2011年12月21日水曜日

Xanadu ってなんて読むの?

よく訪れるサイトにMagicTrainさんのブログサイトがある。音楽や映画に造形が深い方みたいで,結構楽しんで見ている。その中で「Legend of Xanadu」という曲について書かれた時があった(つい最近だけど…)。中身はご本家のMagicTrainのブログサイトを見てもらえばいいのだが,気になったのが「Xanadu」の読み方。だいたい「X」が先頭ってどう発音しればいいねん???と思ってしまう。途中なら「クス」とか読むが,先頭だと困ってしまう。それも「Xa」だとぱっと見ても読めない…。しかし,実はこの単語「Xanadu」の読み方は知っていた。オリビア・ニュートン・ジョンが歌っていた「Xanadu」という曲(作ったのはELO (Electric Light Orchestra) だったはず…)があるが,そのタイトルの読みは「ザナドゥ」だった。ELOの曲もまあまあ好きだったので覚えていたのだが,いきなり出てくると読めないよなぁ,この「Xanadu」。

 じゃあ,今回も普通に「レジェンド・オブ・ザナドゥ」と読んでおしまい,と思ったのだが,この「Legend of Xanadu」という曲(Dave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tich というグループの曲らしい)が日本で発売された時のタイトルが「キサナドゥーの伝説」というものだったらしい。あれ?ザナドゥとちゃうの??キサナドゥーって最初の「キ」はどこからきたの???もしかして「Xanadu」の読み方を間違えて覚えていた?でも確かに「ザナドゥ」と歌っていたしなぁ…,と悩んでしまった。おまけにMagicTrainさんはその点に関しては全く何も書かれていないし…。

 そこでインターネットの世界で調べ物をしてしまいました…。ネット上の意見としては,ドイツ語読みだと「キサナドゥー」になるというのが正しそうな感じだった。そっかぁ,それでキサナドゥーの伝説だったのかぁ,と納得してしまった。ちなみに「英語ではザナドゥとキサナドゥーの両方の読み方がある」というのは間違いらしい。英語ではあくまで「ザナドゥ」と読むらしい。さらに,たどり着いたのがげたにれの“日日是言語学”の中の「ザナドゥ」 から 「ザビエル」 へというエントリー。いやぁ,まじめに言語学をやっている人ってすごいなぁ,と思ってしまった。その中では,この単語は「桃源郷」と訳されたりするが,語源はフビライ・ハーンの夏の都、「上都」(shàngdū [ しゃんドゥー ] )をSamuel Taylor Coleridge (1772~1834) という人が書いた“Kubla Khan, or a Vision in a Dream. A Fragment” (1797年)という詩の中で Xanadu と綴ったから,ということらしい。上都をスペイン人かポルトガル人がヨーロッパに紹介したが,その時代の文字の発音の仕方からXを含んだ綴りとなったが,それが時代や違う国の言葉になった時に微妙に綴りが変わって読み方も変わってきたからザナドゥになった,とのことだった(詳しくは「げたにれの“日日是言語学”」を見てみてほしい)。さらに,面白かったのがその中で出てきた「フランシスコ・ザビエル」の件。いろいろ議論があって,本来は「シャビエル」と発音されていたのでは?と書かれていた。途中,スペイン語やらポルトガル語,フランス語やイタリア語などの例や,中世の発音とか近世の発音とかの議論があって,なかなか面白かったが,ある程度読んでいると疲れてきてしまった。慣れない世界は難しいなぁ…。

 「げたにれの“日日是言語学”」には他にも楽しいエントリーがいっぱいあった。日本語の話題(「原因」を「げいいん」と発音してしまうのはなぜか?や,ランドセルの語源がオランダ語の ransel だけど,なぜ「ド」が間に入ったか,など,)も多数あり,楽しめる。しかし,一度にたくさん読むと頭が混乱して疲れるけど…。一度,試しにご覧になってはいかがだろうか?

2011年12月7日水曜日

結局修理に出した

何回か前の投稿で,携帯の USIM カードがないという表示が出て困った件について書いた。その時は USIM カードを新しいのに替えてもらって復活したように見えたのだが,昨日(月曜)の朝,急にまたあの症状が出てきた。そう「USIM カードがありません。USIM カードを入れてください。」という悪夢のようなメッセージが…。さすがに二度目なので,これは携帯本体の問題だと考えて,即座に携帯屋に行った。そして携帯を修理してもらうことにした。携帯を修理してもらうには,当然携帯本体をメーカーに送って症状を調べてもらい,値段の見積もりが来てから修理するかどうかを決定するらしい。一応,なんたらパックに加入しているので,予定では無料で修理をしてもらえると思っている。なんたらパックでも水に落とした,などの場合は有料のこともあるらしいが,さすがに内部の話なので,こちらに落ち度はないと思っている。お金かかる,と言われたらどうしよう??とりあえず数日で見積もりが来てから修理になるが,一週間程度で普通は携帯が戻ってくるらしい。しかし,その間携帯なしでは困るので,代替機を貸してくれた。壊れた携帯と同じ機種を貸してくれたのだが,手続きが結構手間だった。まずは micro-SD カードに必要な情報をバックアップしないといけない。それから代替機の方を初期化してから micro-SD カードを入れて,情報を代替機に入れてみる。よさげなら故障した方の内容を全て消去してから修理に出す,という手順。その後,ちゃんと内容が消えているかを確認してから,書面に署名をしないといけなかった。これが結構時間がかかり,携帯屋に入ってから出るまで一時間以上かかってしまった。

 まだ修理に関する情報が来てないが,うまく直ることを祈っている。調べてもらったらまだ故障した携帯のローンが11ヶ月残っているらしい。ということは買ってからまだ1年しか経っていないことになる。修理で直らなかったら,二重携帯ローン生活になってしまうかもしれない。それは避けたいので,なんとか修理できるといいなぁ,と思っている次第である。
追記)結局一週間もかからずに戻ってきた。メーカーでは症状が確認できなかったけど,他の箇所に異常があったということで,基板交換で帰ってきた。いまのところ調子は良さげである。

2011年11月28日月曜日

仮復旧した国道168号線を走る

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2011/11/26 に五條から南の国道168号線を走ってみた。

 2011年9月3日から4日にかけて紀伊半島を襲った台風12号に伴う豪雨(台風自体は四国から岡山へ抜けた)で,紀伊半島は大変な被害を受けた。紀伊半島を新宮から五條へ南北に貫く国道168号線も多くの箇所で寸断され, 1ヶ月以上にわたって不通の区間が多く残っていた。しかし,それも工事関係者の努力によって,10月30日に迂回路や交互通行を使って昼間のみだが一般車両が全線で走行が可能となった。(夜間は土砂ダムを警戒して不通の区間があるため,大型車両は迂回路の制限のために,全線通行はまだできない。 R168やR169の迂回路に関しては奈良県の報道資料(pdf)を見て欲しい。)そこで,寒さにめげずに復旧(仮復旧?)した国道168号線を五條から新宮まで走ってみることにした。

 当日は天候がいいのは知っていたが,朝の気温が上がらなかったので,出発を躊躇してしまった。しかし,11月に入ってからの用事や天候不順のために国道168号線を走れずにいたし,今回を逃すと来シーズンまで持ち越しになりそうだったので,いっぱい着込んで出発することにした。今回は上はTシャツ,防寒用タイツと同じ素材のインナー,綿のシャツ,ウールの薄手のセーター,ツーリングジャケット,雨合羽と6枚重ねとした。下もパンツの上に防寒用タイツ,山登り用のサポータタイツ,革パンツ,雨合羽と4重に重ねて防寒した。いっぱい着込んだ甲斐があり,寒さはいうほど辛くはなかった。
 国道168号線の走行ルートは北の五條から新宮に向かうことにした。それは五條市と十津川村の被害が大きかったのでその付近を早めに走りたかったのと,お昼ごはんにおいしいお寿司を食べたいと思ったからだった。

2011年11月1日火曜日

今度はどこを走る?

今度の木曜日は祝日で,かつ,とても天気がいいみたい。いわゆる秋晴れってやつやね。そうなると久々に走りに行きたいなぁ。じゃぁ,どこに行く? …と,思っていたら,国道168号線が時間通行止めの規制があるけど,全線で通行可能になったみたい。そうなると走らない訳にはいかないなぁ。自分の目でいろいろ確かめてみたいから。奈良県のサイトによると,国道168号線は辻堂で建設中のバイパスの橋を使って応急復旧したらしい。また,長殿付近は土砂ダムの特別警戒区域になってるみたいで,状況によっては通れないし,通れるのも午前7時から夜10時までらしい。他にも折立橋も仮架橋ができて通行できるらしいのと,十津川温泉から二津野ダムの間の果無付近も通れるみたい。実際に走ってみないとわからないけど,もし走りに行ったら,結果報告します。
追記)結局木曜日には走りに行かなかった。土曜日の方がよさげに思えたから。でも土曜日は雨だったので,最終的に南にはいけてない…。残念。

さて,私の好きなN氏のサイトで,音楽ネタが載っていた。載っていたのはLeslie west - House of the rising sunともう一個だったのだが,そこからいろいろと音楽ようつべの旅を楽しんだ。

まずは「朝日のあたる家」で検索するとやっぱり最初に出てくるのが,The Animals - House of the Rising Sun (1964)だった。もともとこの「The House of Rising Sun」というのはアメリカのフォークソングだったらしい。それをアニマルズがブルース風にアレンジして,歌詞も girl から boy に変えて歌ったものらしい。やっぱりなかなか渋いねぇ。…で,そのアニマルズのボーカルをしていたお兄ちゃんが最近も歌っているのが,こちら。なんか全然違うよなぁ。昔のようなパワーはどこに行っちゃったの??アニマルズというと,もう一曲この曲も有名だった。Please Don't let me be Misunderstood。この曲はどちらかと言うと,Santa Esmeralda バージョンの方が耳に馴染みがあるなぁ。やっぱりディスコが流行った頃にかかっていたからかな??

「朝日楼」に戻ると,他にも The Beatles も歌っている。ちょっとラリった感じで歌ってるなぁ。この朝日楼は,かの Bob Dylan も歌っていたみたい。こちらは元の歌詞に近いらしい。Bob Dylan といえば…,やはり Like A Rolling Stone かなぁ。他にも Mr. Tambourine Man Original なんかもいいねぇ。

Like A Rolling Stone とくれば,当然 The Rolling Stones !! まずは,変な格好で歌っている Jumping Jack Flash。うーん,サイケやねぇ。もうちょっとまともな感じの古い映像がこちら。Jumping Jack Flash はストーンズの曲で最初に好きになった曲なのよねぇ。他にも 1969 年もの も出てきた。いやぁ,いっぱいあるなぁ。他にもストーンズの曲で好きなのはいっぱいあるけど,個人的に好きなのは Under My Thumb やねんなぁ。

そういえば,意外と古い映像のものの方が,見ていてい新鮮だったりする。余計なデコレーションがなくていいのよねぇ。例えば,Satisfaction (Live, 1965) とか Satisfaction (66)。後の方は音が割れてるけど,なんか普通っぽいストーンズでいいねんなぁ。

N氏じゃないが,秋の夜長の音楽はいいですねぇ

2011年10月25日火曜日

自転車の車道走行の徹底という記事を読んで思った

 ネットのニュースを見ていると,北杜夫氏が亡くなられたという訃報にであった。北杜夫氏といえば「どくとるマンボウ航海記」や「楡家の人々」で知られる作家だが,私の中では「怪盗ジバコ」が大好きな作品であった。なんかとてもユーモアたっぷりで楽しい作品だった思いがある。また一つ時代が消えて行く感じがしてならない…。

 他に見ていてとても気になったのが,表題にある「<自転車>車道走行促す 歩道は原則禁止 警察庁が対策強化」という記事。どうも警視庁が自転車は原則車道を走行すべき乗り物で,歩道を走っていると違反切符をビシバシ切るぞ,というお達しが出たらしい。理由は,自転車と歩行者の接触事故(衝突事故を含む)が多発していることから来ているらしい。確かに,ここ数年の自転車ブームによって,猫もしゃしくも自転車に乗ろうとしているみたい。その結果,下手な運転者や,無謀な運転者の運転する自転車と歩行者がぶつかって(接触して),歩行者が怪我をする事故が増えているらしい。状況によっては死亡事故を引き起こしているみたい。また,ピストバイクと呼ばれるブレーキが無い(前後一方だけが無いものを含む)自転車での事故も増えていると聞く。ピストバイクの場合は,ブレーキなしで公道を走っていると,見つかれば違反切符(整備不良=制動装置不良)を切られることになる。

 そこで問題になってきたのが,自転車の歩道走行みたい。高速の自転車が歩道を走ると,当然歩行者と接触して歩行者が怪我をするケースが増える。だから「自転車は本来のルール(道路交通法)に従って,車道を走るべき」ということみたい。現時点ではまだ警視庁の通達の具体的な運用についてわかってないが,自転車の歩道走行の原則禁止は,ある意味賛成であり,ある意味運用に気をつけて欲しい(反対を意味するのか??),と思っている。

2011年10月3日月曜日

USIMカードがない,ってどういうこと??

