2008年12月19日金曜日

いいねたがないなぁ

このところブログを更新していなかった。理由はというといいネタがなかったから。世の中にいっぱいネタは転がっているけども,ブログに書きたいと思うネタがなかった。最近のニュースといえば金融不安だとか雇用問題とかばかりの気がする。そもそも実体の経済の何十倍もの規模の金融市場ってのが間違いのもとではないのだろうか?(何十倍もの規模になってるってのはどこかの新聞の記事にあった数字。それを鵜呑みにして書いている。少なくとも実体経済よりも大きいのは確かでしょう)それって最初からバブルってことちゃうのかなぁ?もともと物を作ってそれを売って儲けるってはずなのに,金をあっちからこっちに転がして儲けるって発想がいけないのでは?と以前知り合いの人が言っていた。その通りかもしれない。そもそも存在してない価値を頼りにしてどんどん株価が上れば,そのうちどこかで破綻してドスンと落ちるのは必定かもしれない。おそるべし金融市場ってやつやね。そういえば原油価格が40ドルを切ったって書いてたなぁ。ちょっと前までは150ドルとかって言ってなかったっけ?なんか世の中めちゃめちゃやなぁ。アメリカでは史上空前の詐欺とか言ってるし。なんで500億ドルも損失を出せるの?あまりにめちゃめちゃなので,想像ができない。世の中どうにかなってるよなぁ,これって

2008年11月27日木曜日

みんな困る事は同じみたい

前回、dwmapi.dllのことを書いた。最初はとても驚いたし、比較的早くかつ意外と簡単に解決できたので、みんなのためになるかも、と思って前回dwmapi.dllの事を書いてみた。これが結構検索で引っかかっているみたい。このblogはアクセスログを取っているのだが、ここ数日はほぼ毎日数件、dwmapi.dllが検索でひっかかってこのページにきてくれているみたい。きっと検索した人のごくわずかな人が見にきてると思うから、毎日かなりの人がdwmapi.dllで検索をしていると思う。つまりそれだけよくトラブルが起こっている、ということを示している。なぜこんなにトラブルが多いんだろう?私の場合、メーカーのサイトでIntelのアップデータを見つけて、vista用というのをちゃんと確認せずにダウンロードしてしまったのだが、みんなも同じようなことだったのだろうか?残念ながらこのサイトはコメントを入力するようにはしてない(まめに返事をする暇がないから)からわからないが、どこかでみんながトラブルになってしまいそうな構造的な欠陥があるような気がする。ドライバーのアップデータの紹介でvista用というのが強調されてないのだろうか??そもそもアップデータ自体もOSのバージョンを判断して、XPならアップデートを中止するべきだと思う。やっぱIntelが悪いからではないだろうか?私はMacintoshも使っているし、FreeBSDも使っている。どのOSのどんなアップデータかをすぐに思い出せないが、アップデータによっては、このバージョンには適用できません、と言ってくれるものがよくある。利用者の立場に立てば、そうすべきだし、実際多くの場合(きっとwindowsも)OS等のバージョンを確認してアップデートしてくれているので、今回XPならアップデートしない、としていなかったIntelが悪いと思う。Microsoftに比べるとまだましだが、Intelも相変わらずいまいちの会社やなぁ。ぶつぶつ

2008年11月19日水曜日

dwmapi.dllって何?

先日,コンピュータを買った。買ったのはバッテリーのもちを考えて○○ソニックの○○ツノート。黒が欲しかったのでわざわざ直販サイトに行って買ってしまった。で,届いたのが申請書作成期限直前。泣く泣く数日は箱の中で熟成させていた。その後,箱を開けてさっそく起動してみた。当然今ならOSはVista。でもVistaってあまり評判がよくない。それに以前と同じ状況にしようと思うと,今までのソフトが働くかどうかが問題。新しく買わないといけないとなるとかなりの出費になるしなぁ。と,いろいろ悩んだ挙句,XPへのダウングレードすることにした。一応ダウングレード権ってのがあるマシンだったので。XPへのダウングレードは順調に進んで,いろんなソフトも全部いれて,順調と,思っていたら,ドライバー等のアップデート情報がでていた。新しいのにすぐにアップデートなんやぁ,と思ったが,アップデートは基本的にした方がいいと思っているので,アップデートすることにした。ところがここで大失敗してしまった。

 幾つかアップデートがあったが,一つはecoモード用のソフト。これはバッテリーを80%までしか充電せずに長持ちさせるってやつ。これのアップデータを取ってきてインストールした。で,再起動するとecoモードのアイコンがない。あれ?なんで?と思ったが,どうやらアップデータは既存のソフトがあると,アンインストールをするだけみたい。もう一度入れなおすとうまくいった。これは言うほど大失敗ではなかった。

 さらにvideoのドライバーをアップデートした。Intelのチップを使っているので,Intelのアップデータがあり,それをダウンロードしてきた。そしてインストール。すると途中,XP用として登録されてないけど,いいか?みたいなメッセージが出たが,気にせず続行。するとdwmapi.dllというdllがないと言うメッセージ。なんのこっちゃ?と思ったが続行。さらにKARNEL32.dllがないとか,他のもないとか怒られた。しかし一応最後までインストールができた。そして再起動~。すると画面が800×640ぐらいになっていた。なんじゃこりゃ?と思ったが,解像度を1024×800にして作業終了~~と思っていた。そして,マシンを閉じて休止状態にしようとした。ところが,休止にならない。いつもバッテリーを長持ちさせるために,持ち運びは休止状態にしてるのだが,おかしい。休止の作業中にマウスを抜いたりすると,エラーで休止状態に入れないことがあるが,今回はそんなドジは踏んでないはずだが....そこでもう一度マシンにログインして,画面のプロパティのスクリーンセーバーの窓から電源オプションに入ると,

 なんと,休止状態がない!!!

普通なら休止状態タブがあるはずなのに,そこにない。おまけに詳細設定の中の「蓋を閉じた時の処理」として「何もしない」しか選べない。何が起こったんや???仕方ない,スタンバイにしておこう,と思ってスタートの中の終了オプションを選ぶと,

 なんと,スタンバイが選べない!!!

なんじゃこりゃ~~~。はたと困ってしまった。何が起こったのかわからず,とりあえず電源をオフにして別の作業をした。その後,作業終了前に気を取り直してネットで調べてみた。やったことと言えばドライバーをアップデートしたことぐらい。でも症状は休止状態が選べない。何か関係あるんかなぁ?と思っていたら大ありだった。どうやらvideoのドライバーがおかしいと休止状態を選べないみたい。でもちゃんとしたアップデータを取ってきたはずなのに,と思ってメーカーのサイトをもう一度見てみると...しまった,Vista用のビデオドライバーアップデートと書いてあった。XPにダウングレードするとあかんやん!!タイトルに書いたdwmapi.dllで検索してみると,dwmapi.dllはVistaにしかないdllらしくて,XPだと存在していないらしい。それでdwmapi.dllがないって文句言われたのかぁ。仕方ないから以前の設定に戻したいと思ったが,メーカーサイトには以前のvideoドライバーは置いてなかった。DVDを読ませないといけないか?と思って,マイコンピュータのプロパティのハードウェアからデバイスマネージャーを空けてみると,ディスプレイアダプタに黄色いマークがついている。そこを右クリックしてみる。ドライバーの更新を選ぶが,今はインストールDVDがないから断念。次にプロパティを見てみる。ドライバというタブの中にドライバの詳細とかドライバの更新とかあるが,その中にドライバのロールバックというボタンを発見!!おや?これでいける?と思ってボタンを押してみた。するとうまくいった。再起動したらちゃんと休止状態が選べた。これでなんとか復帰できたみたい。そういえばデバイスドライバーでディスプレイアダプタに2個あったが,1個消してしまった。あれは外部ディスプレイなのかな?ま,同じドライバだからきっとなんとかなるよね?と思った一日でした。

(追記:ディスプレイアダプタのドライバーが1個消えたが、いつのまにか2個になってた。ま、同じものみたいやったから勝手に増やしてくれたみたい。ほっ)

2008年11月12日水曜日

そういえば

そういえば,今日は死んだ兄貴の命日だった。兄貴は私より2歳半年上で,学年で言うと3年上だった。小さい頃はいつも兄の後ばかり追いかけるような子供だったらしい。その兄が脳の病気(脳腫瘍かな?実はよく知らない)にかかったのが,私が小学校3年生の終わりぐらい。兄が小学校の卒業を控えた頃のことだった。その当時は姫路に住んでいた。最初はすぐに退院できるかな?と思っていたが,兄が中学になっても入院したままで,病院内にあった特別クラスみたいなのに入っていたように思う。その後,手術をするために神戸にある県立子供病院に入院していた時期もあった。日曜日に車で姫路から神戸までよく見舞いに行かされた。でも,子供病院は健康な子供は病室には入れてもらえない。入院している子供がうらやましがるからだ。だから,病院に行くのはとても嫌だった。当時は車酔いしてた(今からは想像できない)というのもあるが。そこでよく食べていたカップヌードルはトラウマになって,今でもむしょうに食べたくなる時がある。私が小学校6年生の時に一度危篤になったことがあった。その時,私は夕方友達の家に遊びに行っていて,ルパン3世(最初の作品。ジャケットが水色だった)の再放送を見ていた。その後,家に帰ると兄が危篤だからすぐに病院に来い(その時は姫路の日赤病院に戻っていたと思う)と言われて行った記憶がある。探してもすぐに見つからなかったと怒られた記憶がある。6年生の子供に,事前にある程度説明せずに家にいとけ,なんて無理だよなぁ,と当時ぼんやりと思った記憶がある。その後,父の転勤のために神戸に引越した。私が6年生の夏休みの終わりだった。あの時はさびしかったなぁ。だって,もうすぐ卒業なのに,最後の2学期だけ他の小学校に行かないといけなかったから。それが神戸の東灘区にある小学校で,その辺りは3月1日は中学受験でクラスの7~8割が休む,というぐらいの学校だった。あの辺りはみんなそうだったかもしれない。たまたま風邪で3月1日に休んで,友達に昨日は人が少なくて寂しかったでぇ,と言われた記憶がある。私は中学を受験したりしなかったので,そのまま公立の中学に行った。住吉中学という,神戸でも指折りの不良がいっぱいいる中学だった。でも,最初からいるとおでこに剃り込みが入ったいかつい奴もみんな友達だった。何故かそこで委員長と言う役をやらされたが,率先して先生に怒られるようなことをしていた記憶がある。

 兄貴が死んだのは中学1年の秋だった。部活動から帰ってきたら家の周りがばたばたしてた。兄貴が死んだと聞いたのは誰からだっただろう?近所の人だったような気がする。死んだ兄貴には申し訳ないが,その時は兄貴が死んでほっとした。何故だろう?それは兄が治る見込みがほとんどない,というのを聞いていて,かつ,看護のために両親が代わる代わる病院に泊まりこんでいたからだと思っている。病院に泊り込むと親は家にいれない。だからまだ小さかった妹は祖母の家に預けられていた。親が疲れているのもなんとなく感じていた。それでも治る見込みがあればいいけど,兄は治療のせいか薬のせいかはわからないが,髪の毛は抜け,ぶくぶくに太ってしまい,小さい頃追いかけた兄とは似ても似つかなくなっていた。さらにしゃべることもできず,植物人間のような状態だった。そんな兄を見るのは嫌だった。でも積極的に死んで欲しいとは思っていなかった(と思う。あまり覚えていない)。そりゃ,元気になってくれるならなって欲しいと思っていた(と思ってる)。でも,それはどうも望み薄で,神戸に行ってからも何度か危篤だと言う話を聞かされていた。なんとなくだが着実に死に向かっているように感じた。兄も苦しんでいるように感じてた。だから,死んだ,と聞いた時,ほっとしたのだと思う。でも,ほっとしたと言っても,普通のほっとした,例えば,人前に立たないといけなくて緊張してたのが発表が終わってほっとした,というのとは全然違っていた。何か大きな時代が一つ終わった,という感じだった。

 その後,葬式の準備などですごくばたばたしていた。狭い社宅だったのだが,めちゃくちゃ狭い~と感じた記憶がある。親父はがんばって広い家に住もうと思って,神戸の西の方に家を建てていたのだが,残念ながら間に合わなかった。棺おけに花を入れたのだが,その時見た兄貴の顔は血の気が引いて,もの,という感じだった。死んだらこんな風になってしまうのか,と思った。その時はさすがに涙がいっぱい出てきた。あの時は火葬場に連れて行ってもらった記憶がない。連れて行くだけは連れて行ってもらったのかもしれないが記憶にない。兄の後で,祖母と祖父二人が亡くなったが,その時には火葬場まで行き,後で骨を集めて骨壷に入れた記憶があるが,兄の時はどうだったのだろう?忘れてしまった。葬式が済んでから,東灘の社宅から西区にある家に引越しをした。その後,毎年のように秋は法事だった。正座が不得意で,法事は辛かった。椅子でできればもっとよかったのになぁ。兄の遺骨は祖父母の立てた墓と親が立てた墓に入れてある(はず)。そういえば最近全然お参りに行ってないなぁ。今年はいけるかな??

 何年かして神戸の家は引き払って親は芦屋浜に引っ越した。前の家の辺りは遠くから見ると神戸淡路鳴門道が近くを走り,住宅地が延々と広がっているようだった。見たのは神戸淡路鳴門道を走りながらだったのだが。私は中学の残りの2年ちょっとと高校の間と大学に入ってしばらくの間住んでいたが,考えてみると住んでいたのは7年ほどだけだったことになる。もっと長く居たように思っていた。うーん,時間の尺度が狂ってきたなぁ。さすがに歳をとったかなぁ?????

2008年11月11日火曜日

時代

同窓会絡みのねたでもう一回。かなり同窓会ではまったなぁ。

 今回は同窓会の時にもらった冊子。同窓会が毎年出しているもの。その中に各回生の方が一人なにか書いてるところがある。一番古くは旧制中学7回生。卒業が昭和7年らしい。御歳94歳。すごい。まだ7名がご存命とのこと。卒業生は208名だったらしい。ご存命の7名の方々には直接架電されたらしい。いいなぁ,この表現。なんかいい時代って感じがするなぁ。次に古い方は旧制中学9回生。この方は昭和9年に卒業されてから就職されたが,昭和12年に入隊,満州事変に参加し,13年にバイアス湾上陸広東攻略。16年佛印ハイフォン上陸。18年応召ジャワ島上陸。10月シンガポール上陸。20年1月ビルマ国アキヤブ南方で被弾。その後戦況悪化のため野戦病院が解散。患者は各部隊ごとにタイ国へ。姫路の兵隊86名をつれて雨期の途なきジャングル突破,3ヵ月後タイ国到着は3名のみとなる...その後ベトナムで戦闘がおこり,佛印軍の命によりベトナム戦にも参加され,21年5月に大竹で復員とのこと。現在92歳の方だった。すごい人生を歩んでこられている。すごく運のいい方だと思う。それだけの経験をされて,なおご存命とは感服することしごくでありました。

 で,うちの回生はと言うと,同窓会開催のお知らせが載っていた。この冊子は7月1日付けなので,それは当然かもしれない。ネットで高校を検索すると県下で1,2を争う進学校らしい。かなり偏差値が高いと書いてあった。我々の頃はどうやったっけ??ちなみに今でも体育の時にはグランド6週走ってから普通の体育をするので,体力がないとしんどいみたい。世の中単にがり勉ではだめってことですね。しかし今考えると中学高校でつけた体力が今の体力の基本になっているような気がする。やっぱりグランド6週,冬は20週,は重要だと思うなぁ。そういえば3年の時の担任は体育の教師だった。もう還暦とのことだ。その先生が言ったという噂では,進路指導はグランド6週の走りと見てると大体わかるらしい。実力を出さずにちんたらしてるやつは思っている大学に受からん。しっかり走ってるやつは受かる。結果は,って?結構当っていたような気がする。やるなぁ,あません!

 ちなみに投稿時刻はいじってある。ゴロがいいから

2008年11月8日土曜日

人を探す

先週の日曜日に高校の同窓会に行ったが,25年ぶりということでとても楽しかった。その時に高校の時の同じ部にいた連中と一度会いたいということになった。部の連中とも年賀状ぐらいしか交流がなかったし,年賀状もよく忘れたりしてたので,会うなんてことは全然なかった。ところがこの間の同窓会で7名が出席して,他の奴はどうしとんねん,ということになった。そこで一度名簿を作ろうということになった。その上で年末ぐらいに一度神戸に集まろう,ということにした。年末の幹事は神戸に住んでいるやつに押し付けたが,問題は名簿。そもそも同窓会が把握できていない音信不通者リストに2名も入ってた。全員で15名なのだが。音信不通者以外は同窓会の幹事に教えてもらえばなんとかなる,ということで,人探しをすることになった。問題は誰がするか。一応神戸に住んでいる奴に頼むぞ,と言っておいた。

 で,ある日,音信不通者リストにある別の奴(同じ大学に通っていたはずだが,入学以来全然あってなかったやつ)をネットで検索してみた。これがなんとどんぴしゃヒット。どこかの大学の先生をしているみたい。おまけに研究室訪問とかいう大学の記事も発見。顔写真まである。しかし顔写真だけ見てもいまいちピンとこない。似ているが,絶対とは言い切れない。ところが別のところで見つけたプロフィールを見ると,大学の卒業年が一致している。学部も合っている。名前も一致している。これは本人に間違いない,と思った。そこで,研究室のweb siteを探しすとメールアドレスがあった。いきなりだと怪しまれるかなぁ?と思いながらも,とりあえずメールをしてみた。いきなりで申し訳ありません,風の口調で。そしたらやっぱり本人だった。いやぁ,珍しいこともあるもんだ。懐かしい話をいろいろメールでやり取りして,最後に同窓会の幹事の連絡先を伝えておいた。ちゃんとメールしたみたいで,後で同窓会の幹事から礼を言われた。

 そうなると他にも探したくなる。そこで同じ部のやつを探し始めてしまった。これがいけなかった。結局最後まで探してしまったから。最初はかなり以前に年賀状をもらって住所と電話番号を知っていた奴に電話してみた。そいつは同窓会では音信不通者に入っていた。だめもとで電話してみた。これが意外とつながった。実は引越しをしていたが,電話番号が同じだったのでつながったらしい。とてもラッキー。葉書だとだめだったみたい。しばらく話をして近況を聞いたりしてから,メールアドレスを伝えておいてメールしてもらうことにした。連絡にはメールが楽なので。それにメールだと写真も送れるので,同窓会の時の写真を送っておいた。結構受けたみたい。かなり太ってるやつも居たからねぇ。次は住所を知っているけど,全然連絡してなかったやつに電話してみた。そいつは音信不通者ではなかった。ちょっと田舎に住んでいるので大丈夫だろうと思って電話したらやっぱり大丈夫だった。我ながら勘が冴えてるなぁ。そいつともちょっと話をして,やっぱりメールアドレスを聞いて,写真を送った。こっちでも受けてた。その二人に他のやつの連絡先を聞いてみた。それぞれ一人ずつ教えてもらったので,電話してみた。一人はすぐだったが,二人目は電話に出たのが子供だった。おまけに苗字が変わっていたので,「xxさんのお宅ですか?」と聞いても,「えっ?」という感じだった。しかし,ちょっとして理解してもらえて,本人を呼んでもらうことができた。結構どきどきだった。

