてあったか忘れた。この皿が「今日の皿」として出してあった。うさぎを「本日のお肉料理」として出すあたりはさすがにグルメの国だけのことはあるなぁ。山に近いから,というのもあるかもしれないが…。

次はこれ。左手前の肉は牛なのだが,いきなり背骨(?)の断面が見えてる…。頼んだのはポトフなのだが,さすがに牛の骨髄を見せられるとは思っていなかった。付け合せはポテトや人参,ネギ(みたいなやつ),セロリ等だったが,なんで別の器に入ってるの?私のポトフのイメージは,鶏肉や豚肉と野菜を一緒に煮込んだ料理なのだが…。まぁ,確かに牛の肉と野菜を一緒に煮込んで,牛だけ別の器に入れたのかもしれないが…。骨の下にある肉もすじ肉などで結構固かった。うーん,恐るべしグルメ大国!ま,これも山の料理なので,街中のおっしゃれ~~なお店じゃこんな形で出てこないと思うけど…。

 ちなみに両方ともビールが添えてあるが,あくまで現地の人々に普通に合わせただけのことです。やはり恐るべしグルメの国,ってやつですね。

2012年1月1日日曜日

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。
昨年もネタがあまりなくて、ブログの更新があまり進みませんでしたが、
きっと今年も同じペースだと思います。
きづいた時に訪れていただけるだけで結構ですので、
これからもriderpoyoのブログをよろしくお願いします。
                    2012年元日