 先週の土曜日の事,お昼ごろ携帯をふと見ると…「USIM カードがありません。電源をoffにした後,USIMカードを入れてください。」という感じの表示が出た。その後は USIM カードを入れないと携帯は使えない,みたいな感じだった。そこで,一度電源をオフにして,充電池をはずし,その影にある USIM カードを抜いてみた。抜いて5秒ほど待ってからもう一度 USIM カードを挿し,充電池を入れ,携帯の電源を入れた。すると,一応復旧したように見えた。しかし…,しばらくして見ると,やはり「USIM カードがありません」との表示が…。

 仕方ないので携帯電話屋に行ってみた。そこで話を聞くと,USIM カード自体の不良か,あるいは本体の故障だろう,ということだった。携帯本体の修理は可能で,内部の故障と思われるからなんちゃらパックに入っているので無料だけど,2週間ほどかかる,と言われてしまった。2週間は長いなぁ…。一応代替機を貸してくれる,ってことだけど,でも2週間はねぇ…。そこで,とりあえずこちらも無料で交換してくれる USIM カードを替えてもらうことにした。それなら10分ほどとのことだったので。必要なものは携帯自体と,免許証のような身分証明書だった。免許はいつも持ってるので,その場でことは済んでしまった。

 結果はと言うと,今回は USIM カード自体が不良だったみたい。USIM カードを新品にしてもらったらエラーは起きなくなった。てっきり本体の故障だと思っていたが,USIM カード(IC チップの入ったカード)のトラブルとは思ってもみなかった。

 皆さんも USIM カードがないと言われたら,とりあえず携帯屋で USIM カードを替えてもらうのがいいと思います。

追記)USIM カードを替えたら問題が解決したと思っていたが,落とし穴があった。実は USIM カードを替えると S! アプリで使えなくなるものが複数あった。NaviTime や Edy などのアプリが使えない。一度 IC カードの中をカラにして,S! アプリをリセットしてもらえばいいらしいが,まだ Edy にお金が残っている…。

2011年9月26日月曜日

台風12号の傷跡2

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2011/9/23 に災害後の紀伊半島を再び走った。今回も目的地は和歌山県新宮市熊野川町付近だったのだが,前回東から入り東に抜けたので,今回は西から入る道を走ってみた。できればボランティアをしたいと考えたが,事前に準備する必要のあるものが多く,また行き来にかかる時間と労力が足りずに今回も諦めてしまった。ちなみにボランティアをするには最低限次の準備が必要である。
 (1) 居住地の社会福祉協議会でボランティア用の保険に入ること。
 (2) 多くの場合はボランティアをする1日~2日前に連絡をして登録しておくこと。
 (3) ボランティア用の装備一式を用意しておく。
以上の事が必要である。ちなみにボランティア用の装備とは,丈の長く底の分厚い長靴,汚れてもよい長袖と長ズボン,手袋,ヘルメット,マスク,ゴーグル,ウェストポーチなどである。他にも飲料水,食料,宿泊する際には寝袋など,基本的に生活する装備一式を自前で準備しないといけない。これら一式を持って行くとなるとバイクではちょっとしんどい。なので車が使えないといけないし,保険に入ってないし,事前に連絡してないし… でも何かできないか,と思ったら,やっぱり走りに行って現状を報告するしかない,と思った。ただし前回と同じルートではいまいちなので,西からのルートを探ってみることにした。

 西からのルートに関しては,和歌山県の道路情報を参考にした。いつも見ている和歌山県道路規制情報以外にも,今回の災害後の本宮へ行けるルートの説明のサイトがあったので,それを参考にして行ってみた。大まかには,国道42号線は全線に渡って通行可能である。ただし,一部区間は交互通行になっていたりする。内陸部の道は国道も県道も通行止め区間が多いため注意を要する。走れるルートとしては有田インターから国道424号線で龍神村に向かうルート,龍神村から中辺路に抜ける県道198号線と水上栃谷トンネル,中辺路から本宮にかけての国道311号線,である。また御坊や川辺インターから国道424号線に向かう県道26号線も通行可能である。ただし,多くの道ではがけ崩れが多数発生しているため,いくつも交互通行区間が存在していたので通常よりも多くの時間がかかる。また本宮付近の国道168号線は通行可能であるが,北は十津川温泉手前の果無付近,南は宮井大橋までが通行可能であり,その他の区間は注意が必要である。南は実際には道の駅・瀞峡街道熊野川があった場所までは注意しながら走行できるが,それより南は工事関係の車両しか走れない。また,北に向かった奈良県内の情報はちゃんとは得られていないが,未だまともに走れる状態にはないようである。

 今回は阪和道の有田インターから国道424号線と県道198号線の水上栃谷トンネル,国道311号線を使って本宮を目指した。どこでガソリンを入れれるかがわからなかったので,有田インターを下りてからガソリンスタンドを探した。意外とインターチェンジのそばにはなく,しばらく県道を東に走って国道424号線に入った辺りにあった。国道424号線は修理川バイパスが崩落の危険があるとのことで通行止となっていた。そのため旧道が迂回路になっていたが,迂回路は1.5車線あったのでいうほど苦労せずに走ることができた。その先のR424は何箇所も交互通行の区間があった。多くは距離が短く,待ち時間が最大3分程度だった。交通量も少なかったので,今回は交互通行による大きな時間ロスはなかった。また,道の駅・しらまの里や道の駅・龍游は通常営業していた。県道198号線も交互通行区間があったが,基本的には快適に走れた。水上栃谷トンネルができて龍神村から中辺路までの交通が画期的に良くなったが,今回もあの道が重要な動脈になっている。

 中辺路から国道311号線を走ったのだが,国道311号線自体は中辺路から白浜に向かう区間で通行止がある。具体的には滝尻王子のある国道371号線との分岐の南で斜面が大きく崩落していた。そのため滝尻王子には行けるが,その先白浜には行けない,という状況だった。また国道371号線も滝尻王子から東に行く区間で通行止となっているので,平瀬方面に国道371号線で行くことはできない。中辺路から白浜方面に行くには,川辺インター付近まで戻るか,近露から県道217号線で平瀬に抜け,県道219号線で鮎川に抜け,国道311号線で上富田に向かうルートしかないみたいである。中辺路から本宮にかけての国道311号線は,基本的に走りやすかったが,何箇所も交互通行区間があり,一部ダート状の部分もあった。それでも大型車が走れるルートが確保されているので,大変重要なルートとなっていた。本宮や熊野川町から東への国道169号線と国道311号線のルートは,途中で長い区間交互通行となっているため,西側のルートが大変重要となっている。国道311号線に沿った場所は,がけ崩れや川の護岸の崩落等が見られたが,それ以外はあまりひどい被害は無いように見えた。ただし,見えただけなので,実際にどうかはよくわからなかった。少なくとも近露のガソリンスタンドやAコープ(スーパー)は通常営業していたので,食料品やガソリンスタンドを手に入れることができる重要な拠点と考えられる。
  流木だらけの椿山ダム

  国道311号線滝尻王子付近の崩落現場

  本宮大社のもうで餅屋さん

  クロネコヤマトの配送センター

  茶色く濁った熊野川

  道の駅・瀞峡街道熊野川があった辺り

  丸山の千枚田はきれいだった

  三重県道40号線の崩落現場

 川湯付近(本宮付近)で国道168号線に入って本宮を目指した。国道168号線は本宮の北にある土河屋から南は熊野川町日足付近まではかなり快適に走れた。 2週間前に来た時には国道168号線は埃まみれ泥まみれだったが,今回はかなり路面がきれいになっていた。そのため物流は大きく改善していると思われる。特に,配送拠点が大きく損傷しているはずのクロネコヤマトのトラックを何度も見かけた。多分別の配送センターを使って荷物を配送しているみたいだった。偉いっ!本宮の街の中も国道168号線沿いは見た目きれいになっていた。しかし,国道沿いの家々ではまだ片付けをされていたので,各建物の中の整理はまだまだこれからのようであった。その後,北に向かい,道の駅・奥熊野古道ほんぐうの北まで行ってみた。道は数箇所の交互通行を除いては走りやすかった。道の駅・奥熊野古道ほんぐうは短縮営業だったが,営業しているだけでなんとなく元気を感じた。また,当然ながら観光客はほとんど見受けられなかった。さすがに本宮大社にも人がほとんどいなかった。そのため,逆に厳かな感じがした。折角だから,多少なりとも足しになると思って,久しぶりに本宮大社にお参りして,お守りを買ってきた。

 本宮からは南に走り,道の駅・瀞峡街道熊野川のあった場所を目指した。途中熊野川町志古や日足を走ったが,ドライブイン志古は建物の中にあったがれきがかなり片付けられていた。また,電柱と壁に挟まれていた軽トラックも下ろされていた。日足付近も道端に積んであったがれきもかなり撤去され,道の泥もどけられてかなり改善されていた。しかし,神丸交差点の信号はまだ点灯していなかったので,停電状況はまだ一部残っているようだった。また,神丸交差点から南の国道168号線の整備はまだ不十分な感じだった。神丸交差点から南は道の駅・瀞峡街道熊野川の跡地までしか行けなかった。その先は一応通行可能となっているが,工事関係の車両しか通れないということだった。さすがにその先を見てみたい,とは言えずに今回は引き返した。帰りは宮井大橋から国道169号線・国道311号線を使うルートではなく,三和大橋から三重県道780号線と林道を使って湯ノ口温泉から紀和町に向かってみた。三和大橋は路面にあった木々はなくなっていたが,橋の欄干は一部壊れ,橋脚も傷んでいたらしく, 2t を越える車の通行は禁止になっていた。その先の県道780号線は,熊野川に近い辺りは路面や路肩に泥や埃が多くあったが,上流に行くに従ってきれいになった。その後,布引の滝への分岐を過ぎると山に入るが,途中がけ崩れのために通行止となっていた。その区間は林道で湯ノ口温泉そばを経由して瀞大橋に向かう。湯ノ口温泉のそばを通ると湯気が見えた。 2週間前に来た時には湯ノ口温泉は停電のために休業していたので,ついつい寄ってしまった。話を聞くと通常営業しているということだったので,折角なので温泉に入ってみた。ここも本宮大社と同じく久々の訪問だった。

 湯ノ口温泉で暖まった後はひたすら帰るだけだった。帰りのルートは丸山千枚田前を通り,三重県道40号線で北山村に抜けてから不動トンネル,国道169号線で北に向かうことにした。当日は快晴だったので,丸山千枚田はとても綺麗に見えた。県道40号線の路肩崩落箇所はそのままの感じだった。一番ひどい場所は崩落の大きさは同じ程度だったが,沢からの水量が増えた感じがした。当日は快晴だったのに未だにいっぱい水が流れていたのは,それだけ山が水を含んでいるということみたいだった。北山村ではおくとろ温泉がどうなっているかが気になったので,おくとろ温泉に行ってみた。おくとろ温泉横のレストランと売店は営業していたが,おくとろ温泉自体は源泉ポンプが故障中で温泉の営業はしていなかった。それでも施設自体は大丈夫だったので,比較的復旧は早いと期待している。北山村からは不動トンネルを抜け,国道169号線を北上した。国道169号線は川上村の迂回区間までは快適だった。池原ダム湖横にあった交互通行区間も規制が解除されていた。迂回区間では対向が来るまで15分ほど待たされたが,完全に止まっていたのでよい休憩になった。その後吉野にある柿の葉寿司と鮎料理のお店,平宗本店に寄って柿の葉寿司を買って帰った。
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2011年9月15日木曜日

台風12号の被害(熊野川町付近)

2011年9月の台風12号の被害の様子のわかる写真や動画で気になったものを載せます。

(0) まずは私自身のサイトから
畝畑の野尻さんと畝畑への道の情報 :このブログの1個前の投稿
Matsup's Motorcycles:上記の記事の元(写真も文章も多すぎるかも…)