 そうなると全員の連絡先を知りたくなってきた。神戸にいる幹事候補のやつにも連絡して,リストを作ってると伝えた。さらにメールのやり取りをしたことのあるやつらにメールしておいた。同窓会に来てなかったやつには写真も送っておいた。残るは3人になった。ひとりは住所を知っているので,電話したが誰もでない。仕方ないので,次の日も電話したがでない。その次の日もだめかなぁ?と思ったら電話に出てくれた。でも本人じゃなくて奥さんだったが。で,本人に連絡するように伝えて,電話を切った。これで連絡ができることがわかった。もう一人は実家に電話して連絡してもらうようにお願いした。そしたら後で本人から電話があって,「どないしてん?誰か死んだんか?」と切り出された。単に同窓会があって,連絡先を調べてる,と言ったら「なんやぁ」となった。で,メールアドレスを伝えておいて,メールをくれ,と言っておいたのに,まだメールがこない。ちゃんと伝えたはずやのになぁ。最後の一人が難関だった。震災で家が潰れていて,実家の連絡先がわからない。こいつは音信不通者リストに入っていた。今回最大の難関。確か医療機器関係の仕事をしていたはず。そこでネットで検索。すると特許関係のサイトで情報が出てきた。会社の名前がわかった。そこでまずはネットの問い合わせページで問い合わせてみた。しかし2日ほどしても連絡がない。仕方ないので電話してみた。いきなりで大丈夫かと思ったが,調べて教えてくれた。一応こちらの肩書きを伝えて,勤務先に電話してもらったのがよかったのだろうか?いきなり聞かれても教えてくれないよなぁ,普通は。そいつは会社を変わっていた。家の電話番号を教えてもらったので,かけてみた。すると奥さんがでた。元気にしているとのことだった。これまたメールアドレスを伝えておいた。すると夜中にメールがきた。仕事のプレゼンの準備を自転車操業でやっているらしい。みんな同じやなぁ。そこでメールでやり取りをして,同窓会に連絡するように伝えておいた。これでみんなわかったぁ,と思ったら,同窓会に来ていた奴で一人電話番号がわからないやつがいた。同窓会に来ていたほかの奴に聞いても誰も電話番号を聞いていなかった。みんな住所を知っているので安心してしまって,聞いてなかったみたい。これが困った。昔メールアドレスを聞いていたので,とりあえずそこにメールしてみた。これが返事がこない。次の日も来ない。その次の日もこない。仕方ないから同窓会幹事に連絡先を教えてくれ,と頼んでみた。それが昨日。まだ連絡来ない。やっぱり葉書を出して連絡してもらうのがいいかなぁ?と思っている今日この頃でした。

2008年11月4日火曜日

ノスタルジー

11/2(日)に神戸の三宮に行ってきた。理由は高校の同窓会。私の行っていた高校は神戸市内にあり,高台にあるグランドから高取山が見える高校だった。体育の時間にはグランド周りを6周走ってから授業があるという,大変体力の要る高校だった。旧制中学から続いている高校だが,私は(新制)高校の35回生。卒業してから25年も経ってしまった。ところがうちの回生は全体の同窓会というものを卒業以来やったことがなかった(らしい)。何故か?きっと頑張って取りまとめようという偉い奴がいなかったからではないだろうか?そういえばうちの代はいまいちまとまりがなかったかもしれない。いい言い方をすれば,みなが独自の道を行っていた,のかもしれない。あるいは「時代」の影響もあるかもしれない。

 しかしさすがに25年も経つとノスタルジーがむくむくと顔を出してくる。うちは親が転居してしまったために同窓会名簿上は音信不通者になっていた。で,同窓会に現住所を送ろうと思って高校のweb siteに行ってみた。一応連絡先のメールアドレスがあるがどうもあまり使われてないような気配。きっとスパムだらけで嫌気がさしているに違いない。ネットで住所変更とかできないものか?と思ってみたりもしたが,世の中の趨勢にもかかわらず,そのような便利な機能はなかった。さすがにお金をだして業者に頼まないとそこまではできないのだろう。でも,わざわざ電話するのもなんかいまいちこっぱずかしいしなぁ,と思いそのまま放置してしまっていた。

 ところが今年の初夏(だったと思うが),同窓会をするという話が伝わってきた。みんな考えることは同じやねぇ。どうやら同級生が2名も出身高校の教員にいて,同窓会(神撫会という)の雑務をやっているのに,なぜうちの代は全体の同窓会をしないのか?ということになったらしい。あんたらの回生は横のつながりが希薄やねぇ,とか言われたとか言われなかったとか。それが2年前のことらしい。それでやっと重い腰が上がって,生徒会長をやっていた奴が中心になっていろいろ準備して開催にこぎつけたそうだ。問題は連絡方法。どうやらかなり音信不通者がいたらしい。当時,10クラス,合計448名いたうち,かなりが音信不通ということだった。かく言う私も音信不通者だったが。どうやって連絡が来たかというと,ネットを通じて。mixiで同じ高校のコミュニティに入ってみたが,うちの代は10名しか参加者がない。おまけに35回生のコミュを作ってないから,誰が35回生かがわからない。そこからは同窓会の連絡は伝わってこなかった。来たのは別の,ネット上の同窓会というやつのひとつ。そこに登録をしていたらメールが回ってきた。送ってくれた本人も,ネットでそんなんがあったとふと思い出してメールをくれたらしい。おかげで無事同窓会名簿に名前が載ることになった。そのつてで他に知っているやつの連絡先も教えたが,あまり役には立たなかったかもしれない。しかし,私は仕事柄,webに名前と顔写真まであるから連絡できそうなものなのに,同窓会からの連絡はこなかった。メールアドレスもちょっと探せばわかるはずなのだが...。

 さて,同窓会はポートピアホテルを借りて行われた。参加費は12000円。ホテルを借りればそれぐらいはかかるわなぁ。2次会は4000円。きっと払った分のもとは取れないに違いない。最初はどうしようかと思っていたが,半数の参加を目標にしていてとりあえず会費は後でいいから,参加の意思を葉書で送れとメールで催促されて,参加するという意思表示をしておいた。そのうち当日が近づいてきた。どうしようかとも思ったが,なんせ25年ぶりやし,同じ部の同じ代のやつらとも全然顔を合わせてないから,たまにはいいっか?と思って行く事にした。

 三宮まではめんどくさいからJR。昔は私鉄以外は考えなかったのになぁ。三宮からはホテルのバスで行く事にした。だってタダだから。やることが中途半端やなぁ。バス停はバスターミナルの一角にホテルの送迎バス専用の乗り場があった。そこに行くとかなりの人が並んでいる。どこに行くのかなぁ?と思っていると,ホテルオークラ行きのバスがきた。すると1/3程度の人がバスに乗っていった。しかしまだいっぱい残っている。前のほうを見ると女性の集団がいて「懐かしい~」などと話をしている。どうやら同窓生の集団らしい。と見ていると後ろから声がかかった。高校の時の友達だった。一瞬「誰やったっけ?」と聞いてしまった。すぐに思い出したが,顔の輪郭がちょっと丸くなっていて,一瞬わからなかった。ちょっと待ったらバスがきて,ホテルへ。ホテルでは会場近くに行くと,見たことのあるような顔がいくつかある。「おー,久しぶり~。でも名前が思い出せん!」のオンパレード。とりあえず受け付けに行く。そこで名前を言うと3年の時のクラスのついた名札用の紙をくれた。そこに名前を書いて首から提げておかないと,お互いに相手が誰かわからへん,という状態。さすがに同じ部のやつはわかったが,それ以外はわからないやつも多かった。特に女性は化粧をしているので(....)特にわからなかった。記憶にない,というのもあるかもしれないが。男は多くが太っていた。かく言う私も10kg太ったが,見た感じはあまり変わらないと言われた。やたらと貫禄があるやつもいた。当時の教員の方もこられるとのことだったので,先生かと思ったら同窓生だったりした。結局130名程度の参加者があったらしい。同じ部にいて全然連絡が取れていなかった奴が3人もいて,とても驚いてしまった。しかし448名のうち7人ほどは他界していた。そのうち3人は知っていたが,まったく知らなかったやつもいた。冥福を祈りたい。

 会は開会の挨拶があり,学年主任をされていた先生が話をされ,立食で始まった。現在の高校の様子はかなり違っていた。これが同じ高校か?と思うぐらい違っていた。ちなみに今は8クラス320名が定員らしい。かなり少ないなぁ。体育の前のグランド6周は残っているみたいだが,雨が降ったらグランド周りを15周は親の反対でやめになったらしい。あれも今となればいい思い出なのに。顔を見てると徐々に当時を思い出したりしたが,結局全然思い出せない奴もいっぱいいた。困ったものだ。その後2次会にも(半ば強制的に)参加した。うれしがっていっぱい飲んだので,家に帰ってから吐く羽目になったが,会はとても楽しかった。連絡が取れなかった奴とも連絡が取れたし,また部の仲間でも会おうという話をして2次会は終わった。まだ飲むぞといわれたが,すでに飲みすぎていたので,おいとまして頑張って帰ることにした。それにしても神戸は遠かった。帰りもJRを使ったが,眠らないと吐きそうな気がしたので,頑張って寝た。さらに途中風に当たるために乗り換えたりしてなんとか無事にJRを乗り切った。駅を出てからは迷わずタクシーを使った。タクシーの中で徐々に吐きそうになってきたが,なんとか家まで我慢して帰れた。帰ってから胃の中に残っていたものを出してしまったら,楽になって後はぐっすり眠れた。

 今回の同窓会は最初はあまり行く気がなかったが,結局は行って楽しかった。久々だから余計によかったのかもしれない。会を主催してくれた世話人のみんなには感謝したい。かなり世話は大変だったと思う。次回は5年後らしい。参加者が増えるとよいが。とりあえず連絡がつきそうな奴らに連絡をしてみよう。

2008年10月20日月曜日

何故いつも宝塚西トンネルで渋滞する?

10月の晴天の日に大山滝と神庭の滝に行ってきた。ほんとは土曜日に行くつもりが,前日に作業が長引いて土曜日は寝坊。仕方なく日曜日に出かけた。出発は午前5時半。予定よりかなり遅れている。それでもあまり早く行って寒いのも嫌だったので,いいことにした。一応プラス思考ということで。

交通費をできるだけ安く済ませるために,高速は100km以内で一度降りてから乗りなおす作戦で高速代を浮かせた。まずは通勤割引。午前6時から午前9時の間に走っていればよいというやつ。次は休日昼間割引。これは普通車,軽自動車等が休日は半額になるというもので,午前9時から午後5時までだったので,最後の蒜山インターは午前9時を過ぎてから通過するように手前の蒜山SAで休憩をした。蒜山インターから滝の手前の一向平までは県道114号線(昔の蒜山スカイラインか?)と県道45号線,県道44号線を走って,鬼女台,地蔵峠を通って行った。山の上の方は紅葉していて結構きれいだった。一向平野営場(キャンプ場)の駐車場に車を置いて,歩いて滝を目指した。登山届けを書く所があったので,一応ノートに記入してから出発した。

キャンプ場から滝へは,まず川の右岸(下流から見て左側)のちょっと高い所にある道を歩き,途中の吊橋を渡って左岸に行く。そしてこれまたちょっと高い所をしばらく歩くと滝の上に出る。ところが出発すると右岸の道はどんどん山を登っていく。どうやら昔つけられた道は崩落が激しく,通行止めにして別ルートを開拓したみたい。新しい道はかなり高い所を歩いて,吊橋の直前で急な階段で一気に昔のルートまで降りる。きっと昔のルートはアップダウン少なくて楽だったんだろうなぁ?と想像できた。階段も往きはよかったが,帰りが辛かった。最後に延々と登らないといけなかったから。吊橋から先はちょっと登ったらその後は楽だった。滝までは駐車場から1.8kmと書いてあった。 40分以上かかってたどり着いたと思う。滝はまあまあいい感じの滝だった。最初は上の方の展望スペースから眺めた。そこは滝の上段の上の辺りと同じ高さにある木の展望台だった。ちょっと木が邪魔していたが,まずまずの感じ。でも滝壺まで降りれると書いてある。実際には危険だから降りるな,と書いてあったのだが,それは降りれる,ということを意味していたので,これは降りなければ,と思ってしまった。他の人たちも結構滝壺に降りていた。滝壺に降りる道は確かに結構険しかった。後半はロープをたどり,最後は鎖を持って降りる構造だった。滝壺自体はどうってことはなかったが,下まで降りた,というのでちょっと満足。でも降りた分登らないといけなくて,ちょっとめげた。帰りは吊橋の後の登り以外は余裕だった。それにしてもあの階段は厳しかったなぁ。駐車場に着いたら着替えて次の滝を目指して出発した。

次の滝は少し南にある神庭の滝。真庭市というところにある。中国勝山のちょっと北で,湯原温泉のちょっと南にあたる。一向平野営場から県道45号線で国道313号線に出て,国道313号線を勝山の手前まで行くと神庭の滝という標識が出てくる。時間は40分ほどだったかな?神庭の滝の駐車スペースは細い谷にそってあり,ガードマンのおじさんの指示で車を止めた。ちょっと遠いところに止めさせられたので不満だったが。駐車場から少し歩くとゲートがあり,大人300円を払って入場する。そこから先は猿がいっぱいいた。猿は食べ物や食べ物が入っていそうなビニール袋を見ると奪いに来るので,何も持たずに行くのが懸命。今回はデジカメだけ持って行った。滝まではちょっとの距離だった。でも滝のすぐそばには行かせてくれなかった。崩落の危険があるからと通行止めにされていた。あと,草むらはマムシ危険という看板がいたるところにあった。あれを見ると草むらに近づけないなぁ。神庭の滝には以前来たことがあったが,記憶よりもずっと大きな滝だった。やっぱり日本の滝百選に入るだけのことはあった。

日曜日だったので,神庭の滝を見たら帰ることにした。帰りは勝山から国道181号線を東に行って,米子道の久世から高速に乗った。この時,なぜかETCレーンを通らずに一般レーンを走ってしまった。でもETCレーンだと思ったので,ゲートを通過してしまった。すぐに気づいて,事務所にむかうと,お兄さんがでてきて,「今券を取らずに通過しましたか?」と聞かれてしまった。ちゃんと警報がなるのかな?車のナンバーの末尾の2桁の数字がチケットに記録されるみたいで,そのチケットを受け取って高速に乗った。 ETC割引を使いたいので,次の院庄インターで降りて,すぐに乗りなおした。途中,勝央SA(しょうおうと読むらしい)でアイスを食べてから,帰り道を急いだ。帰りはずっと中国道を走ったが,宝塚西トンネルでいつものように渋滞していた。渋滞はいつも山陽道との合流の神戸ジャンクションから始まる。その先12km程度渋滞していた。今回は基本的に一番右のレーンを走ってみた。ところがすぐ前の車が車間を多めに取っていたので,いっぱい割り込まれて遅くなっていた。仕方ないので,途中から一番右をあきらめて走った。最後にトンネルが3つあるが,2番目が宝塚西トンネル。(地図で見ると最初のはトンネルじゃないかもしれない)なんでここでいつも詰まるのかと思ったら,宝塚西トンネルだけ「登り」になっていた。それまでずっと下りだったのに,トンネルとトンネルの先の少しの区間が上っている。そのため速度メーターを見ないで走るサンデードライバーがスピードを落として,そのせいで渋滞しているようだった。それまではトンネルで暗くなるからスピードを落とすのかと思っていたが,違っていた。トンネルが暗くなるから,というのに対してはトンネル内を明るくするという対応がなされていたし。渋滞の後は順調だった。すごく速い車がいたので,それについて走ったら楽しくてあっという間に高速終了~~今日も無事に帰れました。

2008年10月16日木曜日

近場で済まそう

近場の滝に行ってみた。
この間の連休の最後の日に滝に挑戦した。と言ってもとっても近場。最初は中国地方の滝,それも歩いて一時間程度かかるといわれている大山滝に行きたいと思っていた。さらに神庭の滝,龍頭の滝と八重滝,常清滝にも行きたいと思っていた。しかし,すべてをまわるには一日では無理。出発も早朝でないといけない。いざとなれば次の日休めばいいや、と思いながら一応午前2時ごろに起きてみたが,感想は「寒い」。気温は13度ほどだったが,体が慣れてないからとにかく寒かった。それに山の上はもっと寒そう。ということで,そうそうに大山滝は諦めてしまった。そうなると他の滝にいくモチベーションもぐっと下がってしまった。で,出発せずにぐだぐだしてしまった。

それでも折角だからと,近場の滝に行ってみようと思い立った。近場で行っていないのは,大阪の箕面の滝,神戸の布引の滝,三重の赤目四十八滝。赤目四十八滝は向きが違うし,ある程度歩かないといけない。他の二つは言うほど歩かなくてもよいし,まあまあ近い。ということで箕面の滝と布引の滝に行くことにしてみた。出発は午前4時半ごろ。明るくなってから滝を見たいので,それ以上早く出ても意味がない。高速で吹田まで行き,中央環状線で千里中央へ。そこから新御堂を北のはずれまで行き,ちょっと西に行って,浄水場前から県道に入る。県道はきついワインディングで,夜中は通行禁止となっていた。実際にはみんな勝手に入って走ってるみたいだけど。県道は古いドライブウェーみたいで道幅が狭かった。車がほとんどいなかったので,余裕だったけど。ちょっと走るとトンネルがあり,そこを越えるとすぐに大日の駐車場。そこから少し戻る方向に歩いて,坂を下ると箕面の滝がある。大昔来たことがあったが,もうちょっと近かったような気がした。それでもちょっと歩いたらすぐに滝のそばまでこれた。滝の辺りにはおっちゃんやおばちゃんらが来ていて,体操をしていた。箕面の滝は箕面公園の北の端にあるので,箕面公園を歩いてきて,滝に挨拶をして帰っていくみたい。滝自体はまあまあの滝。驚くほどすごい滝ではないが,それなりの滝ではある。しかし近年(と言ってもかなり以前)上流で取水され始めてから水量は減ったらしい。そのためにわざわざポンプで水を滝の上流に戻しているとかいないとか?悲しいですねぇ。

箕面の滝を後にして,次は新神戸の駅を目指した。布引の滝は新神戸駅のすぐ裏にある。布引の滝からナビは171号線を勧めてくれたが,あえて違う道を選んでみた。選んだのは新御堂。新御堂を下がって名神で西宮に行こう作戦。ところが,新御堂から名神には乗れないことをしばらく走ってから思い出した。仕方なく梅田まで行き,南森町から阪神高速で神戸に向かった。途中武庫川から別料金とのことだったので43号線に降りて,神戸に行った。神戸では新神戸の駅の前の駐車場に車を止めて,滝を目指した。滝はすぐだった。最初が雌滝。次が鼓滝。夫婦滝の次に雄滝。雌滝は小さかった。おまけに雌滝の下流は取水されているため,水はなかったし。やっぱり町のそばの滝はこんなもんかなぁ?逆に町の近くにこんな滝があるのが珍しいのかなぁ?鼓滝は正面から見えなかった。歩いて登っていくとすぐに大き目の滝があった。てっきり夫婦滝だと思って,さらに上に行ったが滝はない。おかしいなぁ,と思って人に聞いたら,さっきみた大き目の滝が布引の滝だった。その下にある小さめのやつがどうやら夫婦滝みたい。それで滝のそばにおたき茶屋があったのか。

時間は早かったが,モチベーションさがりまくりなので,今日はそれだけ見て満足してしまった。いかんなぁ。中国地方の滝は暖かくなってからかなぁ?まだ10月なのになぁ。ぶつぶつ

2008年10月10日金曜日

久々に志那そば

久々に吉田屋さんに行って志那そばを食べた。何ヶ月ぶりだろう。それでも大将は(どちらの方が大将だろう)顔を覚えていたくれた。頼んだのはいつものやつ。でも今回は煮卵を載せてみた。味は微妙に魚の匂いが減っていたような気がする。個人的には魚の香り(人によっては魚臭いと感じるかも)が好きなのだが,ちょっと魚系の出汁の割合が減ったのかなぁ?久々に食べるとちょっと量が多く感じた。胃が小さくなったのかなぁ?それにしてもこの辺りにはラーメン屋が多い。それって特別なのかなぁ?ちなみに天下一品と横綱ラーメンはあまり好みじゃない。どうもこってり系が食べれなくなってきているようだ。

2008年10月5日日曜日

タイヤ交換

タイヤ交換をしてもらった。何の?ってそれはBlack Birdの後輪。理由は磨り減ってしまったから。初夏に車検をしてもらった時にやばかったけど,まだぎりぎりスリップ残ってるからと許してもらったのだが,その後忘れてしまっていた。それを今回四国に行った時に,ふと後輪を見たら中央ちょっと右よりの溝がなかった。さすがに西条まで行っていたので,そのまま滑らないように気をつけながら帰ってきた。気づいてから800kmぐらい走って帰ってきたことになる。帰った時に見ても見た目は変わってなかったので,ほっとしていたのだが,この間後輪をチェックしたらタイヤの中央部に変なひび割れのような模様が見える。さらにタイヤを回していくと,なんと「ワイヤー」が顔を出していた。タイヤはミシュランのディアブロだったのだが,よくもまぁ事故せずに済んだわ,という感じになっていた。そこでさっそくバイク屋へ。今回は安く済まそうと思ってディアブロのストラーダにしてしまった。ディアブロの中で一番長持ちするタイヤ。当然グリップは落ちるが,グリップよりも長持ち,を選択した。何故って,今回はやっぱり車検の時からの懸案だったチェーンも交換してもらったから。これがお金かかるのよ。チェーンはそれなりに強度の高いものを使わないといけないし,チェーンと一緒にドライブスプロケットとドリブンスプロケットも換えた方がいいという話なので,それらも交換。オイルも換えてもらわないといけない,っとなると丈夫で長持ちのタイヤにせざるを得なかった...いいねん,またいっぱい乗るから。いっぱい乗ってやるぅ~
 ところでタイヤの中央よりちょっと右寄りの溝だけなくなっていた理由だが,これは単にバイクを少し傾けて走っていたためみたい。普段から気をつけて真ん中に乗るようにしていたつもりだが,ちょっと偏っていた。四国の旅の時に減り具合に気づいて,走りながら何故だろうと考えた結果,左右でハンドルを持つ位置が違っていた。左手の方に無線機のスイッチを結束バンドでとめている。そのためハンドルを持つ位置がちょっと外になっていた。ところが右ハンドルはそれがなく,かつスロットル操作と同時にブレーキも操作したいので,右ハンドルはめいっぱい内側を持っていた。そのためバイクの姿勢がちょっとだけ右に倒れた形になり,タイヤのちょっと右寄りが早く減ったみたいだった。四国の旅では後半気をつけて右ハンドルの握る位置をできるだけ外にしてみた。その結果タイヤ中央がどんどん減ってワイヤーが顔をだしてしまった。ハンドルを持つ位置が1~2cmほど違うだけでこんなに違うとは...今は右ハンドルにも結束バンドをつけて,ちょっと外側を持つ癖をつけようと思っている。
 それとタイヤを交換しにバイク屋に行こうと思ったら,またタイヤがパンクしていた。どこでパンクしたかわからないが,四国からの帰りのはず。バイク屋までは空気をいっぱいに入れればもしそうな気もしたが,練習だと思ってパンク修理キットで修理してからバイク屋に行った。これでパンク修理キットでもう4回ぐらい修理したことになる。かなり手際がよくなってきたぞ。車でも使えるので,皆さんもパンクキットを購入してはいかが?

2008年9月27日土曜日

滝と舗装林道の旅 (その2) 鍋と釜

次の日は朝5時に起きてシャワーをし,明るくなってから出発した。まずは国道55号線を東に向かった。早い車やバイクを見つけてはその後ろを走る作戦で時間を稼いだ。 55号線は海沿いを室戸岬まで向かうが,途中の奈半利町から山の中の国道493号線を走って,室戸岬の向こうの東洋町まで行った。 493号線はかなりショートカットになるはずだったが,あまりいい道ではなかったので結構時間がかかってしまった。地図によると北川村にも甌穴群(おうけつぐん)があるはずだが,見つけれずに走り去ってしまった。東洋町に抜ける最後に四郎ヶ野峠を越えた。昔の参勤交代の道らしいが,結構険しかった。

東洋町からは再び国道55号線を走り,宍喰の道の駅・宍喰温泉で休憩した。ここは道の駅に温泉があったのだが,残念ながら温泉は廃業していた。道の駅から再び55号線を北上し,海部(海陽町)から国道193号線に入った。海陽町皆ノ瀬で左折して,県道148号線(県道轟公園線)を走って轟九十九滝に向かった。轟の滝(轟九十九滝)までは道はまあまあ走りやすかった。轟九十九滝は多くの滝の総称で,上のほうまで見ると歩いて1時間半ほどかかった。迫力があったのは一番最初の本滝。狭い岩の隙間に轟々と水が落ちていた。写真と撮ろうと近づいたが,びしょびしょになってしまった。その後,他の滝も見てまわった。最初の急な階段を登って,二重滝,他にも横見滝,船滝,丸渕滝,鳥返滝,鍋割滝を見た。結局一番上の鍋割滝まで見に行ったので,かなり時間をくってしまった。やはり一番いいのは本滝だった。

轟九十九滝の次は大釜の滝を目指した。海陽町皆ノ瀬から国道193号線を北上し,霧越峠を越えた。これがかなりハードな道だった。急な斜面をヘアピンの連続で登っていった。これでもか,という感じでカーブが続いていた。峠まで9kmとあったと思うが,9kmで650m以上登ったことになる。霧越峠から那加町に入った。ここから国道195号線に一度合流し,その後再び193号線を北上して大釜の滝を目指した。霧越峠から195号線までも遠かったなぁ。那加町木沢小学校前のJAショップでパンとジュースを買って昼飯にした。そこからちょっと行くと,道が斜面に沿って這うように登っていくのが見えた。山岳区間に突入だった。山岳区間に入ってすぐに大きな滝が見えた。大轟の滝だった。滝の上の方から見たが,大きくて幅があって結構雄大に見えた。しかしこの滝は日本の滝百選に選ばれてない。ということは大釜の滝はこれ以上ということを意味している。

大轟の滝を過ぎると,狭い感じの山道を登って行った。最後に細いトンネルを抜けるとそこに大釜の滝があった。駐車場はなく,道の横に看板があるだけだった。バイクなので道の脇の邪魔にならなさそうな所に止めて滝を見ることにした。大釜の滝は高さこそあまりないものの,かなりの水量で迫力があった。その水で滝壺が掘られていた。大きな岩が水で削られて滝壺になっている感じだった。滝が20mなのに滝壺は15mの深さがあるらしい。これは日本の滝百選に選ばれるなぁ,と思った。次に大釜の滝からさらに193号線を北上して雨乞の滝を目指した。193号線はかなり"酷道"だった。土須峠というのを超えて一つ向こうの谷にある国道439号線まで行くのだが,かなり高い所まで上がり,延々とくねくね道を下る,という感じの道だった。途中,剣山スーパー林道の入り口があった。オフローダーの聖地みたいな道なのよねぇ。でもオンロードだとダートは怖くて走れないねぇ。

雲早トンネルを越えて下って439号線に出て,東に行った辺りに雨乞の滝はあった。国道から脇道に入るとこれまた結構狭かった。それでも難なく駐車場にたどり着いた。そこからが結構大変だった。距離にして800mらしいが,かなりの急な斜面を登り続けないといけなかった。途中小さな滝がいっぱいあり,滝がある度に休憩をかねて滝を見たりした。小さくても結構立派な滝もあった。そして最後に雨乞の滝に着いた。雨乞の滝は左右から別の流れが同じ所に落ちてきていた。左が雄滝で,右の段々になっているのが雌滝らしい。それぞれにいい感じの滝だった。 2つの滝が同じ所に落ちるのも珍しい感じだった。雌滝の方には鎖があって,いかにも登ってください,という感じだったので登ってみた。雌滝の滝壺が見えるぐらいまで登ったが,言うほどたいしたことはなかった。

雨乞の滝が今回の最後だったので,そこから帰路についた。雨乞の滝から県道20号線を走って石井町に出て,ガソリンをいれて,県道34号線を北上し,県道14号線,県道1号線と走って高松道の板野インターから高速に乗った。高速でも速めの車を見つけてついていった。神戸淡路鳴門道は快適だったが,中国道の神戸ジャンクションから宝塚トンネルまで渋滞ということだった。垂水から阪神高速も考えたが,阪神高速も渋滞してるとのことだったので,中国道経由にした。渋滞は思ったよりも楽に抜けれたので,中国道を使って正解だった。今回は1266km走った。後輪のタイヤの減りが変な感じだったので,濡れた路面ではひやひやしていた。言うほど心配しなくてもいい感じだったみたいだけど。今回は四国の日本の滝百選の滝を7つも見たので,収穫大だった。今度は中国地方かなぁ???
(追記)タイヤは全然大丈夫じゃなかった。埋め込んであるワイヤーが見えかかっている所があって,さっそくタイヤ交換しました。

もっと写真をみたい人はMatsup's Motorcycleを見てください。

2008年9月26日金曜日

滝と舗装林道の旅 (その1) 瓶ヶ森と梶ヶ森

飛び石連休に仕事を休んで旅に出た。今回は四国の滝を見に行った。出発は午前一時半すぎ。出発を早くしたのは高速代を安くするためと,多くの滝を見るため。前日は夜8時に寝て,午前0時に起きた。あまりしっかり寝れなかったけど。夜中走ったけど,瀬戸中央道は普通車と軽自動車等は夜間の割引はなかった。残念。計画では真夜中に出発の予定だったが,雨がぱらついてので元気出ずに遅くなってしまった。おかげで最後まで計画から一時間遅れだった。

出発の時にはまだ前の日の雨が少し残っていたが天気予報が晴れというので強引に出発した。仕方ないのでカッパを来て出発した。ルートは中国道から山陽道,瀬戸中央道,高松道,松山道と走って,いよ西条ICまで走った。途中,三木SAでガソリン入れて,豊浜SAで朝飯休憩した。三木SAでカッパを脱いだが,寒かったのでわざわざ吉備SAで止まってもう一度着た。豊浜SAではガソリン補給と短い休憩のつもりだったが,朝ごはんを食べておくことにした。そしたら1時間も休憩してしまった。ガソリン補給は西条まで走れそうだったので,高速を下りてからガソリンを入れた。ガソリンスタンドから見上げると,山の辺りにはどこも黒い雲がかかっていた。天気予報では晴れのはずなのに,と思ったが,前進あるのみということで先に進んでみた。

今日の目的は御来迎の滝と大樽の滝,竜王の滝,轟の滝の4つ。いずれも日本の滝百選に入っている滝ばかり。御来迎の滝は本格的に登山するか,あるいは遠く石鎚スカイラインから眺めるか,しかない。さすがに今回は遠くから眺めることにした。石鎚スカイラインへは松山方面から行くこともできるが,今回は西条から寒風山,瓶ヶ森林道経由とした。西条から国道194号線を走って寒風山トンネルを目指し,寒風山トンネル手前で脇道に入った。その道は旧国道194号線だが,一車線のくねくねした道だった。路面は多少荒れていて,若干しんどかった。一番高い地点に旧・寒風山トンネルがある。そこを抜けると,登山のための駐車場があった。駐車場から西に向かって瓶ヶ森林道がある。

瓶ヶ森林道は全線一車線しかない。しかし尾根つたいに道があり,眺望は抜群だった。よくもまぁ,こんな所に道を作ったなぁ,と思う道だった。高度が高いため,途中雲の中を走ったりもした。雲は北側からやってきて,山にぶつかっていた。なので山の南側は天気がよかったが,山の北側は天気がいまいちだったみたい。雲が多いからってやめなくてよかった。山の上部は寒いためか木がなく,笹原になっていた。すぐそこに山の頂上が見え,登ってみたかったが,先が長いのでやめておいた。瓶ヶ森林道は距離がちょっと長く意外と疲れた。瓶ヶ森林道の終点は石鎚スカイラインの土小屋。そこにはレストランや宿泊施設があり,石鎚登山の拠点となっていた。そこでトイレ休憩だけして御来光の滝に挑戦した。御来光の滝は石鎚スカイラインの途中,13.2km地点にあった。道がヘアピンで180度向きを変えるところに砂利の駐車スペースがあり,そこから見ることができた。でもさすがに石鎚スカイラインからは遠かった。デジカメはちょっと古いコンパクトタイプだったので,滝はほとんど見えない。駐車場に100円の望遠鏡があったので,100円を払って覗いてみた。さすがによく見えた。あのそばまで行くのはちょっと大変そうだった。

御来光の滝の次は越知町にある大樽の滝を目指した。大樽の滝へは石鎚スカイラインから県道12号線を松山に向かい,途中県道212号線を走って,美川大橋で国道33号線に入って越知町を目指した。今回は秋の交通安全週間の真っ只中だったので,速度違反の取締りに気を使った。案の定途中で取締りをしていた。でも対向車がパッシングで教えてくれたので,無事違反なく乗り切れた。越知町で大きな橋を渡ったところから脇道にそれて大樽の滝へ向かった。大樽の滝に上る道はコンクリートで,かつ狭く,路面には石ころがいっぱいあっていまいちだった。滝へは駐車場からちょっと歩いて登った。滝としてはまあまあの滝だった。言うほど感動しなかった。他にいい滝をいっぱい見てきたからかもしれない。


大樽の滝の次は龍王の滝を目指した。龍王の滝は高知の北の大豊町にある。越知町から県道18号線,国道194号線,国道439号線と走って大豊町を目指した。途中,早明浦ダムの近くの道の駅・土佐さめうらで昼休憩した。昼飯自体は道の駅の隣のパン屋さんで食べた。龍王の滝は高知道大豊インターを東へ行った辺りから山に入る。大豊インターから国道33号線を東に向かい,439号線をさらに数キロ走って,「梶ヶ森」を目指して右折した。場所は落合辺り。途中「八畝」という集落を通過して,どんどん山の上へと登っていく。普通ならもう滝はなさそう,という辺りまで登っていった頃に駐車場が現れた。梶ヶ森山荘まで4kmの標識を過ぎてからだったと思う。龍王の滝は駐車場から歩いて5分ほど。最後少し登るが,言うほどしんどくはない。滝はかなり高いところにある割には水量が豊富だった。看板にも豊富な水量は不思議だと書いてあった。

龍王の滝の次は今日の最後の轟の滝を目指した。轟の滝は龍王の滝と同じ山の裏という感じの位置関係にある。一度龍王の滝から国道439号線,33号線に戻り大豊まで戻った。そこからさらに国道33号線を南国まで行き,途中左折して県道31号線や地元の道を走って,土佐山田駅の東の辺りで国道195号線に出た。そこからしばらく195号線を東に走り,「轟の滝8km」という標識があったので左折してみた。すると一車線の道で物部川を渡り,県道217号線にでた。そこからはひたすら轟の滝という小さな標識を頼りに走った。後で地図を見ると,195号線から永瀬ダムを目指して県道220号線に入り,最後に物部川を渡った方がよかったみたい。轟の滝は意外と低い所にあった。細い道を走って行って,言うほど登ってないのにいきなり駐車場にでた。そこから歩いていくと,滝は道よりも下にあった。でも意外と大きかった。高い所から見ると,数段になっている滝の途中の滝壺が見えていい感じだった。後で下に下りて見上げてみたが,上から見下ろした方がよい感じの滝だった。滝の展望台に着いた頃に雨がぱらぱらしてきたので,急いで遊歩道で滝壺の辺りまで下りた。そこから小さな橋を渡って滝の反対側を登って駐車場に戻った。雨もぱらついていたので,汗が引くのを待つ間もなく急いで出発した。物部川を渡る頃には雨もやんでいた。帰りはすぐに物部川を渡り,県道220号線,国道195号線と走って高知へ向かった。今日の宿はホリディイン高知。土佐山田の駅前交差点で左折して県道234号線を南下し,国道55号線を西に向かった。ホリディイン高知は55号線沿いにあった。最後にガソリンを入れて宿に着いた。宿ではすぐにシャワーを浴びて,夕食を食べた。帰ってきたら8時前だったが,すぐに寝て明日に備えた。 (続く)