(1) 熊野川町日足の洪水の写真
Twitter @aDandyInAspic:日足地区の冠水時と水が引いた後の写真へのリンク
 川とは思えない水量である!!最初見た時にはどこかの湾だとおもってしまった。水が引いた後の写真では国道に沿ってすごい埃が舞っているのがわかる。
熊野川の水害の様子:同じadandyinaspic1氏のFacebookにある被害写真

(2) 和歌山の被害の様子(写真等も)
『ほっと!和歌山県』~和歌山県広報リレーブログ~:多くの写真が載っている。
 ・台風12号被災状況報告(9/11 古座川町・田辺市本宮地区)
 ・台風12号被災状況報告(9/10 新宮市・那智勝浦町)

(3) 熊野川町付近の被害の様子の写真
われに還る熊野(9/12):被害状況がわかる写真
 私が撮ったのと似た構図のものも多い。また,熊野川町の道の駅・瀞峡街道熊野川の様子もわかる。

(4) 熊野川町付近の被害の様子の写真
熊野古道なかへち 川井オートです!:中辺路や本宮の被害状況がわかる写真

(5) 十津川村 助け合いマップ (Google Maps)
 Google Maps を利用した助けあい(情報)マップ:十津川村助け合いマップ

(6) 台風12号の被害と復旧・支援情報マップ (Google Maps)
 Google Maps を利用した復旧・支援情報マップ:台風12号の被害と復旧・支援情報マップ 

(7) 動画 (YouTube):新宮市熊野川町日足付近で熊野川が氾濫している様子の動画
 紀伊半島・台風12号の大水害の様子(旧熊野川町)9月4日 by adandyinaspic1 氏
  最後の方に望遠で三和大橋が冠水しているのがわかります。

(8) 動画 (YouTube):新宮市熊野川町日足付近で熊野川の水が引いた後の様子
 紀伊半島・台風12号の大水害 水が引いた後の様子(旧熊野川町) 9月7日 by adandyinaspic1 氏
  泥が乾いてものすごい埃が舞っています。

(9) 動画 (YouTube):水が引いた後の国道168号線,新宮市熊野川町日足付近
 台風12号 熊野川町日足〜三和大橋まで by e333t 氏

(10) 動画 (YouTube):水が引いた後の国道168号線,新宮市熊野川町日足~志古
 台風12号 熊野川町日足〜志古まで by e333t 氏

(11) 動画 (YouTube):水が引いた後の三和大橋
 紀伊半島の台風12号の水害 9月7日 三和大橋から見える熊野川 by adandyinaspic1 氏

2011年9月12日月曜日

畝畑の野尻さんと畝畑への道の情報

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追記):2013年4月に野尻さんに会いました。お元気にされておられました。

まず,結論から書こう。2011/9/11 現在の情報として,熊野川町畝畑にお住まいの野尻皇紀さんはお元気だそうです畝畑に通じる県道229号線は路面崩落と法面崩落のため,熊野川町側も古座川町側も通行不能です。
追記)10/5 に野尻さんからメールが来ました。9月中に電気も復旧し,10/1には県道の仮設橋も完成して孤立状態から抜け出せたそうです。仕事が1ヶ月遅れとのことでした。しかしご無事で何よりです。

 昨日,熊野川町畝畑にお住まいの野尻さんの安否を確認すべく,バイクで畝畑に向かってみた。NHKの和歌山放送局の情報によると,畝畑は孤立地区で6名の方がおられるが,物資も運ばれ衛星電話もある,とのことだった。しかし,それ以上のことはわからなかった。で,気になったので行ってみた,というのが今回の記録。

 いろいろネットで見たところ,三重県の紀和町には行けそうだったので,紀和町から熊野川町日足にある三和大橋を目指してみた。道中の写真の多くは別のサイト(Matsup's Motorcycle Site)に載せておいた。道中何箇所が難しい場所はあったが,なんとか三和大橋,そして熊野川町日足に辿りつけた。三和大橋は話には聞いていたが,路面まで冠水した様子が見て取れた。欄干に流木が多数残っていた。まだ橋の手入れまで手が回っていない感じだった。三和大橋は公式には通行止めだった。理由は,路面に泥が残りスリップの危険があるのと,道の両側に流木が残っているから,などと思われる。見た感じは綺麗な路面に見えたのだが…。どうしてもの場合には通れないことはないと思う。もう通行止め解除されてるかもしれない。

 それにしてもあの橋の上まで水が上がったのは想像を絶する。地元の方々の被害は相当なものだと容易に想像できる。日曜日は天候がよかったため,皆さん家財道具を家から出して,路上に積まれていた。きっと全て処分しないと仕方ないと思う。国道168号線の路面には泥が残り,乾くとホコリが舞い上がり,濡れるとヌルヌルで危険だった。散水車で泥を取り除く作業をされていたが,まだしばらくかかりそうな感じだった。自衛隊や他の自治体の災害支援車両等を数多く見たが,もっと多くの組織的な支援が欲しい,と感じた(個人的には何もできなかったので,偉そうにはいえないが…)。

 最終的に,新宮市熊野川町日足,さらにその奥の熊野川町小口まではあまり苦労せずにたどり着くことができた。現時点(2011/9/11時点)では,熊野川町日足までは,熊野市方面から国道311号線で紀和町を過ぎ,瀞大橋を超え,国道311号線が国道169号線と合流する竹筒,国道169号線の四瀧トンネル,宮井大橋,国道168号線経由でたどり着くことが可能である。ただし,国道311号線は瀞大橋を過ぎて狭くなる箇所から国道169号線と合流する竹筒までは交互通行となっていたので,それなりの時間がかかる覚悟が必要である。また,国道169号線と合流して,道幅が広くなった所にある四瀧トンネルは,内部が真っ暗で,かつ路面に泥があるみたいで滑りそうな感じで怖かった。国道168号線は新宮から本宮までは公式には通行止めとなっている(9/12には宮井大橋から本宮までは通行止めが解除になっていた)。宮井大橋〜日足間でも,路面には泥があり,その泥を横に押しのけて積んであったり,周囲の家から出された家財道具などが積まれていたりして,充分な道が確保されてはいない。また,道路自体をきれいにする作業や,家々の片付けなどをされているので,気を付けなければいけない。そのための通行止めであり,宮井大橋から日足まではなんとか(泥だらけになりながら,スリップや作業車,作業されいている方々に気をつけて,ゆっくりなら)走ることはできる。熊野川町日足から新宮までは行けないらしい。新宮市の職員の方がそうおっしゃっておられた。具体的な理由(法面崩落なのか,道路自体が落ちてるのか,など)はわからないが,いけないみたい。ちなみに道の駅・瀞峡街道熊野川も「かあちゃんの店」も流されてなくなった,と聞いた。宮井大橋と日足地区の間には志古地区があるが,その付近は車が路上に転がっていたりして,まだまだ復旧の手が足りていない感じだった。瀞峡観光のウォータージェット船乗り場のドライブイン志古は,めちゃめちゃになっていた(どこかのサイトでジェット船自体は大丈夫とのことだった)。

 さて,肝心の畝畑だが,畝畑に行くには和歌山県の県道229号線を通って行かないといけない。熊野川町日足から小口に行き,そこからr229で畝畑を目指す。小口から畝畑までは約 13 km あり,途中に大きめの長瀞橋があり,さらにトンネルが5本ある。今回,小口までいけたので,せっかくだからと思って(無謀にも)リッターのツーリングバイクで畝畑を目指してみた。路面には木の小枝や葉っぱ,角張った小石が随所で散乱している状況だった。場所によっては全く通常っぽい路面の所もあるが,ほぼ全線にわたって緊張を強いられる状況だった(特にパンク)。長瀞橋までで2箇所か3箇所,法面が少し崩れていた。しかし,小型の自動車なら通れる幅は確保されていた。また,路面には車が何度か通った新しい轍があり,畝畑まで行けるのではないか?と希望を抱かせてくれた(実際には路面崩落のため,バイク・車では畝畑には行けない)。長瀞橋を過ぎて,1号トンネルと2号トンネル(小口から見た番号)の出口はそれぞれ法面から礫が多数落ちてきていた。オフロード車なら通れる感じに踏み固めてあったが,リッターバイクでは恐怖だらけだった。その後も数箇所で石ころだらけの部分(長さ 1m 程度や,1m 未満)が数箇所あった。それでもなんとか5号トンネルを超え,もうちょっと行ったら阿修羅橋(誰かがあしゅら男爵みたい〜,と書いていた橋。正式名称はなんだっけ?)だ,と思っていたら,そこに数台の車と10人ぐらいの人がいた…。私のバイクに気づくと「あー,この先は行かれへんでぇ!」との声。実はその付近で長さ 10 m 程度(目測なので実際の長さは不明)にわたって法面が崩れ,路面ごとなくなっていた。せっかくそこまで頑張ったが,さすがにその先はバイクでは無理だった。残念。そこにおられた方々は中部や九州から応援で来られた国土交通省の人達で,崩落現場を見てどうやって復旧させるかを検討されている,とのことだった。日曜日なのに皆さんご苦労様です。逆に,国土交通省の方々に「あんた,こんなバイクでよう来たねぇ」と呆れられてしまった…。うーん,邪魔しただけだったみたい…。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。

 しかし,r229が崩れている場所から野尻さん宅までは歩いて1時間程度の距離らしかった。実は,新宮市の職員の方が数名,崩落現場から歩いて野尻さん方まで行かれ,戻ってこられたところだった。野尻さんやご家族の安否を尋ねると,「野尻さんもご家族も元気にしてはりますよ。行ったら逆にお茶出してくれはりましたわ。停電みたいやけど,発電機使ってはりました。この先(崩落現場の先)の道はどうってことなくて,物資はここまで車で持ってきて,反対側に野尻さんが車で来はって受け渡してます。消防の方から衛星電話も借りれたみたいですし。畝畑から先も県道が2箇所崩れてるらしくて,係長を車で案内するって言うてはりましたわ」とのこと。係長さんはその後野尻さんの車で崩落現場そばまで送ってきてもらったらしい。でも野尻さんはすぐに引き返してしまわれたので,お顔を拝見することはできなかった。午後1時ぐらいだったので,畝畑まで歩いてもよかったのだが,道路復旧作業(現時点では下見だけだったけど)の邪魔しても悪いし,バイクで小口まで無事帰れるかどうか(パンクの危険が大きかった)もあったので,野尻さんご家族の無事を確認したというこで今回は引き返すことにした。早い時間で後方に人が大勢いればパンクしても修理可能だし…。
  川上村迫の国道169号線崩落現場

  茶色く濁った池原ダム湖

  三重県道40号線の崩落現場

  水没した三重県道740号線

  冠水した三和大橋

  国道168号線から見た三和大橋

  冠水した道は泥だらけだった

  まだ手付かずの車

  国道168号線志古に残る軽トラ

  ドライブイン志古もめちゃくちゃ

 川は茶色いが空は悲しいくらい青かった

 その後,なんとか運良く小口までパンクせずに走れた。帰りは小口,日足,志古,宮井大橋,竹筒,瀞大橋,紀和町と走って,その後国道311号線で熊野市に出て,国道42号線で帰ってきた。国道42号線は,矢ノ川峠区間で3箇所(だったと思う)交互通行だったが,いずれも距離はそんなに長くなかったので,すぐに通過できた。その後は国道42号線,紀勢道ともに順調に走って帰ることができた。

 今回の水害は,四国付近をゆっくり北上した台風12号によって長時間もたらされた雨によるものだが,明治時代の大水害も同様の台風が原因らしいとWikipediaに書いてあった。きっと明治時代の大水害の時も大変だったと思う。ヘリコプターもない時代なので,復旧も大変だったと思う。もう一週間以上経つが,山の奥地はまだまだ復旧していない。多くの方々の多くの支援が必要だと思われる。しかし,私には今何ができるのだろう?こうやって皆さんに伝えることぐらいしかできない。休みを取ってボランティアに行ければとも思うが…。
(もっと写真を見たい人はMatsup's Motorcycle Siteを見てくださいな)

2011年9月7日水曜日

台風12号による紀伊半島の主要道の情報

 9/4 を含む週末に紀伊半島を襲った台風12号は甚大な被害を及ぼした。特に紀伊半島が受けた被害は大変なものであり,未だに(9/7)孤立した地区があると聞く。現時点で一番大きな問題が道路関係だと思う。復旧をするにも資材や食料などの運搬が必要なのだが,道路がうまく機能しないと機材が持ち込めず,復旧が始められない,とも聞く。そこで紀伊半島の主要道の情報を探してみた。いろいろ検索をかけてもいまいちいい情報が得られない。台風がまだ日本にある時にはテレビなどの情報がありがたいが,少し時間が経った後だと,ネットなどいつでも見れる情報がありがたい,と感じる。今回は,紀伊半島三県(和歌山県,奈良県,三重県)の道路情報について書こう。

 紀伊半島三県(和歌山県,奈良県,三重県)には,国道だけでも国道42号線に始まり,国道168号線,169号線,309号線,311号線,371号線,424号線,425号線,480号線,などが走っている。またそれぞれの県の県道が多数ある。それらの道路情報(通行止めや通行制限の情報)は,国規模の機関(国土交通省近畿整備局やJATIC)などよりも,国道や県道を実際に整備している各都道府県が出している情報の方が,具体的で,かつ,タイムリーでよかったりする(国道42号線のような直轄国道は国土交通省中部地方整備局や国土交通省近畿地方整備局のサイトで調べないといけないが…)。

 紀伊半島三県(和歌山県,奈良県,三重県)に関してだと,
和歌山県道路情報の通行規制情報(地図と一覧がある)
奈良県道路規制情報
三重県道路規制情報
を見るのがいい。

 ちなみに直轄国道(紀伊半島だと国道42号線)の情報は,
近畿地方整備局道路規制情報
中部地方整備局道路情報供給システム
を見てほしい。

 以下に9/7の時点で如何にすごい状態だったかを載せておこう。

・和歌山県の場合
和歌山県道路情報の通行規制情報の「地図」の9/7の午後のスナップショットを右に示す。これはあくまでスナップショットであり,最新情報は必ず和歌山県道路情報で確認してほしい。9/7の午後の時点で,和歌山県内は普段に比べ通行止めだらけとなっている。特に新宮から本宮にかけての国道168号線はほぼ全面通行止めとなっている。災害復旧車は通れるようになったという噂を聞くが,通常の車はまだまだ通れそうにない。また,田辺付近にも多くの通行止め箇所があるのがわかる。

・奈良県の場合
奈良県道路規制情報のスナップショットを示そう。ここでも最新情報は必ず奈良県道路規制情報で確認してほしい。奈良県内でも9/7の午後の時点で,国道168号線,169号線,309号線など南部で軒並み通行止めとなっている。まさにズタズタの状態である。迂回路がある路線はまだいいが,迂回路がない路線も多く,また大規模に崩落している箇所は復旧に時間がかかると思われるため,地元の方々はしばらく不便とならざるを得ないと思われる。1週間~1ヶ月で復旧できれば御の字だと思われる。下手すると復旧には数年を要するかもしれない。

・三重県の場合
三重県道路規制情報のスナップショット。ここでも最新情報は必ず三重県道路規制情報で確認してほしい。三重県でも9/7の午後の時点で,南部の熊野,尾鷲,松阪の西部,伊賀の西部でものすごい箇所の通行止めが発生している。ここには載っていないが,国道42号線は片側通行の区間があるが一応全線で通行可能なので,それだけがせめてもの救いとなっている。ただし,山間部からの迂回路となっているため,渋滞するかもしれない。




追記『ほっと!和歌山県』~和歌山県広報リレーブログ~で以下の情報を知りました。

(1) 近畿地方整備局・台風12号被災地関連情報
 近畿地方整備局よる台風12号の被災地関連情報で,さらに以下の情報が得られた。

(2) 和歌山県情報館・通行可能ルート情報
 大阪,和歌山,田辺から新宮や,中辺路,本宮へのルートが載っています。

それによると,2011/9/16 現在で本宮に行くには,有田インター(あるいは,川辺インター → 県道26号)→ 国道424号線 → 県道198号線(水上栃谷トンネル) → 国道311号線(中辺路) → 本宮というルートがいいようです。

 ちなみに,東からだと,熊野市 → 国道311号線 → 紀和町 → 十津川村竹筒 → 国道169号線 → 宮井大橋 → 本宮(あるいは熊野川町)というルートになります。
 熊野市までは,奈良県吉野 → 国道169号線 → 上北山村 → 下北山村 → 熊野市,あるいは紀勢道 → 国道42号線 → 尾鷲 → 熊野市というルートでたどり着けます。

(3) 台風12号に伴う災害による道路規制情報(電子国土Webシステム版)

(4) ITS Japan・自動車通行実績・道路規制情報

2011年9月5日月曜日

台風12号に思ふ

 2011年夏の台風12号が紀伊半島に及ぼした被害はあまりに大きく,個人的な思い入れのある地だけに心が痛む。各地の被害状況が写真等で明らかになってきているが(まだまだ全体像はわからない),それらから被害の断片を見ただけで,今回の被害が甚大なものであることがありありとわかる。今年,バイクで国道168号線と国道311号線,371号線の全線を走破した。その際に各所で写真を撮った。写真を撮ることで今まで通過していただけの場所がはっきりと頭に残るからだった。それらの地が今回の台風12号に伴う大雨で軒並みぐちゃぐちゃになってしまっている。

 五條市宇井で熊野川(かなり上流域)のそばが崩れている。写真を見ると,宇井にある宇井大橋の北付近(熊野川が曲がっている付近)が大きく崩落していた。この少し上流の付近では,以前斜面が大崩落を起こして,国道168号線が数年に渡って遮断されていた区間があるが,今回はそのすぐ下流,という感じの場所で,以前の崩落時に迂回路だった県道が土砂で完全になくなっている。宇井の集落を走る国道168号線の旧道から篠原へ分岐していた付近も崩れてしまっているみたい。そのすぐ下流の長殿付近では,熊野川沿いにあった長殿発電所が冠水したらしい。あの辺りは随所で川と同じぐらいの高さに国道168号線が走っているので,かなりの区間が水に浸かったのではないだろうか?
追記)映像を見ると,長殿にあった発電所は残骸だけを残して消えていた。やはり凄まじい水の破壊力だったみたいだ。他にも辻堂にある国道168号線の最狭区間付近で土砂崩れがあり,そのため宇井に重機が入れないみたいだった。迂回路の県道が土砂崩れのために使えないので,まさに陸の孤島になっているみたい。うーん,何が私にできることはないだろうか??

 南に下ると風屋ダムのすぐ下流,風屋ダムから発電所に水を送る導水管が国道168号線と熊野川を越える付近でも斜面の崩落が起こり,その衝撃で熊野川の水が鉄砲水のようになり,導水管付近の家屋が水で流されている。さらにその下流,十津川村役場と十津川温泉の中間付近にある折立では,国道168号線の折立橋が流されている。この橋は少し古い橋みたいで,道幅が1.5車線という感じの橋だった。そのため今回の大量の水に耐えられなかったのかもしれない。十津川は村に通じる幹線道路がすべて遮断されているらしい。なんとか早く救助や支援が入れればいいのだが…。

 もっと下流,和歌山県に入った本宮付近から下流では熊野川が氾濫し,そこら中で家々や田畑が水没してしまっている。本宮大社付近でも熊野川の本流が溢れ,大斎原(明治まで本宮大社のあった場所)にある大鳥居の周りも冠水していた。明治にも大水害があり,そのために本宮大社はこの大斎原から現在の地に移動した(神社の場合はなんていうんだっけ?遷宮だっけなぁ?)と話には聞いていたが,今回の平成の大水害も大斎原が冠水したということから明治時代の大洪水に匹敵するものかもしれない,と思った。明治の時にも多くの場所で山が崩れ,多くの方が亡くなられたと聞く。そのため今の十津川村から(昔は北十津川村とか西十津川村とかって分かれていたらしい)数千人の方が北海道に移住されて今の新十津川町を作ったとも聞く。

 本宮から少し下流に行った辺りの熊野川町日足(ひたり)付近は早い段階で冠水していた。ここは今年の台風6号の時にも冠水していたように思う。ここも今は新宮市になっている。新宮市ってとても広い地域をカバーしていて,今回の災害では担当者は全域の状況をくまなく把握するのは難しかったのではないだろうか?そういえば熊野川町から川をさかのぼった奥にある畝畑の野尻さんはお元気だろうか?今年はまだ畝畑を訪れていないのだが,和田川もかなり多くの水が流れたと思う。畝畑に通じる県道229号線もどうなっているのかわからない。ご無事だといいのだが…。メールを送ってみたが今のところ返事がない(9/6火曜日夜)。今どこにおられるのだろうか?小口か熊野川中学辺りに避難されているといいのだが,熊野川地区は早い段階から冠水していたので,難しそうやなぁ。気になるが,熊野川地区まで行く国道168号線がずたずたっぽいので,今のところ私は行けそうにない…。残念だ。
追記)NHK によると,
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9月6日15時9分
新宮市では14地区で、508世帯868人が孤立しています。
………
▼畝畑地区では、2世帯6人
………
が孤立しています。
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だそうだ。ご無事を祈るばかりだ。
追記2)NHK によると,9月7日10時29分現在の情報で,畝畑が孤立している地区リストからはずれていた。きっとご無事だと思っている。多分小口か熊野川町日足に避難されているのではないだろうか?(直接確認したわけではなく,推測の域をでないのでご注意を)
追記3)9月8日9時6分現在の情報では,畝畑が孤立して地区リストに入っている。
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▼熊野川町畝畑地区の2世帯6人
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さらに,和歌山県の道路規制情報を見ると県道229号線が路肩欠損のため通行止めとなっているみたい。畝畑は完全に孤立しているみたい。食料とか大丈夫なのか不安だ。

 奈良県の上北山村では雨量が数日で 1800 mm 以上も降ったらしい。そんなに降ったら大変なことになっていそうな気がするが,情報がぜんぜん入ってこない。どうなっているんやろ??国道169号線は川上村付近で通行止めになっているみたいだが,上北山村自体の情報はないなぁ。詳しくは奈良県の道路情報三重県の道路情報和歌山県の道路情報を見て欲しいが,国道も軒並み通行止めになっている。県道や林道はもっとひどいと想像できる。
追記)映像によると上北山村の大台ケ原では 2400 mm の雨量を記録したらしい。それってめちゃめちゃな量やん。川上村役場付近の国道169号線の横の斜面が大きくずれ,国道がなくなっているので,上北山村にはいるのも難しそう。
追記2)国道169号線は川上村付近で一部通行止めのようだが,迂回路があるらしく,上北山村へは行けるらしい。また,意外と被害が少ないとも聞く。

 まだ被害の全体像は見えないが,おそらく紀伊半島はずたずたになってしまっていると思われる。上記は主に熊野川(十津川,新宮川とも呼ばれる)周辺だが,田辺市龍神村付近や北山川沿い,天川村,高野山,吉野,三重県の大台町や熊野市,古座川町…気になる箇所は多数ある。以前,国道371号線が数年に渡って一部区間が通行できなくて,最近やっと通れるようになったのだが,今回の台風で多くの道が数年単位で通れなくなってしまいそうだ。今年は国道425号線の全線走破もしたいと思っていたが,今回の台風で数年はできなさそうになった気がする。やはり自然には勝てないと思ってしまう台風であった。

2011年9月2日金曜日

とあるマスメディアについて

 先週,一人の芸能人が急遽引退した。全国ネットのテレビで6本レギュラーを持っていたから,急な引退発表でテレビ局は大慌てらしい。しかし,テレビを見ていてもいまいち違和感を感じない。なんでかなぁ?と理由を考えてみた。思い当たった理由は,私はかの芸能人の方の芸風(司会を芸風と称してもいいものかどうか…)が嫌いで,彼が司会をしている番組をほとんど(全然?)見ていなかったからだった。だからテレビを見ていても,普段と特に変わりがなかった。それで違和感がなかったみたい。引退会見の記事などを読むと,彼が引退会見で話した程度の事なら,あんなに急な引退というのは考えられないと思う。逆に言うと,彼が引退会見で話した内容は,引退に至った理由のほんの一部しか話していないように思える。まぁ,テレビとネットの情報だけしか無いので,何がどうなってるのかはわからないが…。
 そんなこんなで,ふとテレビについて考えてみた。というか,考えていることを書きたくなった。個人的にはバラエティと言われるテレビ番組は好きではない。スポーツやニュース,ドキュメンタリーは好きだが,バラエティはねぇ…。クイズ番組なら知識を得られたりするからいいのだが,単に芸能人がだらだらとしゃべっているだけ,とか,以前あった番組みたいに下手な芸能人のカラオケを聞かされる番組など見ても全く意味が無い。クイズ番組でも,だらだらとしゃべりがあって,その合間にちょっとだけ意味のない問題を出す,というのはバラエティと同じ範疇に入るので,全く意味がない。そういえば,かの芸能人氏の番組でもそんなのがあったなぁ…。そういえば民放のドラマも好きじゃないなぁ。だって,作りが甘いねんもん。見ていても,短い時間で適当にささっと作ったという感じがありありと見えて,どうものめり込めない。それに比べると映画はかなりしっかり作り込むから,見ていて納得できるねんなぁ。まぁ,映画でも駄作は多いが…。そういえば,とある放送局が韓流ドラマをいっぱい放送していろいろ言われてるなぁ。個人的には韓流ドラマもテレビドラマの範疇に入るので,特に見たいとは思ってない。だから見てなかった。あの放送局は,以前,面白くなければテレビじゃない,というキャッチフレーズを使っていたが,それでも番組は面白くないのがほとんどやったなぁ。なんでテレビ業界の人って見る人の事を考えないんやろ?あれ?もしかして,あの放送局の番組を見て面白いと感じる人が多いのか??もしそうなら,とっても憂うべきことやと思うなぁ…。