もっと写真をみたい人はMatsup's Motorcycleを見てください。

2008年9月16日火曜日

中の滝いまいち見えず


中の滝を見たくて,大台ケ原に行ってきた。今回もバイクで行った。出発は午前6時前。さっさと歩いて,時間があれば不動七重の滝を遠くから見る作戦。途中コンビニで朝御飯を買って,トイレで大減量。でもこれが大失敗。大減量時に財布をトイレの高いところにおいてしまった。で,そのまま忘れてしまった。ところがそんなことには全然気づかずに,ガンガン走って大台ケ原まで行ってしまった。大台ケ原に着いたのは8時前。適当に写真を撮って,歩く準備をしてトイレに行こうと思った。大台ケ原のトイレは高いところなので,協力金をお願いしていた。その金を払おうと思った時に,財布がないのに気がついた。さすがに焦った。携帯は持っていたので,電話しようと思うが圏外で電話できず。仕方ないので,169号線まで降りて,圏外を抜けてからコンビニに電話してみた。そしたら財布はあるとのこと。ほっとしてコンビニまで走った。しかし大台ケ原からコンビニまでは60km以上ある。頑張っても1時間以上かかる。往復してなんだかんだしたら,なんと3時間もロスしてしまった。それでも財布が戻ってきたので安心して大台ケ原に再挑戦できた。結局大台ケ原を歩き始めたのは10:30。ビジターセンターで地図を手に入れて,日出ヶ岳経由で大蛇嵓に向かった。これが意外としんどかった。 1時間で歩けると思ってかなり早足にしたが,めちゃめちゃ足にきた。日出ヶ岳についた時点でもうへろへろ。そこから正木峠を越えて,正木が原,牛石が原を通って大蛇嵓へ。大蛇嵓についた時にはもっとへろへろだった。大蛇嵓はやっぱりいい景色だった。大蛇嵓から楽なコースを取るという作戦もあったが,頑張ってシオカラ谷を通ってみた。シオカラ橋までは下りなので,なんなくこなせた。でもシオカラ橋から先がしんどかった。足に乳酸がたまりまくりなのがわかった。それでも頑張って歩いて駐車場まで戻った。

ところで中の滝は?大蛇嵓から一応見えたが,とても遠くにしょぼっと見えた。全然あかんやん。どうにかしてあのそばまで行きたいなぁ。

2008年8月26日火曜日

bloggerの不思議

googleのblog(blogger)を使っているが、今日の昼間のアクセスがとても多かった。なぜだろう?どうもbloggerの注目ブログにでも載ったのだろうか?アクセスしている言語が外国語が多かったので、どこかでそのようなものにたまたまひっかかったので、みんなが見にきたのだと思う。でも日本語で書いてるから、外国語の場合は読めないと思うのだが...写真でもあれば見たらわかるかなぁ?あまり写真を載せてないから、外国人の人は読めなくて不満だったと思うけど、どうでしょう????これからはもうちょっと写真を載せようかな???
(後で知ったが,これがやっと100個目のブログらしい。おめでとぉ~)

2008年8月24日日曜日

みくりが池と八方池

ヨーロッパから帰ったばかりだけど,涼を求めて信州に行ってみた。行き先は白馬方面。宿泊はそこらのペンションに2泊してきた。日程は2泊3日だけど,スキーの時のように夜中に出発して早朝長野に着くようにした。理由は立山黒部アルペンルートに行ってみたかったから。アルペンルートは富山側の立山から,ケーブルカーとバスで室堂まで行き,そこからトロリーバスで大観峰,ロープウェーで黒部平,ケーブルカーで黒部湖(黒部ダム),さらにトロリーバスで長野県大町市の扇沢,というルートになるが,これは電車やバスの場合の作戦。自家用車だと高い金を払って回送してもらうか、駐車場に止めておいて同じポイントに戻ってこないといけない。今回はピストン作戦にして、大町市の扇沢から,トロリーバス,ケーブルカー,ロープウェー,トロリーバス,という作戦で室堂まで行ってみた。一応室堂がアルペンルートの一番上という感じなので。そのために早朝に扇沢に着いておいて,一番のバスで黒部ダムに向かいたかった。朝一番のバスは7時半扇沢発。日本で今トロリーバスを運転しているのはここだけらしい。トロリーバスは5台を一度に運転して,基本的に一方通行。所要時間は16分。だいたい30分に一回運転しているみたい。これで黒部ダムのところまで行く。黒部ダムは関西の電力不足を解消するために作られたものらしい。昭和31年頃に着工したんだっけ?かなりの大きさがあった。観光放水していてダムの堰堤から水が轟々と吹き出しているのはいい感じだった。さすがに建設で多くの犠牲者が出たようだった。慰霊碑もあった。とてつもなく大きく,こんな山の中によく7年程度で作ったなぁ,と感心してしまった。

その次はケーブルカーとロープウェーを乗り継いで行く。トロリーバスはダムの東側に到着するが、ケーブルカーはダムの西側なので、ダムの堰堤の上を歩いて反対側まで行かないといけない。ケーブルカーは所要時間こそ5分しかかからないが,朝一番なので8時半まで運転がなかった。なので,黒部ダムのところでしばらく待たされてしまった。定員は130名なので、トロリーバスが満員だと困るが、こっちの方がちょっと頻度が多いみたい。ケーブルカーの駅は黒部平。その駅でも次のロープウェーでしばらく待たされた。もうちょっと効率よくいけないものかねぇ?各駅には土産物屋があり、そこで土産を買わせる作戦なのだろうか??さらにロープウェーは風がきついためおもりを載せていて、定員は通常の80名の半分の40名程度だった。それでもさすがに朝一番に行ったので、最速で室堂に向かえた。ロープウェーの終着は大観峰という駅。眺めはいいねぇ。昔はここらを歩いて越えたらしい。大観峰からは再びトロリーバスで室堂に向かった。室堂に着いたのはほぼ10時になってしまった。室堂は標高2450mで,おまけに天気がいまいちで地上に比べるとかなり寒かった。半袖の上に長袖を着て,その上にヤッケを着てもちょっと肌寒い感じだった。夏だと言ってもさすがに山の上は別世界という感じだった。室堂ではあまり歩き回る気はなかったが,みくりが池の周りを回ってみた。これが意外と距離があった。さすがに雰囲気は高山地帯。植生も背の低いハイマツなどがあり、花々も小さな高山植物がいろいろと咲いていた。また、草むらの中にのんびりと雷鳥がいた。みくりが池は見た感じきれいな池だった。近くには行かせてもらえないので、それ以上はわからなかったが。見た目はそんなに大きな池ではなかった。それでも1時間以上かかって一周した。その後,ちょっと休憩してから,再びトロリーバス,ロープウェー,ケーブルカー,トロリーバス,と乗り継いで扇沢に戻った。途中黒部ダムのところで高いところにある展望台まで歩いて登った。コンクリートの壁に沿ってむき出しの階段があり、結構迫力があった。そこからのトロリーバスは、往きにはあまり人が多くなかったが,帰りはかなり多かった。どうやら朝一番で富山側からアルペンルートを抜けてきた観光客の人々と一緒になってしまったみたい。観光客は日本人よりも,韓国人や台湾人っぽい人々が多かったなぁ。

その日は早めに宿に行って,晩飯後にさっさと寝てしまった。次の日は天気も悪かっので,のんびりすべく近場の鬼無里(きなさ)という所に行ってみた。何があるわけでもないが,おやきという食べ物を食べたかったのと,そばを食べたくて行ってみた。白馬からは1時間もあればつく距離だった。さすがにそばはおいしかったねぇ。鴨汁につめたいそばをつけて食べるのがおいしかった。その日はさっさと帰って宿で昼寝をして,温泉に行って終わってしまった。最後の日は天気が少し回復していたので,八方に登ってみる事にした。登ると言っても,スキー用のゴンドラとリフトを乗り継いで,八方池山荘というところまで行き,そこから八方池まで往復2時間半〜3時間かけて歩く,というものだった。標高差は240m程度だったが,岩がゴロゴロしてるところを歩く感じで,かなり歩き辛かった。普通のサンダルを履いてきている女性に比べればそれなりの装備で行ったので、ましだったが、かなり山をなめてかかっている人もまあまあいた。登山道は木道もかなりあったが,その部分は人が多くて歩きにくかった。それでもなんとか八方池まで行くことができた。最初は半袖、長袖、ヤッケを着ていたが、八方池に着く頃には半袖一枚で十分という感じだった。下界の天気はまあまあよかったのに、山の上の天気がいまいちだった。折角の北アルプスの山並みを見る事はできなかった。また来ないといけないかなぁ???

2008年8月15日金曜日

ダッチライフ

用事があってヨーロッパに行ってきた。行き先はアムステルダム・オランダ。この時期燃料サーチャージが高くて、航空機代がとんでもなく高い。仕方ないので、KLMをあきらめてフィンエアーを使った。関空発14:00の予定が、空港に行ったら機材の到着が遅れているために5時間も遅れるとのこと。それでなくてもヘルシンキからアムステルダムに行くのに、到着が夜の22:30頃の予定なのに、5時間も遅れるとその日中に着けない。チェックインカウンターで聞いてみると、ヘルシンキで一泊してから、次の日の朝の飛行機を取ってくれたらしい。さらに関空でのお食事用として1500円分の券をくれた。そこでトンカツを食べてから出発した。ヘルシンキに着いたのは当地の22:30頃。そのまま空港近くのラマダホテルに連れて行ってくれた。次の日は8時の飛行機なので、6時前に空港に行った。アムステルダムに着いたのは昼頃だった。結果的には夜中に着かずに昼頃着いたので、街に行くのは楽だった。宿は思ったよりもしょぼかったなぁ。用事の合間に適当にさぼって美術館でレンブラントやフェルメールを見たりもした。帰りは普通に帰れたが、もともとヘルシンキで5時間待ちだったので、街に行こうと思ったが雨が降っていたのでやめた。そこで仕方なくインターネットで遊んでいた。日本に帰ったら暑かったが、意外とましだった。曇っていたからだろうか?ヨーロッパでは雨が降ると長袖着てても肌寒かったが、さすがに日本は暑いなぁ

後でタイトルを見たら、ちょっと危ない感じがした。うーん、言葉って難しいねぇ

2008年8月14日木曜日

麺めん

最近よく麺を食べに行く。よくいくのはろあじ。鞠小路にある。つけ麺が売り物。麺は普通のそばっぽい感じ。それをたれにつけて食べる。結構有名らしい。料理雑誌の人もよく来るらしい。麺に山椒や唐辛子をふりかけてから、つゆにつける事もできる。それと河原町丸太町下がったところにある一神堂。どうやら東龍と同じ系列らしい。一神堂では一神堂そばを食べた。豚骨塩浅蜊と銘打ってあった。味は結構いけた。おなかが空いていたからかもしれないが。浅蜊がいいのかどうかはわからないが。もう一度食べてみたいと思う味だった。

2008年8月3日日曜日

滝滝滝滝蕎麦滝=暑かった

今日もバイクで滝を見に行った。兵庫県北部から鳥取,京都府北部に日本の滝百選の滝がかたまっている。それらを見に行くことにした。出発は午前4時。前日あまり寝てないから体がもつかちょっと心配だったが,なんとかもった。まずは中国道・山崎インターへ。昔は山崎町と言っていたような気がするが,現在は宍粟市(しそうし)となっている。中国道加西SAでガソリンを入れるつもりが,ぼーっとしていてSAを通過するミス。仕方ないので,山崎で入れることに。朝早かったが,一軒開いていて,無事ガソリン補給完了。コンビニで休憩してから,原不動滝へ。原不動滝へは国道29号線を戸倉峠方面へ。「道の駅はが」(波賀町にある)を過ぎたところで左折するとある。雲が多く,雨を心配したけど大丈夫だった。滝の手前に宿泊施設があり,そこを過ぎると駐車場。そこから歩くと,料金所があったが,まだ早朝なので無人だった。でもちゃんと200円を入れて,滝へ。滝へは吊橋を渡っていく。最後に階段を登っていくと,別の吊橋があって,そこの上から滝をみる。さらに上に上がって,滝を巻いていくと男滝の滝壺にいけるらしいが,まだ先が長いので今日はあきらめた。滝は右に男滝,左に女滝。男滝はさらに上部に滝がある。どれかっていうと男滝の上段の滝が一番立派。普通はこれを原不動滝と言っていると思う。

原不動滝の次は天滝へ。 29号線を北上し,戸倉峠手前で右折して天滝へ。天滝への道は若杉手前で急に高度を下げる。一気に高度を下げて若杉の集落横を走って天滝公園へ。天滝へは天滝公園から林道を上がっていくと,登山口に駐車スペースがある。そこにバイクを置いて,歩いて天滝を目指す。着いたのは8時前。滝までは歩いて40分ほどと書いてあった。タオルと水,カメラだけ持って滝を目指す。途中小さな滝が多くあったが,遊歩道からはあまり見えなかった。残りの距離を書いた標識が100mごとにあったので,徐々に近づくのがわかる。でも最初の方の残り1100mや1000mを見た時にはちょっとへこんだ。残り600m付近に休憩スポットがあった。でも今回はさっさと先を目指した。残り300m付近で前方に滝が見えた。あれが天滝?と思ったが違っていた。鼓ヶ滝だった。まあまあいい滝だった。そこから鼓ヶ滝を巻くように急な上り。かなり険しい感じの道をいくと天滝に到着。天滝のところにはステンレスの大きな階段がある。階段下からまずは天滝を見上げる。水量はあまり豊富ではないが,いい形の滝。さらにステンレスの階段を上がると祠があり,滝の正面にでる。滝の正面からは滝の上部がよく見えた。そこから再び30分ほどかけて駐車場に戻った。行って帰ってほぼ1時間かかった。戻ったら8時40分頃だった。汗だくになったので,シャツを着替えて,鳥取の雨滝を目指した。 8時50分頃に出発した。

天滝から雨滝へは戸倉峠に戻って,峠を越えて鳥取県へ。郡家で右折して県道39号線へ。そこから県道31号線へ。しばらく行って右折すると雨滝の入口。そこに駐車して歩いてすぐに雨滝があった。天滝から雨滝まではとても暑かった。雨滝は飛沫がいっぱいあり,かなり涼しかった。しばらくそこで休憩したかったが,まだまだ先があったので,すぐに出発した。

雨滝から県道31号線の十王峠を越えたかったが,法面崩落のため無期限通行止めだった。仕方なく県道37号線で岩美に向かい,途中県道197号線で9号線にむかった。 9号線は車も多く速度が上がらない。おまけにこんなに天気のいい日は絶対にネズミ捕りをしているに違いない。さらに暑い。早めに9号線から離れたかったので,湯村温泉手前から県道256線を走って村岡に向かった。県道256号線は途中道がわかりにくく,何度も地図を見ながら走った。なんとか無事9号線に戻り,猿尾の滝を目指した。猿尾の滝は村岡から9号線をちょっと南下した辺りにある猿尾滝口を左折する。猿尾の滝に着いたのは11時半を過ぎていた。林道をいくとすぐに滝のそばの駐車スペースに着く。そこから歩いて5分で滝がある。猿尾の滝は2段になっている。まずは下段の滝の下へ。結構高さがある。上段の滝の滝壺の辺りにも遊歩道でいける。上段は岩が面白い感じで,その岩に水が当たって飛沫が多く,結構涼しかった。

猿尾の滝の後は宮津にある金引の滝を見たら今日の目的は終了。その前にそばを食べたかったので,神鍋に向かう。 9号線を村岡に戻り,482号線で神鍋へ。長さ4kmほどのとてもいいトンネルができていて,一気に神鍋に行ける。神鍋に入ると対向車のおじさんがなにやらジェスチャーで合図を送ってきた。むむむ。何か危険な臭いがする。ネズミ捕りかも。と思っていたら前方に怪しげな目つきでこっちをにらむおじさんが見える。やはりネズミ捕りをしていた。 50km/h制限の道だったので,レーダー前を50km/hでゆっくり通過して,事なきを得た。その後,県道712号線を北上し,県道1号線との交差点を目指す。その辺りにおいしい蕎麦屋がある。数件があるが,みんなが入っていた床瀬そばに入ってみた。お店はいっぱいだったが,ちょうど入れるぐらいだった。食べたのは大盛りそばとなす田楽。大盛りと言っても普通盛ぐらいの大きさに感じた。でもとってもおいしかった。お店は民家を改造したもので,エアコンがないのにいい風が流れて結構涼しかった。

1時ごろお店を出発して,宮津に向かった。県道1号線を東へ。312号線にぶつかる前に県道250号線(だったと思う)を東へ。 312号線に入ったところでガソリンを入れた。 312号線を北上して,蓼川橋を渡り広域農道へ。そのまま出石の北を迂回して,いずたんトンネルを通って再び482号線へ。途中から県道2号線で野田川町経由で宮津へ。野田川町で176号線に入ったが,その手前にひまわり畑があった。宮津から金引の滝へは,大江方面に向かって少し南下する。そこで一度道を間違えてしまった。なんとか県道9号線に入り,宮津高校の南側にある道を西へ。突き当りを左にいってくねくねいくと金引の滝に着いた。多くの日本の滝百選に入っている滝はもっと案内標識があるのに,金引の滝だけは大きな案内標識がなかった。もっと宣伝すればいいのに。 2時ごろ滝に着いた。あまり宣伝されてないようだったので,期待しないで行ったが,案外いい滝だった。大きな岩の上から川が流れてきて,大きな岩全体た滝になっていた。今まで見たことのない面白い形をしていた。なんでもっと売り出さないのかなぁ?

宮津からの帰り,あまり高速を使わないで節約しようと思っていたが,あまりの暑さに高速で楽をしてさっさと帰る作戦に切り替えた。でもかなり西日がきつくてしんどかったが。金引の滝から県道9号線に戻ったところで,コンビニでアイス食べた。県道9号線をさらに南下すると京都縦貫道の宮津天橋立インターがあった。そこから京都縦貫道,舞鶴道,中国道を走って帰った。宮津天橋立インターはETCゲートがまだなく,現在工事中だった。仕方なく通行券を取って,出口でお金を払った。道を作るのに比べればETCゲートを作る費用は大したことないと思うのだが,何故最初からゲートを作らないのか!!!と思った。

今日は結局743km走った。高速をいっぱい使ったが,それにしても暑い中がんばった。目的としていた日本の滝百選の滝5つも見れたし,いっぱい走れたし,おまわりに怒られなかったし,楽しい一日だった。でも次の日に足が痛かった。おかしいなぁ,そんなに歩いてないのになぁ。ぶつぶつ

2008年7月30日水曜日

鉄砲水とおかしな反応

神戸市灘区の都賀(とが)川の濁流による事故の記事を,おとといネットで見つけた。中学,高校の頃は神戸市民だったので,神戸といわれるとすぐに反応してしまう。事故は学童に行っている児童や,保育園帰りの子とおばさん(と言っても29才)や,他の男性が流されて死亡したという痛ましい事故だったようだ。場所は灘区。六甲道の駅の西だったと思う。すぐに都賀川の監視カメラの映像を写しているサイトに行ってみた。見るとアニメーションというボタンがあった。そこに行ってみると,過去6時間の様子を30秒のアニメーションで見せてくれる,というものだった。映像を見ると...怖かった。14:36ぐらいの映像だとまだ普通の状態。それが数分のうちにすごい雨の映像(かすんできた)になり,14:42ぐらいにはすでに水位が橋脚の半分の高さまでになる濁流だった。きっと現場ではあっという間に水位が上ったんだと思う。あれは逃げ遅れても仕方ないと思う。まさに鉄砲水だった。映像をみると,結果的に河川敷の橋の下で雨宿りをしたのが間違いだったと思うが,その場にいたら自分で危ないからすぐに逃げる,という判断ができたかどうかはわからない。梅雨の終わりから,夏になけては,よく気圧が不安定になって土砂降りになるので川は危険だと頭では思うが,頭で思っていても,土砂降りの中をあえて雨に濡れても河川敷から逃げる,という判断ができただろうか?ある意味事故でなくなられた方は運が悪かった,と思わないと仕方ないのかもしれない。
 話は変わって,フジテレビのアナウンサーの不倫疑惑報道がなされている。ネット上の記事によると週刊誌が報じたものらしい。私にはネット上の情報ぐらいしか入ってきていないので,事実かどうか,というのが全くわからない。ところが,フジテレビには批判めいた電話などが多くかかっているらしい。なぜだろう?批判している人たちは,事実だとわかったのだろうか?私には全然わからないが。そもそも,誰かが言っている,というだけで言われた人があたかもほんとに不倫をしているかのように捉えているが,ほんとにそうなのだろうか?疑わしくは罰せず,が基本ではないのか?もし事実なら,批判されても仕方ないと思うが,疑惑の段階で,それも調べもせずに(たぶん批判している人々は調べてないと思う)苦情を言うのはいかがなものか??世の中の人の感性がおかしくなってきているのではないだろうか???