2011年8月10日水曜日

リトルマンとファットボーイ

 ネットのニュースを見ていてドラマの中の登場人物が着ていたTシャツの柄が問題になっていた。理由はlittle boyと書かれていたかららしい。なんでそれであかんの?と悩んだが,記事の中身を見て理由がわかった。どうやらLittle Boyは広島に落とされたウラン型の原爆のコードネームだったかららしい。おまけにドラマが放映されたのが8月7日で,広島に原爆が投下された8月6日の次の日だった,というのも多少関係しているみたい,というのが記事の内容だった。

 しかし,我々の年代を含め,Little Boyが広島型原爆のコードネームって何人ぐらいの人がすぐに頭に思い浮かぶのだろうか?じゃあ,長崎に投下された原爆のニックネームは…?
 確か,どっちかがリトルでもう一方がファットだったから,ファットボーイ,と私は考えてしまった。しかし,ファットボーイは間違いっ!!正しくはファットマンだった。理由はプルトニウムを使った爆縮型の原子爆弾だったので形が丸っこかったためらしい。
 ちなみにファットボーイはハーレーダビッドソンのバイクの一つ。他にもソフテルとかローライダーとかヘリテイジソフテルクラシックとか…。まだまだいっぱい名前はあったけど,忘れてしまった…。調べたら今じゃファットボブってのもあるみたい。でもまぁ,バイクの名前だからファットと付けばファットボーイと思ってしまったのだった。

 Little Boyと聞いて少年だっけ?と思ったのだが,まさか原爆でひっかかるとは…。きっとドラマの制作者もそこまで考えてなかったんだと思うなぁ。Little Boyのシャツを見てもまずいと感じなかったんだと思う。つまり悪気はなかったんだと思う。さすがにお米のセシウムさんはあまりに今のトピックで,使う前に考えないとあかんやろ,と思うけどねぇ…。まぁ,まだ戦時中にすでに生まれておられた方々が多くご存命なので,未だに戦後ということなんだろう,と思ったニュースでした。

 ちなみにセシウムさんはテスト用に作ったテロップを間違えて本番で使ってしまった,という噂があるが,もしそうだとすると,担当者はもしものことを考えなかったのかなぁ?テスト用ってことは間違えて本番用に出る可能性は多々あると思うのだが…。そんな失敗があっても大丈夫なようにテスト用では無難な名前にしておくのがフェールセーフの考え方として重要だと思うんだけど,どやろ??

追記)ネットで見てるとLittle Boyを知らないと小学生以下らしい…,いかん,小学生以下になってしまった…。というか,原爆のコードネームがLittle Boyと言われたら,そういえばそうだったかも,ぐらいにしか記憶になかった。小学校で習うらしいが記憶にないなぁ。習ったとしても昔の事やしねぇ。うーん,そんなことまで習ったっけ?例えばエノラ・ゲイと言われたらピンと来るが,Little Boyはあまりに一般的やからなぁ。Little Boyとだけ書かれただけやと反応しないなぁ。さすがに図として爆弾やドクロ,キノコなどが一緒に描いてあればわかると思うけど,文字だけじゃねぇ…。
 そんなことよりも原爆の投下は明らかに国際法違反だと思うのだが…。そっちの方をもっと声高に言うべきではないだろうか?戦争をやめさせるために投下したとかいう主張になっているが,それなら東京に近い海上で投下して脅すというのでもよかったと思う。ある程度人口が密集した都市に投下するのは明らかに非戦闘員を狙った攻撃であり,いかなる理由があっても正当化してはいけないと思う。今回の件も字面よりもっと本質的な点を主張してくれないかなぁ??

2011年7月25日月曜日

国道168号線リベンジ

 一週間前に国道168号線を走破しようと思ったが,暑さと車の多さに諦めてしまったので,リベンジで国道168号線の続きを走ってみた。前回の失敗点は,谷瀬の吊り橋付近で午前10時を過ぎ,気温も上がってくるし,車も増えてきて疲れてしまった,というところだったので,今回は早めに走ろうと思った(果無に寄ったのも原因か?)。目標は午前7時前に谷瀬の吊り橋付近から北上してゴールの枚方に向かう,というもの。国道168号線は新宮が起点で枚方がゴールとなっていて,途中一方通行がある。そのため生真面目に走破しようと思うと,逆向きには走れない。逆ならきっと楽なのになぁ…。新宮ならお昼すぎでも大したことないが,大和高田,王寺,生駒,枚方,となると人口も多く,お昼頃に走るのはしんどいからねぇ。

 実際に谷瀬の吊り橋の手前付近に着いたのは午前6時半頃だった。そこから五條,大和高田などを走って枚方を目指した。今回は前回おざなりにしてしまった猿谷ダム付近から五條にかけての山岳区間の写真を多く撮ってみた。五條から先はできるだけ写真を撮らないでおこうと思ったが,それでもまあまあの枚数撮ってしまったかもしれない。

谷瀬の吊り橋を過ぎると改良中の区間を挟んで橋とトンネルで改良された区間がある。その後,長殿,塩鶴,と狭路区間があり,宇井付近で再び改良区間になる。その先には2004年に山の斜面が崩落した所があり,崩落箇所をすぎるまでは改良された区間となっている。しかしその先の辻堂付近には国道168号線の最狭区間が残っている。最狭区間付近は交通量が多い土日祝日などは離合が困難でよく渋滞してしまう。実際,先週はまさに渋滞し始めている時間にひっかかって疲れてしまったのだった。辻堂の先は猿谷ダムのダム湖畔を走り,天辻峠を超えて五條に向かう。天辻峠はかなり急な峠なので,峠の前後はともに急な上りと急なカーブのある区間となっている。峠区間が終わると賀名生(あのう)付近は川沿いをのどかに走り,五條付近で開けてくる。

 国道168号線は,五條から先は国道24号線,国道166号線などとの重複区間があり,大和高田では国道166号線との重複区間にも関わらず一方通行が存在している。その付近は旧竹内街道がそのまま国道に指定された区間であり,重複区間なのに狭くてちょっと不思議な感じがする。大和高田を抜けると,西名阪道をくぐり,王寺から平群(へぐり)を通って生駒に抜ける。そこから山の中を抜けて北に向かい,私市(きさいち)付近で平野に出て,最終の枚方(ひらかた)に向かう。五條から先は人口密度も高く,住宅地が多く,車も信号も多くてとても走りにくかった。やっぱり走るなら紀伊半島がいいなぁ,と強く感じた国道168号線の旅だった。

 今回,紀伊半島を縦断する国道の1本である国道168号線を2回に分けて制覇した。今シーズンは紀伊半島を走る国道371号線と,国道311号線も制覇している。次は国道425号線を制覇したいが,法面崩落などがありしばらくは全線走破は難しそうな感じがしている。他に,国道169号線や国道424号線などもあるが,いずれも一週間前のの台風の影響で通行止めの区間があるみたい。紀伊半島を走るいずれかの国道の全線を走れそうになったら,再び全線走破に挑戦してみたい,と思っている。
(もっと写真を見たい人はMatsup's Motorcycle Siteを見てくださいな)

2011年7月23日土曜日

ぱのらみお

 バイクで走るのは紀伊半島が多い。理由は車が少なく,信号も少なく,カーブがいっぱいあって楽しいから,などである。一度走りに行くと 400 〜 600 km ほどを走る。始めの頃は走るだけでよかったが,そのうち目的が欲しくなってきて,滝を見に行ったり,紀勢本線の駅を訪れたり,と何らかの企画を考えて走ってきた。最近では国道を端から端まで走破する,という企画で走りに行ったりしている。特に今年になってから GPS ロガーを買ったので,走行記録を取り Google Maps でルートを表示させたりしている。また,ツーリングに行くとコンパクトデジカメで写真を撮るのだが,GPS ロガーの記録を使って写真に位置情報を結びつける,ということもしている。

 写真に位置情報をつけると,地図と写真をリンクしたくなる。Google Maps の走行ルートに写真をリンクさせているのだが,これが写真だらけだったりするし,走行したルートのものしか出せない。でも今までの走行時の写真をすべて載せる,なんてことはサーバーの容量などを考えるとちょっとしんどそう…。そんな時に目にしたのが Panoramio というサービス。気づいたのは Google Maps を見ていてだった。Google Mpas の右上にある設定ボックスに「写真」というのがあり,いろんな地点の写真を見せてくれる。そこに表示されている写真は基本的に一般の人が投稿したものなのだが,そのサービスが Panoramio だった。基本的に風景の写真を投稿してくれ,というもので,Google Earth にも表示をしてくれるみたい。ただし,Google Earth に表示されるのは,一定の条件を満たしていなくてはならず,「風景がわかる写真」や,「ある程度の解像度が必要」,「不必要に人物や車などが写っていない」などの条件がある。なので,花の拡大写真みたいに風景と結びつかない場合は Google Earth には表示されないみたい。Google Earth に表示されると代表的な物(人気があるもの?)が Google Maps にも表示されるみたい。Google Earth に表示されるかどうかは,一枚一枚人間が判断しているらしい。なので,写真を投稿してもすぐには表示されず,判定に数日から一ヶ月程度かかるらしい。また,「表示されます」とでてからも,すぐには Google Earth には登場しないみたい。また,登場してもすでに同じ場所に他の人からの写真があると,その写真に隠れて見えない,ってこともあるみたい。

 とりあえず今回 Panoramio に登録して写真を投稿してみた。投稿した写真は国道311号線を走った時のものにしてみた。国道311号線でも特に尾鷲から熊野市にかけての海岸線を走る魅惑のゾーンのものを選んでアップしてみた。Panoramio にアップロードする時は,1回あたり最大10枚までであり,アップロードできると各写真にタイトルやキーワード,コメントを入力する。その状態で保存すると,Panoramio の個人のアルバムに写真の一覧が表示される。ちなみに私のアルバムはこのURLにある。まずは甫母(ほぼ)の集落付近の写真をアップロードしてみた。最初は20枚程度だったと思う。そして一週間程すると全ての写真が Google Earth に表示されました,となっていた(すべて走行記録の意味合いが強く,風景ばかりで Google Earth に表示するという目的にぴったりの写真ばかりだったからだと思う)。そこでちょっと気を良くして,国道311号線の尾鷲〜熊野市間の写真を追加した。また,Google Earth にこの間走ってきた果無の集落の写真があまり見当たらなかったので,それをアップしておいた。するといつのまにか写真が 119 枚になっていた。今後も,これまでのツーリング時の写真で,他の人の写真がない場所とか,写真がないと道の様子がわからへん,という感じのところの写真をこつこつアップしておこう,と思っている。ま,どうなることやら…。

2011年7月21日木曜日

R425はいつ走れるんやろ?