2008年7月28日月曜日

滝と千枚田

真夏に走りたくなって,紀伊半島に行ってきた。何か目標が欲しかったので,滝と千枚田を見る,にしてみた。滝は,日本の滝百選に入っている八草の滝と,滝の上部にいけるらしい鼻白の滝と,滝壺に降りれるらしい布引の滝。ある種リベンジっぽい作戦。結果的に滝は,かなり昔に見たが最近見てない琴の滝・雫の滝, 168号線沿いの白見の滝も見ることになった。

出発は午前3時半過ぎ。今回はめんどくさくなったので,できるだけ高速を使った。まずは松原付近で一度高速を降りてガソリンいれて,コンビニで食料補給。今回は朝飯用のおにぎりと,ゼリー状のエネルギー補給剤,飲み物を買った。阪和道を紀伊田辺まで行き,そこから山道へ。八草の滝は日置川沿いなので,白浜から一瞬311号線を本宮に向かって,すぐに県道36号線へ。途中県道37号線に入って八草の滝へ。道はかなり狭いがバイクなら余裕だった。言うほどカーブもないし。キャンプ場をすぎてちょっと行くと道沿いに八草の滝の標識があった。バイクを止めて朝飯を兼ねて,滝の見物。ところが滝が見えない。よく見るとなんとなく筋っぽいものが見える。もしかしてあれだろうか?最後まで自信なかったが,きっとあれがそうだろう。なんと期待はずれの滝なんや。とりあえず朝飯食べて,次の滝へ。311号線に戻って本宮経由で鼻白の滝に行ってもよかったが,ふと,昔見た琴の滝と雫の滝にも行ってみたくなった。そこで,県道37号線を海岸の方へ。そこからちょっと42号線を走って,すさみ町から県道38号線へ。まあまあいい道を走っていくと,やがて琴の滝の看板。琴の滝荘という宿泊施設の横から林道を行く。かなり険しい林道を行くとやがて滝のそばへ。久々にみたが,昔の記憶はなかった。まあまあの滝だったが,何せ湿度が高くて暑くて困った。早々に次の滝へ。

雫の滝は県道38号線沿いで,県道225号線との交差点の近くにある。滝は道より下の方にある。県道沿いにバイクを置いて,階段を下へ。思ったほどは下に降りなかった。あまり降りると登るのが大変なので,躊躇してしまう。でも双門滝の経験があったので,多少は余裕だった。これが思ったよりもいい感じの滝だった。こんな滝だったかなぁ???雫の滝でちょっと元気になって,次はいよいよ鼻白の滝へ。鼻白の滝は168号線沿いにあるので,新宮までいかないといけない。遠そうやなぁ。ガソリンが心もとなくなってきたので,とりあえず七川へ抜けて,そこから371号線で串本へ。途中,天柱岩と古座川の一枚岩を見た。串本でガソリンを入れて,42号線を新宮へ。今回は橋杭岩はパスしてしまった。那智勝浦から新宮までは悪名高き那智勝浦道路を走る。確かに不必要に高規格の道路やなぁ。これは無駄と言われても仕方ないねぇ。

新宮から168号線を北上。途中,白見の滝を見る。駐車スペースもろくになかった。そこから鼻白の滝へ。今回は滝壺はパス。そのまま上部へ。上部では河原まで降りてみる。すると滝を上から覗き込めた。うーん,怖いねぇ。ふと気づいたが,なんか滝が思っているよりも高いぞ。変に中段にテラスっぽいところがあるし。少し道を戻ると展望台がある。よく見ると,なんと滝は2段になっている!!今の今まで滝は1段だと思っていた。あの上にまだ滝があったのか...。なんたる不覚。とりあえず記念撮影をして,次に行こう。そういえば,滝の下流,熊野川にそそぐ辺りには全然水がなかった。どこに行ってしまっているのだろう?取水されてるのか,伏流水になっているのか....

鼻白からは168号線を北上。旧熊野川町役場付近(いつの間にか新宮市になってる)で三和大橋を渡る。この辺りにはこの橋でしか熊野川を渡れない。そこから布引の滝までは13kmらしい。車はほとんどいないからあっという間に到着。でもここも暑い。とりあえずは上の展望台から滝を見る。今回はちょっと水量が少なめ。その後,いよいよ滝壺へ。展望台のちょっとだけ先にあるので,最初は降り口に気づいてなかった。前回来た時には降り口に気づいたが,降りる元気がなかった。ということで,今回滝壺に挑戦してみた。下から見る布引の滝(の最下段)もいい感じだった。夏の青い空に滝が映えていた。

布引の滝を見たあとは,県道780号線で旧紀和町役場付近へ(ここも熊野市になってるぞ)。国道311号線を走って,丸山の千枚田に向かった。丸山の千枚田は何度も来ているが,GWの頃だったり,秋の収穫の後だったりして,あまり迫力がない時期ばかりだった。今回は夏なので,稲がいっぱい成長してるはず。今回は下から行ってみた。やはり稲がいっぱい成長している。いい感じだ。いつ見てもすごいところだと思う。ちゃんと遠くから見える展望台にも行ってみる。いい風景だねぇ。

後は帰るだけ。帰り道は千枚田から県道40号線を北山村へ抜け,不動トンネルを通って下北山村,さらに169号線で上北山村,新伯母峰トンネル,大迫ダム,大滝ダム,東吉野村,大宇陀,菟田野経由で帰る。千枚田を出たのが12時ごろ。途中,ゐざさ寿司屋さんでゐざさ寿司と柿の葉寿司を買って食べた。後はひたすら走って帰った。今日は606km走った。高速をいっぱい使ったのと,カーブで2速,あるいは3速固定で走ったので,意外としんどくなかった。昔に比べると山道が楽になったなぁ。きっと大型バイクで2速や3速固定で走れるからやなぁ。中型やとしょっちゅうクラッチをいじっていて,左手が動かなくなってたからねぇ。でも次の日に疲れが出る辺りがちょっといまいち....

2008年7月23日水曜日

世の中こうも頭の悪いやつらが多いのか??

今日,Yahoo Japanのニュースにこんにゃくゼリーで死亡した小学1年生の親が起こした裁判の和解の記事が載っていた。記事は,三重県の学童施設でコンニャクゼリーを食べた小学1年生が喉を詰まらせて死亡した事故に対して,親御さんが製造メーカーと行政を訴えたもので,製造メーカーが今後他社の製品を含めて同様の事故が起こったら製造を中止することを了承し,和解した。という感じのもの(細かい和解の条件は書かれていなかった)
 で,問題はそれに対するコメント。何が問題かというと,科学的な観点が全くなく,安易に親の批判ばかりで人間性を疑いたくなるコメントが多すぎ。何も分かってないやつらが多すぎる。
 そもそもコンニャクゼリーは,あまりに弾力性があり,押しつぶす検査をしても簡単につぶれない。かなり押してもまだ元にもどる性質を持っている。別の表現をするとすると「非常に粘り強い」。また大きさが大人を基準にしていたと思われ,子供の喉につまり安い大きさとなっていた。従って子供やお年寄りはうまくそしゃくできず,あるいは弾みで,コンニャクゼリーを喉に詰まらせるという事故が多数発生している。最悪の場合,窒息で死亡する事故が起こっている。今回の裁判はその死亡事故の一例に関する裁判である。
 親御さんを批判するコメントのパターンとしては,(1) 躾がなっていない。硬い物を食べさせていないから。教えていればよかったなど。(2) なんでもかんでも製造者の責任にするな。(3) そんなこと裁判で訴えることではない,などなど。(1)に関しては,そもそもこれは学童での事故であり,親は直接関与してないし,「硬い」のではなく「粘り強い」物を食べる訓練は小さい頃には普通させる機会はない。それなのに子供を亡くした親を責めるコメントが多すぎる。人間性のかけらもない。彼らを訴えたいぐらいだ(直接の被害者ではないので訴える権利がないような気がするが...)(2)に関しては,同様の事故(喉に詰まらせる)が複数発生しており,危険は明らかになっていたと考えられる。しかしメーカーは安易に「売れる」物を作ってきたようである。コンニャクゼリーはあまりに粘り強いために危険であり,事実ヨーロッパの多くの国では同様の製品にコンニャクを使うことを禁止している。多数同じような事故が起こっているということは,明らかに欠陥商品であり,その改善,あるいは製造販売の禁止を行うべきであり,企業の責任は大変重い。なのに企業に責任がないかのようなコメントが多い。何を考えているのか?なんでも企業を訴えたら企業は全部何も作れない,と言っているコメントもあったが,欠陥商品を作る会社は責められて当然に決まっているだろう。ましてや欠陥を是正しないのは悪い会社であろう。欠陥商品との認識があるから和解にも応じているのだろうし。また(3)に関しても,何のために裁判制度があるのかわかっていないコメントであろう。相手は会社であり,個人レベルで対等に渡り合えるものではない。そんな場合のために裁判があるのであり,裁判をしないと問題が解決しなかったから裁判をしたのである。どこに問題があるのか?130個ほどコメントがあったが,あまりにイライラしたのでここに書いてみた。なんで世の中こんなにひどいコメントをするやつらが多いのか?もっと発言(ネットでの書き込み)に責任を取らせるべきではないのか?
(追記 2008/10)また1歳児がこんにゃくゼリーで窒息で亡くなると言う悲しい事故(単純に事故と言っていいのか?)がおきてしまいました。こんなに人が死んでいるのに行政やメーカーやメーカー団体は何をしているのか?もっと根本的に見直さないといけないのではないのか??と,今更ながら怒りがこみ上げてきます。亡くなられたお子さんのご冥福をお祈りいたします。合掌

2008年7月17日木曜日

祭り

世の中祭りらしい。この辺りはこの祭りで夏が始まって,お盆の送り火で夏が終わる,と思っている。あながち間違いではないが,残暑が厳しいとそうも言ってられない。個人的にはあまりお祭りで好きじゃないなぁ。だって夜店って高い割りに味がいまいちやねんもん。やっぱりおいしいものはプロに任せないと。でも,こう暑いとあまり食欲がわかないのよねぇ。かといって,冷たい物ばかりだと胃がやられそうやしなぁ。大体飲み物だけでも胃がへたってる。なんか胃もたれする。困ったもんだわ

2008年7月13日日曜日

ラスプーチン

同じ日に二度も書き込んでしまう。ま、こんな日があってもいいでしょう。よくお気に入りの曲を聴く。最近あまり新しいのに挑戦しようという意欲があまりわかない。あまりいいことではないなぁ。でもあまりいい曲がないからなぁ。以前はラジオとかで聞いて、いい曲やと思ったからアルバムなどを探して買ったりしていた。そういう意味だときっといい曲がないに違いないっ!!どころで、ボニーMというグループをご存知だろうか?私もオンタイムで聴いていたのではない(と思う)が。その中のラスプーチンという曲(邦題は怪僧ラスプーチン)がなかなか気に入っている。Rivers of Babylonも好きだが。初めて聴いた時にラジオで「かいそうラスプーチン」と言われて、「快走ラスプーチン」だと思ってしまった。ところがどうやらテーマがロシア帝政の末期に現れたラスプーチンだというので怪僧だとわかった。で、ラスプーチンで検索するとwikiなどにいろいろ記述や記事があり、勉強になった。一番笑えた記事がラスプーチンの巨根を保存したもの。大きさを見ると確かに大きい。ただ、ホルマリンか何かにつけてあるので、もともとの大きさはよくわからん。実物大なら大きいなぁ。で、それをきれいなお姉さんが笑顔で覗き込んでいた。うーん、よくわからんショットやったなぁ。
 それはさておき、Bonny M.はディスコブームの時にヨーロッパで売れたグループらしい。検索するといろいろわかるなぁ。イギリスではバビロンの河が5週連続で1位になったらしい。1978年のことだが。この曲を知ったのは当然ラジオ。FM大阪か何かだったと思う。確か中学か高校の頃。あの頃はラジオしかなかったなぁ。夜中に何かの番組の中でかかったが、曲名がわからなかった。それがずっと後でFM802でかかっていて、思わず電話して曲名とアーティスト名を聞いてしまった。今じゃネットで放送局のページに行って、調べればすぐに出てくるが。それを元にレコード屋で(まだレコードが普通に残っていた時代)CDのベスト盤を注文して購入した。最近また発売され直したみたい。Rivers of BabylonとRasputin以外はあまりはまってないので、買う予定はないなぁ。気に入った曲はその曲を気に入った時のイメージが頭に焼き付いている。この曲は一人で部屋でラジオを聞いていた、というイメージ。そういえばJumping Jack Flashは冬の明け方の名神尼崎から西宮に向かっている風景。白々と明けだした空に六甲のシルエットが浮かんでいる、というイメージ。Jumping Jack FlashじゃなくてDoo Doo Doo Doo Doo (Heartbreaker)だったかも。なんかいい思い出やなぁ。
 そうそう、ラスプーチンと同じ名字だが、同じだとまずいというのでラスを取った名字にプーチンというのがあるらしい。ロシアの前大統領のプーチンの名字らしい。歴史っておもしろいねぇ

おニューのリュックでご近所

世の中バーゲンがそろそろ終わりつつあるが、山の道具を売っている店はこれからの所も多い。そこで、懸案である大型リュックサック購入作戦を実施した。行ったのはロッジとWild-1。Wild-1は山の店というよりはアウトドア系だが、ハイキング用品があったりするので行ってみた。結局35リットルのバーゲン品のリュックを買ってみた。それと念のためのツェルト。使わないにこした事はないが。それと安いシュラフも買ってみた。ロッジではヤマビルファイターを買ってみた。これはディートをカプセル化したものらしく、ヤマビルなどの虫除けに絶大な効果をもつみたい。ま、普通の虫除けもディートが10%ぐらいあるので、そっちで効果がなさそうなら使ってみようかな?で、新しいリュックサックを買ったら、やっぱり山に行ってみたい。目標はとりあえず山上が岳にしてみた。でもいきなりだとこの間の双門滝の二の前でへろへろになりそう。ということで、まずはご近所にある山に登ってみた。登り口は修学院の駅から歩いて,きらら坂を目指す。雲母坂と書いてきらら坂らしい。修学院の駅の辺りから音羽川に沿って歩いていくと,そのうちきらら橋にたどり着く。そこから山道に入る。修学院からケーブルの上の駅まで5kmなのに,暑さにかまけてのんびり歩いたら,3時間以上かかってしまった。途中で昼飯を食べたのもあるが...。それに訓練のために荷物を多めに持っていたので,その分上りでかなり足の筋肉にきてしまった。予想外にへろへろになってしまった。ほんとは比叡山の山頂まで行って,その勢いで坂本まで行って門前のそばを食べたかったのに,ケーブルカーで降りてしまった。情けない。これで山上が岳に行けるのだろうか??ま、かなり暑かったので,無理をしないでおいたということで。それに足の筋肉は鍛えられたからよしとしましょう。夜寝る前に足の筋肉がダルくなったので、これはいい傾向かもしれない。

2008年7月7日月曜日

ハシゴとカプサイシン

これは昨日の話。カプサイシンって何かって?それは唐辛子に含まれる辛い成分。それをくらってしまって,昨日は大変でした。

昨日は日本の滝百選の中で一番見るのが大変だといわれている双門滝(奈良県天川村)に行ってみた。一緒に行ってくれそうな人がいないので,ひとりで行くことにした。で,行く前にネットで「双門滝」で検索して勉強してみた。どうやらかなりハードらしい。それなりの準備をしないと危険みたいだった。そこで,カラビナとかスリングなどを幾つか買ってみた。ザイルも買ってみたが今回は不要だった。あと,登山で怖いのが熊,蛇,ヒル,蜂,アブ・ブヨのたぐい。熊さんだけは出会うとこわそうなので,熊よけ鈴や熊よけスプレーを買ってみた。この熊よけスプレーの成分が実はカプサイシン。それを間違ってくらってしまったから,ひりひりして大変だったのでした。

双門滝へは,天川村の川合から,みたらい渓谷をすぎた辺りにある熊渡というところまで行き,そこから歩く。熊渡に着いたら8時前。熊渡の辺りは車が5~6台止めてあった。みんな山登りか,釣りをしているみたいだった。半ズボンの下にタイツを履いて,靴を履いた。上は長袖のシャツを着た。とても暑かったので,上着は必要なかった。あと,腰に革のベルトをした。ハーネスがあった方がよかったが,今回は買っていなかった。他にもUVカットの帽子をかぶって行ったが,ヘルメットがあった方がよかったかもしれない。でもネットで見てるとみんな普通の登山の格好で行ってる。うーん,みんな怖くないのかなぁ?

熊渡からしばらくは未舗装の林道を歩いていく。時間にして30分ぐらい。するとちょっと開けたところがあって,左に下る道が見える。その道を5分ほど下ると白川八丁と呼ばれる河原にでる。河原と言っても,水はない。伏流水らしい。そこを20分ぐらい歩いていく。人っ子一人いなくて,ちょっと不気味な感じだった。いたのは鹿ぐらい。人の気配を感じで走って逃げて行った。こんなところで怖いのは熊。登山用のストックを引きずりながら歩いて,熊が近づかないように祈っていた。でも早朝じゃないから多分大丈夫だと思ってはいたが。

やがて水がでてきた,と思ったら滝が見えた。これが釜滝らしい。でも水がほとんどないぞ。どうやら関電の発電用に取水してて,ほとんど残ってないみたい。ここから山道に入るが,ここで大失敗。熊よけのスプレーをいじっていて,誤噴射してしまった。それが足にかかってしまって,ひりひりして困った。カプサイシンという唐辛子のきつい成分なのだが,これが痛い痛い。顔もひりひりしたが,顔は洗うとしばらくしたら痛みは引いた。ところが足はズボンに浸み込んでいたみたいで,帰りまでヒリヒリして困った。最後はステロイドが入った虫刺され薬を塗ったら,炎症が治まった。ただし,ステロイドを塗ってしばらくは激しくひりひりしたが。

そんな事故もあったが,とりあえず先に進んでみることにした。まずは右岸(下流から見て川の左側)をしばらく進む。斜面の上にあるハシゴを歩く。この先ハシゴや桟橋が出てくるが,めんどくさいからみんなハシゴと書く。最初のハシゴはいいが,その後,崩落したハシゴが随所に見られた。あるものは落ち,あるものは傾き,岩が突き刺さったのもあった。歩けるものも結構あったが,歩けない場合は「巻く」必要があった。ひどいのはかなり上の方まで巻かないといけなかった。途中反対向きに歩いてくるおじさんに会った。先の様子を聞いてみてる。おじさんは一の滝まで行ったらしいが,そんなにひどくはない,とのことだった。結局熊渡から出発して,熊渡まで戻る間に会ったのはこのおじさん一人だった。とりあえずぐんぐん進んで,何度か巻いて進んだ。一番激しく巻いたら道が河原にでた。すかさず顔を洗う。ちょっとひりひり感がましになる。その辺りで,徒渉する。徒渉ポイントには目印があったし,いい感じで岩があったので,全然濡れずに済んだ。

徒渉後は左岸(下流からみて川の右側)を一の滝まで行く。途中,大きな岩の辺りを登ったり,へつったりしないといけなかった。橋があり,斜面があり,よじ登っていくと吊橋が見えた。吊橋のそばに滝がある。まずは滝の正面にでる。これは下が一の滝で,上が二の滝らしい。とりあえず記念撮影して,水分補給。今回はポカリスエットの500ccを3本持って行ったが,全然足りなかった。時刻は9時半ぐらい。意外と早い。これなら余裕で双門滝にたどり着きそう。

でもここから先が大変だった。いきなり急な上りが始まる。ステンレス製のハシゴがあり,それを登るときつい斜面がある。さらに行くとハシゴのオンパレード。きついハシゴは垂直に近い。ハシゴとハシゴの間の斜面もかなり急。ルートは赤や青,黄色のテープやリボンがあるので判別できるが,なんでこんなところにルートが?と思う箇所が随所にあった。ネットでハシゴは30個ほどあるのを知っていたが,それにしてもきつかった。息があがって,数歩進んでは休憩を繰り返しながら登っていった。木の根をよじ登ったり, 50cmぐらいしか幅のない馬の背を歩いたりして,かなり怖いところもあった。24番ハシゴ辺りからさらに激しくなった。斜度もきつく,後に木がないため,とても怖い。特に27番付近はむき出しの岩に沿ってハシゴがあり,途中ハシゴなしで鎖だけの場所もあった。さすがに落ちたら大変そうで,足もすくむ。そこでカラビナ&スリング登場!2セットを使って,1個ずつ鎖にひっかけながら進んだ。そうすると安心感が生まれて,すごく楽な気になった。これまたネットでみるとみんなカラビナとかなしで上がってるみたい。怖くないのかなぁ?そのうち気づくとてっぺんぽい所についた。正面には大きな壁がある。どうやら千石グラみたい。それにしても滝が見えないぞ。双門滝はどこ??道はこの先下っている。仕方ないので,先に進んだ。この下りもかなり激しかった。やがて下りの階段が出てきた。 29番って書いてある。さらに行くとちょっと開けたところがでてきて,水の音が聞こえる。階段は32番まであって,広いところにたどりつけた。登りきった所だと勝手に思い込んでいたみたい。

どうやらそこが仙人グラテラスみたい。端の方にいくと大きな滝が見えた。おぉ~,あれが双門滝だ。やっとたどり着けたぁ~着いたのは11時ごろだった。身も心もよれよれだった。とりあえずは昼飯,と思ったが,暑いのと疲労で食欲がわかない。なんとかおにぎりを一個食べたが,それ以上は無理。仕方ないので液体燃料作戦で,ポカリスエットだけにしておいた。時間は3時間ほどだが,結構大変な道のりだった。後半の上りは辛かったし,斜面は怖かった。落ちたらどうしよう,と思うところが随所にあった。この先狼平行って別の道を降りる元気はないので,同じルートを帰る,と思うと,あまりのんびり滝を鑑賞する心のゆとりはなかった。なので10分ほどテラスにいて,そそくさと帰ることにした。ちなみに結構みんなこの先河原小屋から狼平まで行って,別のルートで歩いて降りる,というルートを1日で歩いている。12時間歩いた,とかって書いてあったりする。みんな元気やなぁ

帰り道,ハシゴを全部写真に収めてやろう,と思って下りだしたが,写真を取れたのはちょっとだけ。あまりに急な斜面で,写真よりも安全第一で,ハシゴ写真はあきらめた。それでも難所では止まって写真を撮ってみた。下りの最初の難所はむき出し岩の鎖のみのところ。ハシゴ番号27番の付近。下りは上り以上に怖かった。下りだと岩のどこに足を乗せればいいかが分かりにくかった。カラビナとスリングがなかったら行けなかったかもしれないなぁ,と思った。とりあえず眺めのいいところで止まって,岩とかハシゴとかの写真を撮った。難所をすぎると少し楽になった。やはり下りの方が足が楽だなぁ,と思っていた。しかし,ハシゴのないところは斜面に立つので,結構足にきて,疲労が溜まっていった。次の難所は14番付近。でもこっちは27番付近に比べるとまだ余裕だった。それでも念のためにハシゴの横の鎖にカラビナをかけながら降りて行った。

なんとか一の滝のところまで降りてきたのは12時半ごろだった。少し休憩したが,あまり長く休むと足が動かなくなりそうな気がしたので,また先に進むことにした。ここからは大きな岩を降りないといけなかったりする。下りだから余裕だと思っていたが,これまた結構辛かった。一度50cmほど飛び降りたら,踏ん張れずにごろんと転がってしまった。徒渉ポイントまで戻った時には,すごくほっとした。徒渉ポイントで腕や頭に水をかけてみた。腕はカプサイシンでまだひりひりしていたのと,頭はぼーっとしていたから,冷ための水で冷やしたかったから。でもここから先にあの激しい巻きがある。足がもつかなぁ?と思いながら先を目指す。ちょっと登るだけでもかなり足にくる。やっぱりいきなり双門滝は無謀だったかなぁ,と反省しきり。それでも登る高さがあまりないので,なんとか乗り切って,釜滝に着いたら1時をすぎていた。ここで最後のポカリスエットを飲み切ってしまう。この後いつ水分取れるのか,と心配になってしまった。とりあえずカラになったペットボトルに沢の水を入れておく。あまり飲みたくないが,どうしてもなら仕方ないから飲もうと思っていた。結果的には飲まずにすんだが。

釜滝からは白川八丁を進む。これは日向で辛かった。時刻は午後1時過ぎ。一番暑い時間帯。よれよれになりながら白川八丁を歩く。白川八丁ではまた鹿を見た。人がいないと鹿って出てくるものだ。すぐに逃げたが。白川八丁をすぎて林道に出たら一安心だった。でもまだ30分以上歩かないといけない。辛かった。ひたすらストックを引きずってだらだらと歩いた。それでもなんとか熊渡まで戻った。とりあえず荷物を下ろす。それからカプサイシンがついた長袖シャツを脱いで,腕に水をかける。でもひりひりするので,ステロイドの入った虫刺され薬を塗ってみる。結果はすぐにはでなかったが,その後しばらくはかなりピリピリして辛かった。でも炎症は引いたので,ステロイドは効くみたい。

さっさと着替えをして,荷物を詰め込んでバイクで出発した。みたらい渓谷の休憩所でジュースを飲んだ。スポーツドリンクがないというので,クーを飲んだ。やっぱりスポーツドリンクの方が飲みやすい。それでも500ccをあっという間に飲み干した。それから黒滝の道の駅を目指した。そこならアクエリアスがあったはず。道もいうほど大変じゃないし。ということで出発。川合までは狭いが,そこからは片側1車線で,長いトンネル2個を過ぎて,ちょっと下ると黒滝の道の駅だった。そこでアクエリアスを自動販売機で2本買って,1本はすぐに飲み干した。もう1本は道の駅でしばらくぼーっとしているつもりだったので,キープしておいた。結局出発までには飲み干したが。今日はなんと3リットルも飲んでる。でもトイレはほとんど行ってない。やっぱり脱水症状気味だったのかなぁ?道の駅で1時間ほど休憩した。 30分ほどはうとうとしていたと思う。それから吉野経由で帰った。途中,コンビニでアイスを食べた。他のものはまだ食べれなかった。飲み物もさすがにいらない,と思った。

帰ってから,風呂に入ろうと思ったら,こんどは太ももの辺りがひりひりしてる。ここは一番カプサイシンがかかったあたり。ちょっと炎症をおこしてるみたい。でもお風呂に入りたかったので,挑戦してみた。まずは水のシャワーを足にかけてみた。それは大丈夫。じゃあ,お湯は?痛くて痛くて全然だめだった。海水浴で日焼けしすぎた時みたいな感じだった。とりあえず全身洗って,お湯に浸からずにでた。それからステロイド入り虫刺され薬を炎症してるところに塗って,扇風機の前で座っていた。しばらくピリピリしていたが,そのうちすーっと痛みがひいた。やっぱり薬はきくなぁ。カプサイシンを浴びたズボンはオレンジ色のしみがいっぱいついていた。洗濯してみたが,色は落ちてなかった。どうやって洗えばいいのかなぁ?

ま,無事に帰れてよかったよかった。今回の反省点として,リュックサックの容量が足りなかった。もう大きいのが欲しいなぁ。次回はこんなに激しくなくてもいいから,弥山とか山上が岳にも登ってみたいなぁ。

2008年6月15日日曜日

リフター交換とアーシング

ブラックバード (CBR1100XX) のエンジン周りから変な音がしていた。回転数が2500回転から3000回転弱の辺りで,コツコツという感じの音と振動がある。回転数をあげると音は消えるが,なんとも気持ち悪い。そこでネットで調べてみると,レギュレーターと並んでカムチェーンテンショナーがトラぶりやすいらしい。レギュレータは以前換えてもらったので,今度はカムチェーンテンショナーの番か?どうやらカムチェーンテンショナーのテンションのかけ具合をコントロールするリフターという部品がへたるらしい。そこでそれを交換することにした。

まずはバイク屋に電話。値段と納期を確認した。値段は4000円弱。納期は数日とのこと。そこで早速注文した。で,取り付けもしてもらおうかと思ったが,工賃が7000円以上かかるみたい。折角だから一度自分で換えてみよう,と思った。 まずはカウル(フェアリング)をはずす。リフターの場所は右のアンダーカウルの裏にあるらしい。なのでアンダーカウルをはずした。意外と簡単だった。他にもハンドル近くの部品もはずしたら作業効率があがった。リフターという部品自体は比較的簡単に交換できた。場所もはずし安い場所だったからだが。取り寄せた部品にはパッキンと取り付けネジがついていた。

まずはリフターのトップのメクラ用のネジをはずして,後で再利用。 M6のネジを緩めて部品をはずして,引っこ抜いた。で,古いパッキンのかすをきれいにした。エンジン内部にゴミが入らないように,軍手を押し込んで作業した。パッキン部がきれいになったら,新しいパーツを取り付けた。取り付ける時に,新品のトップにストッパーがはめてある。これをつけたままエンジン本体に取り付ける。うまくつけたらストッパーを引き抜いたら,スコンと音がしてリフターが伸びる。これでテンショナーに力がかかるはず。

今回はリフター以外に,アーシングにも挑戦した。アーシングはバッテリーのマイナス側とボディやエンジンなどを太めのケーブルで電気的につなぐ作業。目的はノイズを減らすこと。人によってはトルクが増えるなど,の理由で行っているようだが,私は無線のノイズ対策のつもり。アーシングのためにはエンジントップが見えないといけない。そのためにタンクをはずして,エアフィルターをはずさないといけない。タンクは,座席付近のネジをはずして,少し持ち上げる。そして,タンク下にあるバルブをオフの位置へ。その後,ホース5本(キャブレターへ太いの2本,細いの1本,ドレイン1本,後1本はよくわからず)をはずし,燃料計のコネクタをはずしてから,タンクを後に引くようにして,はずす。タンクはほぼ満タンだったのでめちゃめちゃ重かった。

タンクをはずすとエアフィルターが見える。黒い丸っこい大きなやつ。これはキャブレターの入口4つにそれぞれホースバンドのような感じで止めてある。それをはずしたらはずせる。他にホースが二本あるが,これらもはずしたら取れる。するとキャブレターが顔を出す。キャブレターの奥にエンジンのヘッドが見える。青いスパークプラグのカバーが見える。その辺りをアーシングしたいのだが,いい場所にネジがない。変な場所のネジをはずすとあとが面倒そうなので,余計な事はしない方がいい。他にキャブレターや,オルタネーター(発電機)辺りもアーシングしたいが,オルタネーターはもともとアーシングしてある。キャブレターもいいネジがない。これもあきらめた。それでもどこかにアーシングしないとここまでの努力が.... そこで,エンジン本体の下の方と,ボディ(ハンドルの根本付近)にアーシングしてみた。結果は???よくわからん。何か変化あったのかなぁ???さらに車のエンジンもみてみたが,これがまたいい場所がない。ケーブルが余っているから使ってみたいのになぁ...

2008年6月13日金曜日

更新!

何んの更新かって?それは運転免許証の更新。今まで金色5年免許だったが、この間の速度違反とか、以前の駐車違反とかがあって、今回は違反者講習ってやつを受講してきた。結果得られた免許は青色3年免許。免許の更新は、即日交付のある運転免許試験場に行った。というか、ここは僻地の人でないと地元の警察署で免許の更新ができない。都道府県によってこんなに差があっていいのか???あっ、でも違反者講習は試験場じゃないとあかんと思うわ。結局今回は試験場に行かないといけなかったのかもしれない....ふぅ。申請の手続きは番号順にいろんな窓口にいって、金払って、目の検査して、写真撮って、後は講習。これが辛かった。違反者講習は時間が2時間もあって、途中休憩が入った。中身は道路交通法の改正点が主なものだったので、役にはたったが。一番関心を持てたのは中型自動車免許。今までの普通自動車と大型自動車(ともに四輪の話)の間に中型自動車という区分を作ったってやつ。今までの普通免許だと限定ありの中型免許になった。貨物車なら総重量8t未満、積載量5t未満のトラックを運転でき、マイクロバスなら10人以下の人数のみの運転ができる。要するに今までの普通免許と同じなのだが。で、ちょっと興味を持ったのが、限定なしの中型免許。トラックなら積載量6.5t、バスなら29人までいいらしい。ま、そんなに運転する事はないから、いらないと言えばいらないんだけどね。講習で見たビデオ(コンピュータ上で上映してた)には、一本はフリーのアナウンサーの福留功男(この字だっけ?)氏、もう一本には片山右京氏が出ていた。それなりに受講者が興味を持つようにしているみたいだった。さて、次回の更新は平成23年。きっとすぐやなぁ。次も賞味期限3年になりそうやなぁ。何せこの間速度違反やったからなぁ。あと一回何かあると違反が2回以上ってのにひっかかるのよねぇ。何も違反なしってあり得ないからなぁ、きっと。ぶつぶつ

2008年5月29日木曜日

雪解け

仕事を休んで信州にある日本の滝百選の滝をいくつか見てきた。

まずは立山にある称名滝。ここは落差日本一の滝。北陸道で富山まで行き,そこから下道で立山へ。称名滝の駐車場までは一般車両も通行できた。りっぱな駐車場があったが,そこから滝までが遠かった。延々と歩いた感じがした。まぁ,歩くだけのことはあったが。最初に見えた滝が称名滝かと思ったら違っていた。地図によるとネハンの滝みたい。もっと近づくと称名滝が見えてきた。さすがに北アルプスから流れてくるだけあって,迫力があった。特にこの時期は雪解けでものすごい水量だった。日本の山も捨てたものじゃない。歩いていくと,最後に橋を渡って展望台に行く。そこからだと滝を正面から見ることができる。あまりにすごい水量で,展望台に居るだけで水しぶきで服がびしょびしょになってしまった。写真を撮る時にもレンズが濡れるのでまともに写るのかどうか不安なぐらいだった。

その後,北陸道で妙高に向かった。立山インターから上信越道の妙高高原インターへ。妙高ではまず苗名滝へ。ここも雪解けですごい水量だった。やっぱり高い山はいっぱい水を含んでいる。少しの段差を流れ落ちているだけで地響きがしてた。滝へは駐車場から吊り橋と木の階段を上がっていく。その後は普通の山道を行けば見えてくる。ほんとにものすごい水量だった。滝壺のそばまで行けるが,あまりの水しぶきですぐにびしょ濡れになった。写真を撮るのも大変だった。カメラが濡れて壊れないか心配になった。写真としてはちょっと戻った場所から撮ったやつがいい感じだった。帰りに駐車場の横の喫茶店でソフトクリームを食べた。トッピングは自由だったので,チョコとキャラメルをかけてみた。

 次は惣滝へ。苗名滝は妙高杉の原スキー場の奥だが,惣滝は燕温泉から歩いていく。苗名滝から,池の平,赤倉温泉と通って燕温泉を目指した。ところが,赤倉から燕に直接行く道はまだ冬季ということで通れなかった。仕方ないので引き返して関温泉から燕温泉を目指した。燕温泉はかなり山奥にあり,すごくひなびた感じだった。みやげ物屋のおじさんが,がけ崩れで滝のそばには行けない,と言うので,まずは急斜面を登って展望台へ。惣滝が向こうに見えた。でも滝の下の方が見えない。眼下には滝に行く遊歩道が見えた。確かに崩れているが,崩れた斜面は登れそうに見えた。そこで下に降りて,遊歩道に挑戦した。吊り橋の先で斜面が崩れていた。同じ高さを進んでも反対側に遊歩道はない。どうやら崩れた斜面のところで遊歩道は上に登っていたみたい。仕方ないので,崩れた斜面を登ってみた。すると右上の方に遊歩道が残っていた。そこからかなりやばい道を歩いて,滝の近くまで行った。しかし,最後に雪の塊に阻まれて,滝のそばにはいけなかった。

 その後,池の平スキー場の下にあるランドマークという施設で温泉に入った。天然温泉じゃないが気持ちよかった。晩飯をどうしようと思ったが,急に幻豚(中ヨーク種)のトンカツを食べたくなった。場所は飯田。中央道の恵那山トンネルの東側。次の日に白鳥と福井の滝を見るには近づいておくのは時間の節約にもなるし,通勤割引を使えば高速代の節約にもなる。そこで,上信越道,長野道,中央道経由で飯田へ。飯田に着くとおぼろげな記憶を頼りにトンカツ屋へ。 120gのカツ定食を頼んで食べた。おいしかった。その後,宿泊場所を探した。インターの近くにルートインがあったので,そこに素泊まりすることにした。とりあえず汗だらけになったTシャツとかをさっと洗って,ビール飲んで寝た。さっさと寝て,朝6時頃に起きた。

次の日は7時前に出発して,白鳥町の阿弥陀ヶ滝と福井の龍双ヶ滝に向かった。飯田から中央道で中津川まで行き,コンビニで朝飯を食べて,国道257号線で下呂方面へ。下呂手前で国道41号線にぶつかったところから41号線を南下。途中から国道256号線に入って郡上八幡へと向かった。それまでの道はみな快調だったが,256号線の郡上八幡近くはきつかった。二車線(片側一車線)だったが,下りはきついし,カーブもきついし結構辛かった。郡上八幡からは国道156号線を北上して白鳥町へ。途中道の駅で休憩し,さらに156号線を北上すると阿弥陀ヶ滝への分岐点が現れる。そこから県道314号線に入る。阿弥陀ヶ滝はウィングヒルズ白鳥リゾートというスキー場に行く道から少し脇に入った所にある。県道314号線からはちょっと細い道を走ってすぐに阿弥陀ヶ滝がある。まあまあ高さがあって,東海一の瀑布と言うだけのことはあった。

そこからウィングヒルズ白鳥リゾートのそばを通って九頭竜に向かった。ここが思った以上に細かった。道を間違えたかと思ったぐらい。それでもなんとか頑張って国道158号線に出た。そこからはいい道で越前大野へ。大野でガソリン入れて,龍双ヶ滝へ。龍双ヶ滝は水量は少ないが,きれいな感じの滝だった。後は,鯖江インターから北陸道で帰った。敦賀インターからは下道で。かなり暑くなってきてしんどかった。帰り道にそばを食べようと思ったら, 14:30までの営業時間を10分すぎていて食べれなかった。お湯をおとしてしまったから,だめって言われちゃった。残念。

2008年5月25日日曜日

マイナスイオンたっぷり?