7/19~20の頃に近畿に最接近した台風6号はかなり強力だったみたいで,熊野川の河口の映像を見ると,あんだけ広い熊野川から水が溢れそうになっていた。きっと上流では大変なことになっていたに違いない。場所によっては積算雨量が1000mmになった所もあったみたいやし。あれだけの雨が降ると,当然のようにがけ崩れや道の脇の法面崩落が多発する。実際,和歌山県,奈良県,三重県の道路情報を見ると,2011/7/20 現在で,国道425号線は和歌山県で一ヶ所,奈良県で三ヶ所,三重県内はほぼ全線で通行止めとなっている。これでまた国道425号線の全線走破が遠のいてしまう…。それでなくても和歌山県内(龍神温泉から十津川村に向かう途中)で長期に通行止めやのに,数が増えると復旧に時間がかかる可能性が高いしねぇ。

 さらに,国道371号線も和歌山県内で三ヶ所路面欠損や崩土などの影響で通行止めと出ている。雨すごかったみたいやからねぇ。他にもすごいのが国道168号線が十津川村七色から十津川村折立まで全面通行止めになっているみたい。それってついこの間走りに行った所やん。それもかなり距離があるのだが,全面通行止めするとみんな困ると思うのよねぇ。それでも通行止めにせなあかん,てことなんやんなぁ…。うーん,やっぱり自然には勝てないねぇ。

追記)R425 は 2011年9月の台風12号の影響で,尾鷲〜池原ダムの間で大きな法面の崩落があったみたい。 そのため,公式にはしばらく通行止めらしい。一応 2014年3月末までの予定で法面の工事が行われているらしい。 そろそろバイクシーズン開幕か?を見てみて欲しい。

2011年7月19日火曜日

国道168号線は長かった

 やっと梅雨があけたので,バイクで走りに行った。海の日を含めた連休(土曜日が休みなら三連休)なので,思う存分紀伊半島を走ろうと思って出かけた。しかし,海の日 (7/18, 月) は台風6号の影響で雨になるとこの事だったので,日曜日に走りに行った。出かける時に天気を気にしていたが,いまいちすっきりしないみたいだったので,出発は少し躊躇してしまった。それでもほぼ予定通りの午前4時前に出発して紀伊半島を目指した。

 今回は目的地をはっきり決めていなかった。国道168号線を走る,というのも考えていたし,紀勢本線太地駅近くの 200 km ポストを探しに行く,とか, 2012年3月に正式にオープンする道の駅・滝の拝太郎に行く,や,鼻白の滝を見に行く,というのも考えていた。いずれにしても紀勢道を使って,新宮に向かえばいいや,と思い,行き先は紀勢道を南下しながら考えようと思った。しかし,最終的に国道168号線を走ろうと決めたのは新宮でガソリンを入れてからだったけど…。

 紀勢道と新宮までの国道42号線はまだ車も少なく走りやすかったが,荷坂峠付近から小雨が降り出し,仕方ないので合羽を着て走った。また,七里御浜では台風の影響ですでに波が高く,なんとなく道が水煙で煙っているように見えた。それでも新宮に着く頃には上空には青空が見え,走りに来てよかったと思った。ところが,まだ行き先を決めていなかった…。とりあえずガソリンを補給してから国道42号線を南下し,三輪崎のコンビニで休憩して考えた。なんとなく串本付近まで走る元気がなかったので,今回は国道168号線を北上する作戦にしてみた。できれば国道168号線を完走してみたいと思って新宮を出発した。

 新宮から本宮までは比較的広いところを流れる熊野川に沿って走る。道は2車線(片側一車線)で,走りやすいが,カーブは意外ときついところがある。バイクなら全然気にならないけど…。むしろバイクで走っていてとても気持ちのいい区間が続く。今回は本宮まででかなりの枚数の写真を撮った。本宮から先は道幅が狭く未改良の区間が少しだけ残ってる。その後,二津野(ふたつの)ダムに向かって高度を上げていき,山岳区間に入っている。山岳区間の最初の七色付近には立派な高架橋が出来て快適に走れるが,二津野ダム付近から十津川温泉にかけては,かつての果無越の区間であり,道幅も狭く,カーブもきつい区間が続く。それでもバイクならそれはそれで楽しく走れる区間となっている。果無峠の北側に今も果無(はてなし)の集落があり,今は林道でそこまで上がっていける。今回初めて果無の集落まで行ってみた。果無までの林道は思ったよりも狭く急で,なんでこんな所に集落があるの?という感じだった。そんな山の上の小さな集落に世界遺産の石碑があったのがちょっと不思議な感じだった。果無の集落からは下の方に二津野ダムのダム湖が見えて,その辺りの山が急峻なことが見て取れた。

 国道168号線は十津川温泉から先も川沿いに谷間を行く。途中,風屋ダム,谷瀬の吊り橋,猿谷ダム,などのそばを走っていく。いずれも道は改良区間と未改良区間が断続的につながっている。改良区間としては,十津川村役場付近から風屋ダムの手前までは以前からよくなったいたが,近年,谷瀬の吊り橋の付近もかなり道がよくなった。さらに十津川村役場から十津川温泉へと向かう区間ももうすぐ改良されたバイパスが完成しそうだった。逆に,猿谷ダム手前からは未だに狭い区間が残り,特に2004年に国道168号線脇の山肌が崩れた辻堂付近にはとても狭い区間が残っている。今回は連休の中日で午前10時頃なのに南向きの車が多く,対向が難しく渋滞を引き起こしていた。この区間にもバイパスを作っているので,そのうち狭路区間はなくなるはず。

 今回はこの辺りで陽が高くなり,暑くなってきて疲れが出てきた。その頃に車が多くなって走りにくくなってきた。そのため,急に疲れを感じて,頑張って国道168号線を走ろう,という気力が無くなってしまった。そこで,写真を撮るのもやめて,吉野の平宗で柿の葉寿司を食べて,さっさと帰る作戦に変更してしまった。国道168号線を走る企画は,谷瀬の吊り橋付近から続きをやろうと思っているが,いつになるやら…。そんなこんなで今回の走行距離は 430 km だった。まぁ,暑いこの時期にこれだけ走れれば十分だということにしておこう。ちなみに台風6号の影響で紀伊半島の道で土砂崩れは法面崩落が起きなければいい,と祈っている。
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2011年7月14日木曜日

R425未だ通れず

 梅雨もあけていよいよ夏本番になってきた。京都では夏は祗園さんに始まり,送り火で終わる,という人もいる。祇園さんは祇園祭で,送り火は大文字をはじめとする五山の送り火のこと。祇園祭は7月いっぱいいろんな行事があるが,一般人が触れるのは宵々々山 (7/14) から山鉾巡行 (7/17)の間。7/14から四条界隈は人だらけになるので,人による路地の渋滞,サウナ状態,を覚悟で行かなければならない。個人的には行きたくない,と思っている。君子危うきに近寄らずの心境。今年は特に宵山と山鉾巡行が土日に重なったので,人出は最悪と思われるし,梅雨があけてからめっちゃ暑いので熱中症になりそう。やっぱり君子危うきに…,ですね。

 五山の送り火は 8/16 に行われる。午後8時に銀閣寺の背後にある大文字に火が灯る。その後,妙法,舟形,左大文字,鳥居の順に火がともされる。以前は送り火当日に誰でも大文字山に登れたので,目の前で送り火を見たこともある。さすがに目の前で灯っていると熱かったなぁ。大文字山から見ると,大文字は一部しか見れないが,大文字以外はすべてちゃんと見えた記憶がある。あの頃はよかったなぁ。

 ところで,夏と言えばバイク!(ほんとはとても暑いので,修行,あるいは地獄,と言われるが…)鈴鹿で8耐があるし…。でも鈴鹿に8耐を見に行ったことはない。やっぱり暑いからねぇ。それでも自分ではバイクで走りたい。基本的に寒くなければ走りたい,と考えてしまう。この週末は晴れそうやしね。で,どこを走ろうか?と考えてみた。

 やはり走るなら紀伊半島でしょう!!この間は国道425号線が一部通れなかったので,国道311号線を制覇する,という目標で走った。あの時も暑かったなぁ。で,今回はいよいよ国道425号線の走破に挑戦か?と思っていたのだが,奈良県側は工事による通行止め以外は問題はなさそうなのだが,和歌山県側が通れなさそう。和歌山県の道路情報の一覧を見ると,「国道425号・田辺市龍神村小又川地内,路肩欠損のため通行止め」と出ている。もしかしたら情報の更新がなされてなくて,もう既に走れるかもしれない,と期待していたのだが,龍神観光協会公式サイトに「通行止めのお知らせ」があり,国道425号線はまだ通れない,とあった。ここももしかしたら,と淡い期待をよせて,問い合わせ先と書いてあった「西牟婁振興局建設部龍神駐在」に電話してみた。電話に出られた方によると,(1) R425は現時点では通行できない,(2) まだ工事の段取りをしているところ,(3) 10月半ばに通れるようにしたいと考えている,とのことだった。うーん,やっぱりR425はだめなのかぁ…。

 仕方ないから,国道168号線を全線走破でもしようかなぁ?あるいは楯ヶ崎まで歩いてみようかなぁ???と算段しているところである。実際にどのプランを採用したか,は後日報告しよう。

追記)R425 は 2011年9月の台風12号の影響で,尾鷲〜池原ダムの間で大きな法面の崩落があったみたい。 そのため,公式にはしばらく通行止めらしい。一応 2014年3月末までの予定で法面の工事が行われているらしい。 そろそろバイクシーズン開幕か?を見てみて欲しい。

2011年7月7日木曜日

Happy Birthday !!

 この日に誕生日おめでとう,と言えば堤真一?まぁ,確かにそうなんですが,実は私の誕生日なんです。いちおう毎年書いてはいるんですけどね。7月7日生まれというと,他に,シャガール,円谷英二,塩野七生,リンゴ・スター,研ナオコ,などもいるらしい。へぇ~
 堤真一と言えばプリンセストヨトミ?ちょっと気になるけど観てないなぁ。他にもかりぶの海賊とか魔法使いの話なんかも一応見てるのでいつかは観てみようと思うのですが,これがなかなかめんどくさくて…。晴れたらついついバイクに乗ってしまうし…。
 ま,いずれにせよ,自分に対して誕生日おめでとう〜!!

2011年7月6日水曜日

国道311号線と紀勢本線の駅の残り

 梅雨の合間に紀伊半島を走りに行った。今回の目的は国道制覇と紀勢本線の駅の制覇完了,としてみた。国道はホントは国道425号線を完走したかったのだが,工事による時間通行止めがあり,それが土曜日に休工とならないみたいだった。日曜日に走れればいいのだが,日曜日の天気が微妙なので今回は国道425号線の走破は諦めた。そこで,似た経路の国道311号線を走ってみることにした。また紀勢本線の駅は残り3駅になっていたので,それも完了したいと思ってでかけた。また,紀伊長島付近と岩代駅付近で100キロポストと300キロポストも見てきた。そうなると200キロポストも見たいが,太地駅のちょっと南の地点だが,そばにいけないかもしれない,と考えている。どうしようかなぁ?

 出発は遅めの午前7時過ぎ。天気がどうなるかを見極めていたら,遅くなってしまった。ほぼ晴れるが,山の中では日中多少小雨がぱらつく,という予報だったのだが,まぁ,小雨なら休憩すればいいか?と思って出発した。今回は紀勢道とR42で尾鷲に行き,そこからR311を走り,熊野市,紀和町などを走って上富田町まで行く。そして,御坊駅,紀伊内原駅,紀伊由良駅を見て帰る,という作戦にしてみた。高速の土日祝の上限1000円や無料区間がなくなり,紀勢道まではとても快適に走れた。なにせ無料だと下手な車が増えて困るんだよねぇ。

 尾鷲でガソリンを補給してから国道311号線に挑戦してみた。国道311号線は尾鷲から海岸線の集落をつなぐように伸びている。一昔前は不通区間があったが,近年トンネルでつながり一本の国道になった。そういえば国道169号線も私がバイクに乗り出した頃はまだ不通区間があったなぁ。国道311号線はつながったとはいえ,場所によってはとても狭くロングボディ車は走るなと警告がある。特に狭いのは甫母(ほぼ)の集落付近と遊木の集落付近であり,二木島を挟む両側がとても狭いまま残っている。しかし,リアス式の海岸線を走るので全般に景色はとてもよい道となっている。また,遊木付近はトンネルの工事中だったので,そのうち2車線になると思う。そうなると甫母の付近が最後まで狭路として残りそうである。それ以外の区間は既にほぼ2車線(片側1車線)となっているので走るのに困らないが,カーブがきついのでそれなりに疲れる区間となっている。

 国道311号線は大泊で国道42号線と合流して熊野市の中心部のそばを抜ける。その後,国道42号線から分かれて山裾を走り,紀和町から奈良県十津川村をかすめて本宮町に抜け,中辺路を通って白浜近くの上富田町まで続く。途中,国道169号線,国道168号線と重複する区間がある。本宮町で国道168号線に合流する手前の奈良県と和歌山県の県境付近に多少狭路が残るが,それ以外の区間はほぼ改良が済んでいる。特に,本宮町から上富田町までの中辺路ルートはかつて狭路の連続だったが,近年は道が改良されとても走りやすい。そのため,白浜から新宮まで直接行くなら国道42号線よりも走りやすい,と思っている。