滋賀県にある日本の滝百選の一つ,八ヶ淵の滝に行ってみた。
地図を見るとあまり大した感じではなかったので,気楽な感じで行ってみた。今回は近場だし,バイクで行くのも面倒だったので,車でお気楽モード。途中峠を越えて,161号線のバイパスへ。その手前にある「ふくろうの杜」というお店で手打ち蕎麦を食べた。二八蕎麦らしいがこれがなかなかよかった。店に入ると,「今打ったところです」と言われた。初夏という感じで窓全開。心地よい風が入ってきてとても気持ちよかった。そばはざる蕎麦が一番お勧めだったので,ざるにした。普通盛りはすぐになくなりそうだったので大盛りをお願いした。これが結構いけた。塩だけでもいけますよ,とのことだったので最初は塩だけにしてみた。意外といけた。その後つゆも使ったが,このつゆもいい感じだった。いやぁ,幸先いいですねぇ。

 その後,161号線のバイパスを北上。高島町に入ったあたりで左折。県道を走ってガリバー旅行村を目指す。八ヶ淵の滝へはガリバー旅行村から徒歩になる。最初は車も入れる道だったが,途中から本格的な山道になった。山道になるところに八ヶ淵の滝の地図があった。とりあえずは魚止の淵(魚止の滝)を目指そう。ちょっと山を登ると,魚止の淵の標識があった。そこから登山道をはずれて沢に下る。沢にでると滝っぽいものがあるではないか?これが魚止の滝?と思ったが,どうも違うっぽい。よくみると対岸に標識が。どうやら対岸に行かないといけないみたい。乾いた岩があったので,ほとんど濡れずに対岸にたどり着けた。さすがに濡れた岩はぬるぬるしていて,とても危険なので渡河は避けたくなる。対岸をちょっと行くと,魚止の滝の標識。やはりさっきのは名無しの滝のようだ。とりあえずはほっとして,写真撮って次へ。でもここからが大変だった。鎖があったりして,まあまあのアップダウン。お気楽モードで来た身にはちょっとしんどい。それでもあまり苦労せずに障子ヶ淵へ。よかったよかったと思って写真撮ってから道を探すと,どうやら対岸に道らしき形跡。はしごや鎖が見える。でもどうやって川を渡る?さすがに一人だし,装備はないし,濡れた岩を越えないといけないっぽいから滑りそうで危険,と判断して,一度引き返して,別ルートで大摺鉢を目指す。

 大摺鉢までは普通の登山道。お気楽モード全開。ただ普段運動不足の体にはちょっとしんどかった。それでも無事に到着。大摺鉢は意外としょぼい感じ。すり鉢が言うほど迫力なかった。でも一応記念撮影。その先の道は?と見ると鎖が見える。大したことはなさそうだったので,登ってみた。大した事はなかった。小摺鉢はよくわからなかった。どうやらちょっとした滝の滝壺がすり鉢状になっているらしい。そのまま進むと,先に滝が見えた。どうやら屏風ヶ淵みたい。ちょっといい感じ。ただその近くに行くにはあまり道っぽくないところを通らないといけなかった。さて,屏風ヶ淵の先にも滝が見える。こっちの方が迫力ありそう。そこに近づくには...鎖があるぞ。どうやら登らないといけないみたい。仕方ない。登ろう。これもまぁ,大したことないといえばたいしたことなかった。で,やっと貴船の滝へ。ちょっと上からだったがいい感じの眺めだった。

さて,その先は?と見ると,貴船の滝の手前に鎖が見える。おや?川を渡るのか?鎖があるから渡れそうだけど,その先鉄のはしごがあって,さらに鎖っぽい。うーん,時間が遅いから(午後3時過ぎてた),今回はパスしよう。一人だしね。ということでもと来た道を戻る。途中「空戸の滝」の標識。あれ?唐戸の滝じゃないの?ま,どっちでもよいが。でもこれが見えない。あきらめて登山道を引き返す。途中,障子ヶ淵への下りを発見。かなり急で危ないと書いてあったが,そろりそろりと降りてみた。途中から鎖を使って降りないといけなかった。ちょっと努力したら障子ヶ淵の上にきた。そこから上流側を見ると滝が見える。あれが唐戸の滝か?うーん,よくわからん。でもこれで最後の滝以外は一応見たことになった。車に戻ったらTシャツはびしょびしょ。めちゃめちゃ汗臭い。そこで速攻着替えた。

帰りは道を変えたかったので,鯖街道に抜けようと思った。地図を見ると林道があるみたい。実際あった。基幹林道と書いてある。途中横谷トンネルというのを越えて鯖街道へ。トンネルより西側にはちょっと礫があったが,前半は道はきれいだった。鯖街道に入ればあとはいつものルート。今日はめんどくさかったので,花園橋経由で帰りました,とさ。

2008年5月6日火曜日

こっちも聖地巡礼

今年もGWはいい天気になった。ということで,やっぱり紀伊半島に行った。今年は車検だったので,2週間前にバイク屋へ。でもぎりぎりになってしまった。どうやら混んでたみたい。ツーリングの行き先はいろいろどこを走るか考えた結果,今年も修行することにした。目的地は昨年行きそびれた奈良県大塔町の篠原滝と高野龍神スカイランと425号線と旧行者還林道(現309号線)とした。うーん,名前だけでもかなりの修行やなぁ。

出発は午前5時。3時に起きるつもりが4時に起きたので,出かけるのも1時間遅くなってしまった。道は基本的に24号線。今年は京奈和自動車道でETCが使えたので楽だった。大和郡山から南の24号線もバイパスができてるので,とても楽チンだった。途中,大和郡山の手前でガソリンを満タンにしておいた。でも今回は五條から先が長そうだったので,五條でガソリンスタンドを探してぎりぎりまで満タンにしてもらった。で,その近くのローソンで朝御飯休憩。山岳区間は滝までノンストップ。途中,辻堂付近の168号線の崩落現場で記念撮影した。今はその部分だけいい道になってる。さらにその前後も改良中だけど、今はまだ狭路区間が残っている。だからGWは旧迂回路を使って一方通行になっていた。滝に行くには夢の湯のところを左折。前日雨が降ったので,路面が濡れていて,かつ落ち葉がおちていて大変だった。狭いし滑りそうでめちゃめちゃ怖かった。でもさすがにいい天気の午前中だったので,余裕で篠原地区までいけた。前回は夕方で疲れていたので,余計に遠く感じたのかもしれない。

まずは宮の滝を見に行った。まあまあの滝だった。それから篠原滝へ。篠原の集落を超えて,川沿いを東へ。途中「↓篠原滝」の看板。よくわからないので林道三ノ又線の分岐のところでUターン。ところが滝がわからない。よく見るとちょろちょろと落ちる滝が見える。それだと思ってとりあえず写真撮った。ところが,「↓篠原滝」の看板はもっと先にあった。よくみると川の本流の途中に窪みが... でもそこの近くに行こうと思うと川を越えないといけない。仕方ないので,靴を履き替えて,ズボンも脱いで(下にはちゃんとスポーツタイツを履いていた),冷たい川を渡った。意外と流れがあって,浅いのにまあまあ怖かった。でも無事渡り終えて滝へ。こけが生えていたりするので,滑らないように慎重に進んだ。滝はあまり大きくなかったが,まあまあの迫力だった。

篠原滝を終え,168号線まで戻った。夢の湯のところから往復30kmだった。そこから野迫川に行こうとしたが,高野辻堂線は通行止めだった。法面の崩落のようだった。仕方なく,北に戻って高野天川線を使って野迫川に向かった。これが意外といい道だった。途中さすがに林道っぽくなっていたが。野迫川町では雲の上温泉に行こうと思っていたので,温泉方面へ。でもその道は立里荒神社への道だった。登っていくと駐車場があった。そこは荒神社の駐車場だった。でも折角だからお参りすることにした。これが意外と歩かされた。でもまあいい運動になった。山の上にあって,とても眺めがよかった。その後,温泉へ。午前11時だったので,客は私のみ。お湯の温度はまあまあ熱かったので,早々に出た。そしたらおばちゃんに早いねぇ,と言われてしまった。確かに早かったが。その後,出発の時にドジ踏んでしまった。下が砂地でバイクを寝かせてしまった。不覚だった。気にはしていたのだが...。たまたま到着したての他のお客さんに助けてもらって,なんとか出発した。

そこから高野龍神へ。楽しく走れた。護摩壇山の駐車場はバイクだらけだった。護摩壇山の駐車場で,ソフトクリーム食べて,ゆずクッキーを買った。そこから龍神村へ。道の駅には目もくれず,425号線に入って行った。温泉もさっき入ったところだったので,パスした。 425号線も雨上がりで濡れた落ち葉があったり,礫が落ちていたりしてかなりの修行だった。それでも2速固定で走って左手は楽した。途中牛廻し峠で休憩をかねて,ゆずクッキーを食べた。十津川までの45km(実測)はやっぱり長かった。十津川でガソリンいれて,また425号線へ。

21世紀の森というところで石楠花祭りをしていたので,寄ってみた。石楠花がいっぱい咲いていた。そこでさんま寿司を買って食べていたら,ワサビ田の復旧のボランティアに誘われた。 7/20(日)ということなので,できれば行きます,ということにしておいた。正式には申し込んではいない。その後,425号線を行く手もあったが,葛川から南へ行き,田戸を目指した。そこから169号線を使って,北山村,不動トンネル,下北山村,上北山村,と走った。上北山の道の駅を越えてから,309号線で天川へ。この道は旧行者還林道。辛かった覚えがある。今まで2度か3度走ったが,毎回辛かった記憶が... どころがトンネルまでは意外と楽だった。なんや楽チンやん〜と思ったら,トンネル越えてからが長かった。仕方なくみたらい渓谷の入口付近で休憩した。

その後,黒滝の道の駅まで走って,串こんにゃくを食べ,スポーツ飲料で水分補給。さらに吉野まで走って平宗で柿の葉寿司を買った。やっぱりおいしかった。後は針インターを通って帰った。約500kmの行程だった。今回は右の肩がちょっと痛かった。うーん,肩が炎症?もしや四十肩?????鍛えないと...
(写真は篠原滝と425号線の様子,牛廻し峠から眺め,柿の葉寿司・平宗。425号線はこんな区間を延々と走ったのでした...うーん、修行〜)

2008年4月23日水曜日

車検と保険

年度当初はいつも気になる税金など...でも今年はそれ以前に車検と保険があった。車検はバイク。保険は車。4月末と5月はじめが更新時期なので,困る。車検は2年に一度だけど,気づいたらすぐに車検,という感じがする。そういえば車も車検じゃないのか?今年は。車は7月だったはず。うーん,やだねぇ。お金がいっぱいいる。TOTO BIGでも当たらないかなぁ?

2008年4月16日水曜日

聖地巡礼〜〜

今日は聖地巡礼に行った。と言ってもバイクの聖地ではない!!行ったのは甲子園〜相手は広島。仕事場の仲間と待ち合わせして出かけた。仕事を早めに切り上げて行ったけど、それでも梅田に6時過ぎになってしまった。試合は6時に始まってるのに〜。それでも焦らずに阪神百貨店の地下で食料を買い出し。ビールは缶のままやと持ち込めないから、とりあえず一人1本ずつ買った。食料はホタテやタコの煮付け、うなぎ丼などの魚介類が中心。それにおにぎりなどを買って行った。甲子園に着いたらもう4回やった。スコアボードを見ると1対0で勝ってるやん!今日の席は1塁側アルプスの2列目。すぐそこに芝生が見える。7回までは阪神も広島も打撃いまいち。特に7回裏の阪神はひどかったなぁ。あっ、と言う間に終わっていた。アッチソンが広島を完璧に押さえていたからよかったけど。ところが、8回裏。阪神が一気に攻勢にでた。赤星がレフト前にポトンと落ちるヒット。すかさず2塁を陥れるところがさすが。その後の平野の送りバントで赤星は3塁へ。次の新井がタイムリーで1点追加。これで阪神にぐっと流れがくる。その後、あにき、代打の檜山、とヒットが続いて満塁。そこに登場したのは鳥谷。さすがに鳥谷、いいところでライト線をやぶるタイムリー2塁打。これで走者一掃してこの8回裏に4点いれて、5対0。これで勝負あり。阪神は7回に渡辺、8回は久保田、9回は余裕を見せて(??)江草でしめて終わり。いっぱい六甲颪を歌ってきました。いやぁ、今日は気持ちよく帰れました。負けたりしたら帰りの電車が辛いけど、今日は気持ちよく寝て帰れました。帰ってからもスポーツニュースを3本ぐらい見ました。一番良かったのは関テレ。一番詳しくやってくれた。明日も阪神勝つといいなぁ。とりあえず寝ます。おやすみなさい。

2008年4月7日月曜日

花粉ややなぁ

春です。今日はとってもいい天気だった。近所は人だらけだったに違いない。桜の樹が結構多くあるから。でも私はいまいち体調が良くない。なぜだろう?と思ったら、目がかゆい。まだ花粉症みたい。耳鼻科に行くと、「檜はこれからですよ」と看護婦さんに言われてしまった。以前、血液検査をしてもらったら杉と檜とハウスダストに反応するということだった。うーん、やっと杉の季節が終わったのになぁ....ぶつぶつ。
 新聞を見てるとやっとディーゼルの排気ガスが悪い、ということになったらしい。どう考えてもあの真っ黒のガスは悪そうに見えるやん。バイクに乗っているとそれをもろにくらうから、きっと私の肺はまっくろに違いない。なんで政治はもっと人の事を考えないのかなぁ?結局は政治家ってのは自分の事しか考えない人種に違いない。そうでなければ真っ先にディーゼルの排気ガスの規制をするはずやん。ヨーロッパで車を借りるとアルファロメオが普通にディーゼルやった。日本は遅れている。○国はもっともっと遅れているが。私たちの小さい頃の日本みたい。全然歴史を学んでないよなぁ。そんな国で○○○○ッ○をやるのかねぇ?

2008年3月25日火曜日

E-Club

今日はいい天気だった。おかげで目がちょっと痒い。医者に薬をもらっているからかなりましだとはいえ,ちょっと痒かった。しきりに目薬をさしている。それとちょっとでも目に入る花粉がましになるかな?と思ってサングラスをかけている。これが怪しいかもしれない。一応偏光サングラスなのでいうほど暗くはならないが,若干怪しい人になっているかもしれない。ところで今日は仕事関係で近大に行ってきた。近鉄大阪線の長瀬駅から歩いて10分弱。お昼ごはんは軽くでいいやと思っているとキャンパスの中にオープンカフェっぽい感じの建物があった。大き目の紙コップでカプチーノっぽいのを飲んでいる外人がいたので,どうかな?と思ってメニューをみてみるとちょうどカフェという感じ。これはいいやと思って中にないってみた。するとなんか雰囲気が違う。なんか若い外人が多い。メニューも英語だし。注文しようとすると外人のお姉さんが英語で注文をきいてきた。あれ?なんで英語なん?サンドイッチとカプチーノを頼んだ。調理をしているのは日本人のお姉さん。なんか外人多いなぁ,と思ってきいてみたら,どうやらそこは英語を話そう,カフェらしい。日ごとにテーマを決めてイベントみたいなこともやっているらしい。普通にカフェにもなっていて,注文した品を待っている間でも外人のにいちゃんが話しかけてきたりする。結構積極的に話してくるので,暇つぶしにはちょうどよかった。学生の人気はどうなの?って聞いてみたら,普段は毎日300人ぐらいの利用者があるとのこと。学生が積極的に利用すれば結構いい施設かもしれないと思った。一番いいのは単にそこにいけば外人が居るというサークルっぽいところじゃなくて,カフェっぽいところがよかった。明日も近大にいくから昼はそこにしてみようかな?