 今回は紀和町辺りで小雨が降ってきたため,紀和町にある鉱山資料館に寄って時間を潰した。鉱山資料館にはかつて紀和町近辺にあった鉱山関連の資料が展示してあった。紀伊半島の南でそんなに鉱物が取れていたとは知らなかったから,結構興味深かった。もうちょっと展示品が充実していたらなぁ,という印象を受けてしまったが…。鉱山資料館でのんびりしているうちに快晴になったので,その後は気持よく走ることができた。中辺路に入ると道はとても快適だった。しかし,走っているうちに中辺路の後半でもう一度少しだけ雨に降られた。ちょっとした雨が通り過ぎた後という感じだったので,なんとかそのまま走ってしまった。それ以外は概ね天候もよく,暑いぐらいで楽しいツーリングだった。

 上富田町まで国道311号線を完走後は,岩代駅付近の紀勢本線の300キロポストを探してみた。これが意外と岩代駅から遠く,さがすのにしばらくかかってしまった。その後,南部まで引き返してから阪和道で御坊まで行き,御坊駅,紀伊内原駅,紀伊由良駅を見に行った。これで2年越しの紀勢本線の駅訪問も全駅制覇できた。いやぁ,長かった。それにしても亀山から和歌山って遠いなぁ。ある区間に鉄道を作るって大変やなぁ,と実感できた企画でした。紀伊由良駅の後は,広川インターから阪和道で帰った。阪和道も上限1000円割引の終了の影響なのか車はあまり多くなく,渋滞もなく快適に走って帰ることができた。よかったよかった。そういえば三木里や新鹿(あたしか)の海水浴場は人が全然いなかったけど,それっていいのかなぁ??すっごく気持ちのいい感じやったのになぁ。

 今回は概ね快調に走れた。ただ,途中にあった楯ヶ崎を観に行かなかったのだが,ネットで調べるととても迫力のある所みたい。ぜひ行ってみたいなぁ,と思った。また,今回は岩代駅から南部に戻るルートを走ったので,せっかくと思い梅干を買って帰った。やっぱり南紀の梅はおいしいねぇ。
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2011年6月17日金曜日

今度は海外

何が海外かって?それは音楽の旅の話。前回は日本の懐メロにはまったのだが,今回は洋楽で少しさまよってみた。

 きっかけの曲はカーリー・サイモン(Carly Simon)の You're So Vain という曲。邦題は「うつろな愛」だったらしい。なんかちょっと違うような気もするが…。とあるサイトでは,「あなたはとても自惚れ屋ね」という訳をつけていた。そっちの方がよさげな気がする。この曲はなかなかいい感じの曲である。一度ようつべ辺りで検索して聴いてみて欲しい。その曲を聴いた次はアルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」という曲を聴いた。南沙織か誰かがカバーしたとかしないとか,って話もどっかに書いてあったような気がするが,そりゃ,原作の方がいいでしょ。これまたいい曲なんだわ。ハイになる曲じゃないけど,なんか聞いていていいねぇ,っと思えるのよねぇ。

 次に聴いたのがプラターズ(The Platters)の煙が目にしみる(Smoke Gets In Your Eyes)。続いてThe Platters の Unchained Melody。さらにも一つ欠かせない Only You (The Platters) と聴いてみた。どれもプラターズの名作中の名作なので,安心して聞けたねぇ。今回はどれも聴かせる,って感じの名曲を聴いた。昔 FM で聴いていたジェットストリームでかかっていそうな曲ばかり。ジェットストリームと言えば城達也さんのナレーションがよかったなぁ。夜中にFMから聞こえる城達也さんの声はとても渋かったなぁ。

 で,続いては Sylvie Vartan の La Plus Belle Pour Aller Danser。カタカナで書くと,シルビーバルタンの「アイドルを探せ」という曲。これもどうも邦題はいまいちっぽい感じがするが…。シルビー・バルタンといえばフランスのアイドルだけど,未だに現役らしい。すごいなぁ。50年代にはもう第一線にいたんじゃなかったっけ?さらにシルビー・バルタンで IRRESISTIBLEMENT も聴いた。これは邦題が「あなたのとりこ」というらしい。フランス語ほとんど知らないから,邦題がどうなのかは知らないけど,「アイドルを探せ」も「あなたのとりこ」もどちらも好きな曲。こうみると節操無く好きな曲がいっぱいあるねぇ。

 シルビーを聴いていて見つけたのが,今回の最後,Louis Armstrong の What A Wonderful World。これも名曲やねぇ。Louis Armstrong といえば,サッチモと呼ばれたジャズトランペットの名演奏者であり,歌手,俳優など多彩だった黒人のアーティスト。戦時中にはすでに有名で,慰問に行ってもかなり人種差別を受けたらしいが,それでもそんなの関係なしにいい音楽を作り出していたみたい。1971年ぐらいに亡くなってるみたいなのに,未だに What A Wonderful World 聴くと新鮮なんだよねぇ。やっぱりいい曲はいつまで経ってもいいもんやねぇ

2011年6月14日火曜日

ハチのムサシがヨコハマでバカンス

 ネットのニュースで平田隆夫という人が亡くなったと出ていた。全然知らない人なのだが,その人といえば「ハチのムサシは死んだのさ」だ,と書いてあった。そういえばハチのムサシは死んだのさという曲があった記憶がある。何年前の曲だったんやろ?かすかに記憶にある。で,どんな曲だったのか,と思って検索してみた。なんとなく覚えていたがのだが,歌っていたのが女性で,デュエットだった,とかは全然覚えてなかった。当時はかなり売れた曲だったと思うが,あまりはっきり覚えていなかった。
 その曲を今回は「ようつべ」で聴いたのだが,横に他にも…とある中の多くの楽曲にひかかってしばらく懐メロにハマってしまった。

 まずは,青い三角定規の「太陽がくれた季節」。確か飛び出せ青春の主題歌だっけ??忘れてしまった。まだ中村雅俊が若かった頃のテレビ番組だったが。曲の印象としては,青い三角定規のボーカルのお姉さんの声はいい声してるなぁ,だった。曲自体はあまりに耳に残っていて陳腐に感じてしまったのは悲しい人間の性だろうか?
 その次にひっかかったのが赤い鳥の「翼をください」。実は赤い鳥というグループの存在を知らなかった…。そこから派生したハイ・ファイ・セットは聴いたことあったけど。曲も知っていたが,後年音楽の教科書に載ったのを知っていたぐらい。ちゃんと聴いてなかった。で,映像と一緒に見ると,これがしっかりしたバンドでやったいたみたい。ほんと知らなかった…。

 次に気になったのはジュリー。いくつか聴いたが,大昔に好きだったのは「危険なふたり」。しょっちゅう口ずさんでいたような記憶がある。他にも「時の過ぎゆくままに」もいい曲やねぇ。なんかジュリーのイメージが違って感じられてしまった。作詞は阿久悠らしい。やっぱりすごい人は違うねぇ。さらに「勝手にしやがれ」も聴いたが,「危険なふたり」や「時の過ぎゆくままに」ほどのインパクトがなかった。「勝手にしやがれ」はしっかりと記憶に残ってるからかもしれない。「時の過ぎゆくままに」は新鮮に感じてしまったからねぇ。そういえば映像で紅白の時のものだったと思うけど,バックでベースを弾く岸部一徳氏がよかったねぇ。ベースなのに目立っていた気がする…。

 その次に聴いたのは「岬めぐり」と「走れコウタロー」。どちらも山本コウタローが頭に浮かんだが,「走れコウタロー」はソルティー・シュガーというグループの曲らしい。「走れコウタロー」はコミックソングみたいだが,印象に残ってるなぁ。セリフが楽しい感じだった。歌詞を検索するといろいろ考えて作ったんやろなぁ,という感じがした。「岬めぐり」は悲しい内容なのになんか元気が出てくる感じが好きで,今でも好きな曲の一曲に入っている。初めて聴いた頃は,どこの岬に行こうと思ったのだろう?と思ったものだった。
 で,その流れで次に聴いたのはフォーククルセダーズの「悲しくてやりきれない」,「イムジン河」,「あの素晴らしい愛をもう一度」だった。帰って来たヨッパライは聴いてないかも…。今回聴いた曲は全て,帰って来たヨッパライとは正反対の渋い曲ばかりだったかも。ここでもなんか時代を感じたねぇ。

 さらに懐メロの旅は続き,次は「知床旅情」にたどり着いた。「知床旅情」といえば加藤登紀子の歌を思い浮かべるが作詞作曲は森繁久彌。私は基本的にオリジナルがいいと考える人なので,加藤登紀子が歌うのはどうなん?と思っていた。そこで,今回ようつべで捜すと森繁久彌氏の歌を聴くことができた。聴いた印象はというと…森繁氏の作詞作曲能力は高く買うけど,歌唱力は…。絶対に加藤登紀子の方がいいと思った。森繁氏の歌はうまくないというか,下手というか…。ちょっと残念だった。

 さらに聴き続け,次は「春夏秋冬」を聴いた。当然歌っていたのは泉谷!一度だけ西部講堂での泉谷しげるの歌を聴きにいったなぁ。あれはかなり印象的だった。なにせ,後ろからステージに向かって缶ビールが飛んできたし,「おいこらぁ,いずみやぁ~」という掛け声が普通にかかるステージだったから…。おまけに西部講堂ぼろかったし…。「おいこらぁ,いずみやぁ~」と「春夏秋冬」のギャプはすごかったなぁ。
 続いては,森田公一とトップギャランの「青春時代」,久保田早紀の「異邦人」。歌謡曲にもいい曲いっぱいあるねぇ。昔は他の人が作詞や作曲した楽曲を歌う「歌手」があまり好きじゃなかったなぁ。シンガーソングライターの方が自分で曲を作ってる分えらい,と思っていた。それでもすごく歌がうまい人ならいいんだけど,いまいちの人も多かったからねぇ…。そういえば,森田公一も久保田早紀も自分で曲を書いてた人達だった。

 歌がうまいと言って思い出すのは「ちあきなおみ」。あの人はほんとに歌がうまかったらしい。私が記憶にあるのは,当然「喝采」。確かレコード大賞受賞曲だったと思う(違ってたらごめんなさい)。子供ながらにうまいなぁ,と思った記憶がある。それもようつべで探して聞いてみた。やっぱり渋い曲やねぇ。さらに若かりし日のいしだあゆみの歌う「ブルーライトヨコハマ」も聴いてしまった。デビューの頃のいしだあゆみってすっごく可愛い人やったんやねぇ。
 で,そこまで行くとやっぱり行き着くのがザ・ピーナッツ(美空ひばりまでは辿りつかない世代なのでした…)。「恋のバカンス」,「恋のフーガ」,「ウナ・セラ・ディ東京」,「情熱の花」などなど。やっぱりハモるっていいよなぁ。「恋のフーガ」のドラム(正確にはティンパニか)がいい感じで入ってて新鮮な感じを与えてる。それにしても,古い映像で歌う時の踊りにかなり違和感を感じてしまった。というか,あの踊りはいらないんじゃないだろうか?と思ってしまった。それも時代なのかねぇ?そういえば,ザ・ピーナッツの知床旅情もネットにあった。やっぱり歌のウマさは加藤登紀子よりも上やねぇ。

2011年6月12日日曜日

ド○○の八百長「売り上げ半分に」 ????

 ネットニュースの記事のヘッドラインを見ていた時のこと。ふと目に入ったのが「ドイツの八百長売り上げ半分に」というタイトルだった。むむむ?ドイツで八百長?八百長でニュースになったのは韓国のKリーグじゃないのか?もしやドイツでもあったのか????
 と,思ったら,よく見ると「ドイツの八百屋売り上げ半分に: O104感染拡大」というのが正しいタイトルだった。確かにドイツを含むヨーロッパ諸国では,今O104とかいう出血性大腸菌(なんか正確じゃないような気がする…腸管出血性大腸菌O(オー)104が正しいらしい)の感染拡大で大騒ぎになっているみたいで,その原因として新芽野菜(もやし系か?)が疑われているらしい。少し前にはスペイン産のきゅうりが原因と名指しされたけど,疑いが晴れた,というのもニュースになっていた。そのあおりで八百屋さんで野菜が売れてない,ということだと思うのだが,何故か「八百屋」が「八百長」に見えてしまった。ぱっと見た感じ似てると思うのだがいかがだろうか?「やおや」と書くとひらがななので,それはそれで読みにくいかもしれないし…。ネットで調べると,どうやら八百長は八百屋の長兵衛という人物から来てるとか?そりゃ,似てて当たり前か。それにネットのニュースであまり八百屋ってお目にかからないような気がする。それで一瞬み間違えた,ということにしておこう(実は直前にも同じヘッドラインを見ていたのだが…)。今回のブログのタイトルで「ドイツ」を伏字にしておいたのは,念の為にみなさんに誤解を与えないための作戦である。本文の中なら,すぐに「実はね…」と出てくるが,タイトルに変なことを書くと,誤解を与えかねないからねぇ。まぁ,あくまで今回も私の勝手な思い込みなので,真面目に受け取らないでくださいな。

2011年6月10日金曜日

来ない,の三段活用??