2008年3月22日土曜日

カンダハー

カンダハー。別の綴り方をするとカンダハル。うーん、ちょっと危ない地名。でもカンダハーはスキーと登山のプロショップの名前。今日はシーズンも終わったことにして、スキー板のチューンをお願いしてきた。滑走面のリペアがあると2000円ぐらいアップらしいが、それがなければ7000円ぐらいでチューンをしてくれるとのこと。そこで持って行くと、カンダハーで買った板なのでちょっとディスカウントがあった。ラッキー。シーズン終了時期なので、今シーズンの板がお買い得価格になっていた。さすがに買わなかったが。チューンではエッジを研いでもらいたいのと、滑走面の保護。滑走面の保護だけならワックスを塗ればいいけど、エッジは自分ではちょっと難しい。さて、今年は足慣らしという感じだったので、来年はもうちょっとがんばってスキーしようかな?やっぱり行くなら八方かなぁ?
 そうそう、花粉症は薬を飲んでいるから、かなりまし。やっぱり薬は使いようによってはいいものです。周りでもマスクしたり、しきりに鼻をかんでる人が多い。そういう人にはとりあえず医者にいって薬をもらうように勧めている。来年は2月になったら耳鼻科に行くことを勧めている。やっぱり早めに処理しておくと後が楽なのでね。

2008年3月13日木曜日

陽気と花粉

私は花粉症である。何年前からだろう?春先になると鼻がむずむずしだすようになり、水ばなが出るようになった。目もかゆくなった。完全に花粉症の症状。ディーゼル車の排気ガスも原因となるという話を聞いて、バイクに乗っている時に浴びたディーゼル車の排気ガスが原因ではないかと思っている。だからバスがエコでよいから乗りなさい、というのは嫌いだ。ヨーロッパのディーゼルはフィルターをちゃんと整備しているので、乗用車は特にほとんど黒い排気ガスは見たことない。しかし、国内ではひどすぎ。バスでもちゃんと整備してるのか?というのが多い。最近徐々にフィルターをつけてるようだが、国内のディーゼル状況は最悪。もっと規制をすべきだ。
 ここ数日とても暖かい。暖かいこと自体はいいけど、花粉症がいや。今年はすでに3週間以上前から耳鼻科に行って、薬をもらっている。飲み薬と点鼻薬と目薬。今まではあまり花粉がなかったけど、この陽気で一気にきそう。はぁ、憂鬱。

2008年2月22日金曜日

Only You Can Rock Me

これは曲のタイトル。これを見てUFOとすぐに分かる人は偉い。この曲は私がまだ小さかった頃(と言っても高校生の頃だが)にFMで聴いた。その時聴いたのはLiveアルバムのバージョン。いやぁ,いい曲やなぁ。ちなみにまじめに歌詞を読んだりしてない。曲がいいのよねぇ。Only You Can Rock Meで検索かけると,かなり通の人のサイトがヒットした。この人はすごいわ。かなり入れ込んでるなぁ。誰にってマイケル・シェンカー。UFOのギタリストといえばマイケル・シェンカー。いいギターやねぇ。他にヒットするのは,GoogleだとStones。It's only Rock'n Rollでひかっかるみたい。これはこれで好きなんだけどね。私の音楽の趣味は多彩(ばらばら)。すごいのはDisco Feverって曲。Tina Charlesってお姉さんのバージョンともう一個あったと思うけど,これがなかなか元気がでてよいのですよ。DD SoundsのCafeも好きだったりする。あとStonesのUnder My Thumbもいいなぁ。曲名だけでどれぐらいの人がわかるんやろ?皆さんに聞かせてあげたいけど,webにアップしたら著作権にひっかかるからやめましょう。検索したらもしかしたらどこかに落ちてて聞けるかもしれないね。Sylvie VartanのIrresistiblementも好きだったりする。ほんとにばらばらやなぁ。Bruce SpringsteenのHungry Heartも好きだったりして。Michael KamenのBachianos Brazil Sambaに至ってはいかにばらばらかを物語っているねぇ。でもいいのよ,このサンバのリズム。Carly SimonのYou're So Vainもいいなぁ。てろ~って感じやねんけど,哀愁があっていいのよねぇ。でも忘れちゃいけないのがQueenのFat Bottomed Girls。これは何度聴いても春夏冬。さて,晩飯はパスタにでもしますか?

スキー

久々にスキーに行った。行ったのは白馬コルチナ。初心者も滑れるし、上級者には楽しい斜面がありそうで、かつあまり混んでなさそうだったから。ひさびさのスキーで、準備としてブーツのチェックをしたら、インナーがもろもろになっていた。仕方なく新車を購入。で、板もかなり古かったので(長野オリンピックの時には板もブーツもすでに使っていた)思い切って購入〜結果的にブーツも板もAtomicにした。板はGSモデルなので、あまりカーブはきつくないやつ。1シーズン前のやつなのでお手頃だった。ビンディングとセットで6万円ちょっと。今シーズンのモデルだと14万円とかしてそうやった。ブーツもそれなりのやつにしたら、10万円コースだった。かなりの出費....でもスキー場ではいい感じだった。スキーの腕もあまり落ちてなかったし。最大斜度42度の超上級者向け斜面(コースの案内に書いてあった)でも余裕で滑れたし(註:心は余裕だったが、足はあまり余裕ではなかった。)今回は久々だったので滑る量は少なめにしておいた。それでも帰ってからだるいだるい。やっぱり運動不足かなぁ???

2008年2月13日水曜日

雪と税金

雪だ。家の前でもガンガン降っている。とてもうきうきした気分になる。普通の人は大変に思うのだろう。特に作業をする人は大変だと思う。路面も凍結して、みんなトロトロ走っている。なんでこんな日にノーマルタイヤで出かけるかなぁ?事故ったらどうするんやろ?もっとひどいのが原チャリ。こけたところに車が来たら轢かれるぞ。それって半分以上は雪の日に原チャリに乗ってる奴が悪いと思うなぁ。
ところで、税金は何の話かって?昨日、以前のうちのボスと話をしていて、税務署に重加算税を取られたという話を聞いた。人が死ぬと、その人名義の口座は死亡とともに凍結されるらしい。死亡時刻以降に引き出した分は遺産の相続をしたとみなされ、重加算税を請求されるらしい。なんでこんなことまで知ってるの?ということまで知っているらしい。金融機関も税務署から請求があると資料等を全部出すらしい。うーん、恐るべしマルサ。

2008年2月8日金曜日

バルパライソ

バルパライソ。その名前を聞いても普通の人は反応しないかもしれない。でも私は反応してしまった。でも最初はなんのことだか思い出せなかった。それはとあるテレビを見ていてのこと。いろんな町をカメラマンがぶらぶら歩くというもの。あたかも自分が歩いているように撮影してあるやつ。その番組でバルパライソという町を訪れていた。バルパライソ。なんか聞いた記憶があるなぁ、としばらく見ていた。その町には猫が多いらしい。ガス屋のトラックはボンベを木の棒でリズミカルにたたいて、近所の人に来訪を告げるらしい。坂が多く、南太平洋を望む港町らしい。むむむ?南太平洋を望む港町??南半球ってことやん。おれは行ったことないぞ。なんでバルパライソを知ってるんやろ?と思ってみてたら、それはチリの南の方にある港で、遠洋漁業の船などが立ち寄る港らしい。で、なんで知ってるかというと、知り合いがバルパライソの港町で、行っては行けない地域の飲み屋に行って、店長(なぜか日本人)にタクシーを呼んでもらって、無事船まで戻ったという逸話を聞いていたからだった。その友人は救急を専門とする医者で、南極観測船の船医として南半球まで行ったのだった。その帰り(?)に寄ったのがバルパライソだった。きっと日本から一番遠い地域。自分では多分いかないと思う。でもバルパライソって名前が妙に懐かしく思えたひと時でした。

2008年1月29日火曜日

花背はやっぱりすごかった

週末とても寒くて、雪がかなりぱらついていた。それでも家の付近は全然雪は積もらなかった。しか〜し、北の山は真っ白に見えていた。これは行かなくてはいけない、と思い、車に乗った。行き先は当然花背!!スタッドレスに4輪駆動とくれば行かないわけにはいかない。毎年、雪が積もると花背に走りの練習に行くことにしている。普段から雪道に慣れておかないと、いざという時に困るしね。実際には単に楽しいからやけど。
 行程は、宝ケ池から市原、鞍馬を通って、花背峠へ。さすがに車は少なかった。のぼりは滑っても怖くないからまあまあのスピードで上って行く。何カ所かにあるヘアピンを回る時は特に楽しい。最後のヘアピンのところで除雪車と遭遇した。こんな時にはいつもがんばってくれてはる。感謝感謝。そのすぐ上が峠。気温表示は−2度だった。でも反対から上ってきた方には−4度と出てる。なんで??そのまま峠をすぎて花背の集落に向かって下って行く。こっちの方が若干道幅が狭いので楽しい。でも無理すると滑って壁面にボディをこすりそうなので、かなり慎重に、でもある程度は大胆におりて行く。無事おりれたら集落のはずれにある駐車場へ。そこは一面の雪。おりて歩いてみると、膝の辺りまでずぼっとはまってしまう。うーん、これぐらいの雪は楽しいなぁ。さすがに一晩で1mとか2m積もって、それが毎日だと嫌になると思うけど、たまにだからとても楽しい。贅沢やなぁ。少なすぎたら物足りないし、多すぎると嫌になる。人間てずるいねぇ。
 とりあえず雪と戯れてから、帰路につく。反対向きはのぼりが楽しい。広めなので、ちょっと速めにして、カーブでお尻を振ろうとしてみる。これが意外と振れない。やりすぎてぶつけるのも嫌なので、適当に遊んでかえってきた。峠の下りは狭いからかなり気を使う。対向車が見えて、ブレーキをかけると、ほぼ確実にアンチロックブレーキがくっくっくっくっと音を出す。早め早めの減速が重要〜。途中、ヘアピンのところで遊んでいる家族連れがいたが、あれは危険やなぁ。もし走ってる車が滑ってぶつかられたらどうするの?もうちょっと安全なところで遊べばいいのにねぇ。今晩も雪の予報。さすがに夜中に走りにいく元気ないなぁ。
おやすみなさい〜〜〜〜

2008年1月19日土曜日

もう13年も経つのですねぇ

 そう、あの阪神淡路大震災からもう13年も経つのですねぇ。あの時私は大阪市の東住吉区に住んでいました。前の仕事場が大阪だったので。地震の起きたのは月曜日の朝でした。寝ていて、地震の時に目が覚めたのですが、いつもの地震に比べていやに長い揺れやなぁ、と思ったのでした。おぼろげな記憶では数十秒続いたように思います。ほんとかどうかはわかりませんが。とりあえずすごい地震だと思って、テレビのニュースを見ました。その時、近畿地方で大きな地震がありました、とアナウンサーの人が言っていました。その時表示されていた各地の震度が意外と小さくて、あれ?と思っていたら、神戸だけ情報が出ません、と言い出して、そのうち神戸で大変な被害がおきてるみたいです、といい始めました。あまりに被害が大きくて、地震計が情報を気象庁に送って来れなかったようでした。もしかしてめちゃ大変?と思った頃に電話がありました。芦屋の埋立地に建っているマンションに住んでいる父親からでした。「そっちは大丈夫か?」の第一声。「は?結構長く揺れたけど被害は全然ないで」と言ったら、芦屋では建物の中でシェイクされてるみたいやった、とのこと。とりあえず親父さん達の住んでいたマンションは新しかったので建物は大丈夫だけど、ガス臭いからということで車にいるという話でした。その時は電話ができたけど、ちょっとしたら全然電話はつながらなくなっていました。その頃にはテレビでは町中から煙が上がり、阪神高速神戸線が倒れている映像や、ビルがこけている映像などが映っていました。私自身はとりあえず家族の無事を知って、あぁ、そんなもんか?という感じで、呑気に洗濯をしました。その時に余震で粉石鹸の箱が墜落して、石けんがいっぱいこぼれました。私自信の被害はそれが最大でした....なんか情けないなぁ。
 その後、仕事先の装置が壊れてないかをまず見に行きました。装置は大丈夫だったので、次は人の心配をし始めました(順序が逆やん)。どうやら仕事場の職員の人などが多数来てないし、連絡が取れない、ということでした。親の家の様子も知りたいし(どうやら電気・ガス・水道が全滅らしいということだったので)、同方向で気になる人(2名)の安否を確かめてこい、という指令を受けて、とりあえず水の入ったペットボトルを持ってバイクで芦屋に向かいました。出発したのは午後だったかな?
 芦屋までは43号線を使おうと思って弁天町辺りから43号線を走りました。その辺りは余裕だったのですが、西宮辺りに行くと、通れないところが出始めました。芦屋の家は埋立地なので、臨港線という道でよく行っていました。その時も西宮の辺りから臨港線を通ったのですが、何カ所か通れずに遠回りした記憶があります。でもなんとか芦屋にたどり着いたのはもう薄暗くなってからでした。芦屋の家ではちょうど電気が回復したところでした。家には妹しかいなかったのですが、話を聞くとほんとにすごかったようでした。家の中は復旧していましたが、地震直後は本棚が倒れて扉のガラスが割れたり、食器が落ちて散乱していたそうです。とりあえず水を渡して、一休みしてからさらに神戸市に向かうことにしました。向かう先は阪神御影駅辺りとJRの六甲道駅辺りでした。さすがに被害がひどそうで、バイクは無理と判断して、家でママチャリを借りました。芦屋から阪神御影まではやはり43号線を走りました。ちょうど阪神高速が倒れいていたところで、往きは高速の裏側を見ながら西に向かいました(帰りは表側を見ながら芦屋の家に戻りました)。さすがに高速道路は大きかった。こんなんが倒れるぐらいやからかなりの地震やったんや、と実感しました。その後、魚崎の辺りでは大きな火災が起きていました。消防の人がいるけど、水がないので手の施しようがないということでした。ほかにも電線が垂れていて、危険だからと車が前に進めないで困っている状況も多数ありました。
 なんとか御影の辺りにたどり着いたのは、夜の8時頃だったと思います。目的とする家は住所しか知らないので、とりあえずその辺りをぐるぐる回って、なんとか目的の家を発見したのですが、当然中はもぬけのからでした。でも家はつぶれてなかったので(それまでにも1階がつぶれた家をいっぱい見てきた)、探している人は死んではいないと思い、避難所に行ってみることにしました。まずは近所で空の一斗缶に木材を入れてたき火をして暖をとっている人たちに聞いてみました。すると近くに小学校があるから、そこかもしれないと言われ、とりあえず行ってみました。行くと、グランドに避難してきた人々の車がいっぱいありました。でも探している人は車は持ってないはず。そこらの人に話を聞いてみると、体育館にいっぱい人がいるとのことでした。そこで体育館に行ってみると....いっぱい人がいるのはわかるのですが、真っ暗で誰がいるのかなんて全然わからない状況でした。しばらく途方に暮れていると、同じように人を捜している人がやってきて、大声で「xxxさんいますかぁ???」と叫んで人を捜していました。その人が探している人はいなかったので、さっさと次に行ってしまいました。私もこれは声を出さないといけない、と思い、大声で探している人を呼んでみました。すると、返事があるではありませんか。とってもラッキーなことに一発で見つけることができました。そのご家族は好運なことに皆さん無事でした。その場ではとりあえず無事を確認したので、水のペットボトル(確か2リッター)を渡して、明日またくる、と言って次の人を捜しにいきました。その人の家の近くに言って、避難所の場所を聞いて行ってみました。中学校だったと思います。そこには名簿があって、その名簿を見たら、避難してきている人がわかるようになっていました。その名簿には名前がなく、仕方なく目的の人の住んでいたマンションに戻ってみました。すると駐車場で集まっているグループの人々がいたので、聞いてみるとその人は無事で、別の避難所(小学校だったかな?)に行っているのかも、ということでした。とりあえず無事ということだったので、その日は芦屋に戻ることにしました。その時すでに夜の10時を過ぎていたように思います。
 そこから芦屋までが遠かった。疲れもあったし、意外と距離があったので。帰りも火災の現場を通ったり、つぶれた家屋もいっぱい見ました。道には車があふれかえっていました。町から避難しようとする人はわかるけど、神戸の中心に向かっている車に乗っている人たちは、何を考えているのか?と思いました。ビルが倒れたりしている、ということは、道はまともに使えない、ということです。当然渋滞して車は動けないはず。そんな時に車を使ってどうするねん????だいたい、なんで尼崎の辺りで大阪府警が交通制限をすぐにしないのか不思議で仕方なかった。おまけにそんな一大事なのに、大阪では普通に仕事をしているというのが信じられなかった。なんで3日ぐらい周辺の市をみんな休みにして、救助にかり出さないのか?と思いました。自衛隊はすぐに動かないし。映画とかだったらすぐにヘリコプターがいっぱい飛んできそうなものなのに、飛んでいるのは取材のヘリコプターだけ、という感じだったみたいです。偉そうに言っても、日本人のほとんどは危機管理が全くできてない、と実感しました。その時の首相が村山さんだったかな?ひどかったなぁ。後で友達(外科医、芦屋市在住)から聞いたところでは、近くに医者が足りないから、君近いし行ってくれないか?と言われたそうです。その友達はそんな暇あるか?と怒ったそうです。当然です。当事者は自分たちのことで手一杯でした。そういえば市役所とかの被害想定では、みんなが無事に登庁できるとして対策が立てられていたそうです。実際に来れたのは半分程度じゃなかったかなぁ?今でもそんなひどい想定をしているところがないとは限らないよなぁ。
 芦屋の家に戻ったのは午前1時頃でした。さすがに疲労困憊でした。親に経過を伝えて、私は寝ました。それでも朝6時頃起きて、一度大阪に戻りました。次の日はちょっとした食料を持って、再び御影まで行きました。その時は最後までバイクで行ったかな?東京に就職していた友達は、なんで神戸に帰って人助けをしないんだ?と言われて、一週間ほど休みをもらって戻ってきました。友達は西宮から神戸まで歩いたそうです。電車はすべて止まっていましたから。地震の2日後に親父に頼まれて、大阪の堺筋の辺りで原付を買って、芦屋まで乗って行きました。遠かったなぁ。私の知っている人達は無事だったようですが、かなりの人が亡くなっていました。その後も大きな地震が新潟や能登などでおきましたが、人口も密集具合では神戸の地震が最悪だったと思います。それだけ人的な被害も大きかったのだと思います。
 そんなことがあってから、もう13年が経ちました。長いような短いような13年でした。その間にいろんなことがありました。東京にいた友達も別の件で今はもういません。うちの親は未だに同じマンションに住んでいます。その辺りは地震の時の傷跡はほとんどなくなっています。その後、高校からあまり遠くなかった新長田の辺りを訪れると、家がほとんどなく、空き地ばかりでした。建っているのは新築された家々だけでした。数年後でもかなり空き地がいっぱいあったのを覚えています。さすがに最近は徐々に地震の傷跡は減りつつありますが、それでもまだ長田の辺りはもとに戻ったという感じにはなっていないと思います。それでも神戸はがんばっていますよね。がんばれ神戸
 二日遅れですが、黙祷。

2008年1月7日月曜日

遅ればせながら明けましておめでとうございます

遅くなってしまいましたが,明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。いやぁ,あっと言う間に一週間が経っていました。あまり正月らしくなかったような気もするなぁ。一応親の家には行ったけど,結構自分の家にいたし,仕事場にも顔を出していたし。ま,それでも一応年が変わったので,おめでたいですね。今年の目標は何にしよう。バイクにいっぱい乗る,かな?皆さんの目標はなんですか?