 来ない,の三段活用とは…。きーひん,けーへん,こーへん,であるっ!!
というのは,あくまで私の独り言であるが…。この,きーひん,けーへん,こーへん,は何かと言うと,全て「来ない」を表している。また,いずれも関西圏で使われる言葉である。きーひん,は京都(町中)の言葉であり,けーへん,は大阪(船場や漫才)の言葉,こーへん,は神戸などの西寄りの言葉(京都,大阪以外という噂もあるが…),である。このきーひん,けーへん,こーへん,は単に「来ない」だけに留まらず,他の言葉遣いでの「語尾」にも現れている。京都では「〜してはる」や「〜しーひん」と言う。それが大阪になると「〜してへん」とか「何してんねん」となる。神戸ではどうなるかというと「〜しとう」や「何しとんねん」となる。つまり「い」の音か,「え」の音か,「お」の音か,の違いになる。それを端的に表したのが,きーひん,けーへん,こーへん,の「来ないの三段活用!!」となる。関西圏は大きさの割に地域によって言葉が大きく異なる。それはきっと歴史的なことが関係しているのではないかと思っている。平安時代以降,しばらくの間は日本の中心は京都であった。そのため,京都を中心として,同じような言葉が使われいてる,という話がある。このきーひん,けーへん,こーへん,もその辺りの歴史的な流れが創りだした物ではないだろうか???

2011年6月9日木曜日

布団は「着て」寝る

 時々,私の言葉遣いがおかしい,という人がいる。例えば,私は蚊に噛まれる,とよくいう。しかし,関東出身のやつに言わせると「蚊には刺される」ものらしい。関西では普通に蚊に噛まれる,蚊に食われる,という。ニュアンスとしては関西の言葉の方がよいと思う。なぜなら「刺される」というと「痛い」というイメージがあるが,蚊に食われても痛くはなく,痒くなるだけである。従って,痛いというイメージを持つ「刺される」よりは柔らかい表現の,食われるや噛まれるという方があってると思うからである。
 これ以外にもよく言われることがある。何かと言うと,私は布団を「着て」寝る人である。しかし,これまた関東出身の奴が言うには,布団は着ずに「かぶって」寝るものらしい。この問題は関西だから,という感じではなさそう。なぜそうなるのか?私の場合,「かぶる」という動詞は頭に何かをかぶる時に使う。帽子をかぶる,ヘルメットをかぶる,など。なので,布団をかぶる,というと,頭の上から布団をかぶってかくれんぼをする,というイメージになってしまう。ところが,寝る時には頭の上まで布団をかぶったりはしない。寒い冬でも普通は首から上は布団の外にある。どちらかというと「かぶる」よりは「着る」の方があっているように思う。他にも布団を「かける」,というのもあるが,「かける」だとどうしても他動詞というイメージがあり,自分の体にかける,というのはなんとなくいまいちな感じがする。誰かに布団をかける,ってのはいいのだが…。ネットで見る限り,昔は着物に綿を詰めたような着る形のふとんだったから,という話も見受けられる。実際のところはよくわからない。個人的には,なんとなく関東出身の奴の言葉にはイメージが足りない感じがする。言葉は文化なのでどういう表現をするかは人それぞれなのだが,もっとイメージを大切にして欲しいなぁ。

2011年6月8日水曜日

出身は?…関西ですっ!

 今回は少し趣を変えてみよう。
出身は?と聞かれると,大抵の人は都道府県ぐらいを答えると思うが,私の場合は「関西です」ぐらいしか言えない…。何故かって?それは,生まれたのは大阪府堺市なのだが,2歳の時に親父の転勤に伴って奈良に引っ越した。そのため堺にいた記憶も,影響も何もない。しかし,奈良にも小学校1年の夏休みまでしかいなかった。同じく転勤のために姫路に引っ越した。奈良の時の記憶は奈良公園によく連れて行ってもらったことや,あやめ池の遊園地に行った記憶ぐらいしかない。姫路ではそれなりの記憶があるが,それでもまだ外的な影響を受け易い小学生であり,言うほどその影響は残ってない。その後,小学校6年生の夏休みに神戸に引っ越した。そして高校を卒業するまで神戸にいた。そのため,言葉遣いや考え方など全て神戸の影響が一番色濃く残っている。従って,出身は?と聞かれると,神戸と言いたくなる。しかし,ほぼ中学・高校の期間しかいなかったので,出身というのもなぁ,となると,「出身は関西です」となってしまうのであった…。

2011年6月6日月曜日

R371を走る

 2011年6月4日に,再び国道371号線を走ってみた。まずは国道371号線を走破すべく,午前7時前に河内長野の本町交差点を出発して,南の端の串本を目指した。今回はGPSでルートを記録するのも目的だったので,盲腸区間は走らず,一気に串本を目指した。ルートや道路の様子は基本的に2010年5月に走った時とほぼ同じだった。ただ,しばらく荒天が多かったので,高野龍神スカイラインなどで一部杉の枯葉だらけの部分もあったが…。

 今回の出発点は河内長野の本町交差点。途中バイパスもあるが,まだ盲腸区間なので橋本までは主に旧道を走った。折角なのでルート図と合わせて記録したかったしね。河内長野から橋本まではいつものように余裕だった。橋本から高野山奥の院前までも,まぁまぁの感じだった。路面のアスファルトもそんなに悪くないし,落ち葉や石ころもほとんど落ちてなかったし。やっぱりみんなが普段から使う道は違うねぇ。変わったところというと,青少年旅行村の建物かその辺りを改良してるみたいだった。良も悪しくも他には特に変わった点はなかった。

 奥の院前の駐車場でトイレ休憩してから,さっさと次の高野龍神スカイライン区間に入った。高野龍神スカイラインは余裕〜,と思っていたら,ここしばらくの荒天のせいか,路面に杉の落ち葉がたっぷり落ちているところがあった。確か鶴姫の先ぐらいだったと思う。轍はましになっていたので,数日前に吹きだまったんだと思った。それ以外は特に問題なく進めた。意外だったのが護摩壇山が空いていたこと。少し時間が早かったからかなぁ?高野龍神スカイラインが終わると,龍神温泉から旧龍神役場のある龍神村西の集落まではいつものように至極快適な道だった。途中,国道425号線の分岐の所で,R425の工事のよる時間通行制限の看板があったので見てみた。そしたらガードマンのお兄さんがいろいろ説明してくれた。今回の工事で一番長いのは牛廻越の向こう側ということだった。日曜と祝日は休工するということだったけど,土曜日は工事をしてるらしい。工事関係者の方々はご苦労様です。

 龍神村西から中辺路までの第一分断区間(私が勝手にそう呼んでいる)は,改良工事が中断されているという話だったのだが,2011年1月にその区間をつなぐ工事をする予算がついた,という記事を読んでいたので,もしかしたらもう工事始まっているかなぁ?と期待していった。しかし,まだ工事は全然始まっていなかった。入札とかの手順がまだあるのかなぁ??その先の区間は大きな変更はなかったが,中辺路町小松原付近で少しだけ道が改良されてた。去年(2010年)走ったときに工事していた区間が完成していた。それ以外は去年と同じだった。龍神村側からのアクセス路となっている林道の最後の区間は相変わらずアスファルトがひどいままだった。

 去年(2010年)はこの辺り(中辺路)でお昼近かったのだが,今回はまだ昼までたっぷり時間があった。うまくいけば午後1時頃にはゴールできそうという感じがしてきた。とりあえず中辺路でガソリンを補給しておいてから,最後の区間に突入した。最後の区間と言っても,滝尻王子から合川ダムのダム湖を渡る三川大橋までと,三川大橋から古座川町平井,さらには串本までの区間,に分かれるが…。滝尻王子から三川大橋までの区間は,前半と中盤に狭路区間が残っている。どちらも酷道度は一級であり,それなりに走りごたえがあった。しかし,なんといってもR371と言えば,三川大橋から林道を挟んで古座川町平井へと抜ける区間でしょう。三川大橋から木守までの区間は酷道度は超一級であり,それなりの技量がないと走るだけでも辛そうな区間が続く。しかし,この道は地元の人の生活道路であり、普段から使っておられる地元の人はすごいなぁ,と感心してしまう。道の状態としては,全般に苔が多い感じがした。季節柄雨が多いためだと思っているが,もしかしたら年々苔が増えてたりする??他には,高野龍神スカイラインと同じく荒天のせいと思われる杉の落ち葉や枯れ枝が多く見られた。パンクなどの致命傷にはならないが,上に乗って滑ると怖いので,多少気を使う点であった。木守から先の林道木守平井線(玉の川林道)区間は,前半の峠まではまだよかったが,峠から先の下りは,路面も荒れて段差や窪みがあったし,杉の落ち葉や枯れ枝も多く,法面からの小石がいっぱい路面にあって,去年(2010年)よりも道が荒れた印象だった。おかげで去年よりも格段に走りにくかった。また,鮎の季節みたいで,車も多く,危なく事故りそうというのが数回あった。運良く何もなく過ごせたが,これまた走りにくい原因の一つでもあった。

 平井から先はこれまた例年通りの感じだった。変わった点と言えば,三尾川橋の先で工事中だったバイパスが完成していて,古いトンネルを含む旧道区間が通行止めになっていた。それ以外はここでも良も悪しくも昨年通りだった。そこでさっさと走ってゴールを目指した。結局ゴールには午後1時半頃着いた。昨年は午前6時頃出発して午後3時過ぎに着き,9時間以上かかったのだが,今年は6時間半ぐらいですんだ。一番の違いは盲腸区間を探査しなかったから,というのが効いていると思う。昨年はそれで時間を使い,古座川の一枚岩の道の駅でしばらく休憩してしまった。その休憩でも1時間ぐらい使ってしまったので,その辺りの差が2時間半〜3時間の差につながったんだと思う。また,一度走って見覚えがある道だと,意外と疲れずに走れた,というのも違う点かもしれない。いずれにせよ,無事走破出来てよかったよかった。

 R371の後は,折角なので,紀勢本線の駅訪問で行ってない駅を目指すことにしてみた。これまで白浜の一個和歌山よりの朝来駅までと,和歌山から南へ順にたどった先の湯浅の隣の広川ビーチ駅までを訪れている。後は紀伊田辺駅付近から御坊駅,由良駅付近であり,残り13駅まできている。今回は朝来駅の隣の紀伊新庄駅から順に辿り,道成寺駅までを訪れた。途中,停車場中心標を撮り直すために,周参見駅,紀伊日置駅に寄り,時刻表を撮ってなかった朝来駅に寄った。残りは御坊,紀伊内原駅,紀伊由良駅の3駅を残すだけとなった。これは国道425号線を走破する時についでに寄ればいいと思っている。次回チャンスがあれば,是非国道425号線と紀勢本線の駅訪問を完成させたいと思っている。
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2011年5月8日日曜日

制覇は近い?

 GWの終わりに紀勢本線の駅・第13弾として和歌山市付近に行ってみた。紀勢本線の駅の全駅制覇は半ば諦めていたのだが,この前四国に行った帰りにフェリーで和歌山に着いたので,なんとなく和歌山市付近にも親しみが湧いた。そこで,この機会を逃がす手はないと思い,紀勢本線の駅全駅制覇を目指すべく,和歌山市駅側から16の駅に行ってみた。96ある紀勢本線の駅のうち,残るは13駅となった。1回に10箇所ぐらい行けるので,あと1〜2回行けば全部の駅にいけそう。紀勢本線の全駅制覇もいよいよ夢ではなくなってきたぞ。

 今回は阪和道で和歌山まで行き,和歌山駅,紀和駅,和歌山市駅を見た。そこから宮前駅,紀三井寺駅と順に進み,最終的に広川ビーチ駅まで行った。和歌山駅に着いたのが午前6時半頃だったのだが,広川ビーチ駅を見終わったら12時半頃だった。もっと早く行けるかと思っていたが,結構な距離を走ったみたいで意外と時間がかかってしまった。黒江駅や冷水浦駅,紀伊宮原駅などで迷って時間がかかった,というのもあると思うが…。いずれにせよ,当初の目標の広川ビーチ駅まで行けたのでよしとしよう。

 帰りは海南湯浅道路から阪和道を使ったが,海南湯浅道路の有田インター付近で渋滞にはまった。なんで渋滞してるのかと思ったら,湯浅方面からの合流や,有田インターからの流入が多いのと,有田インターから海南インターまでの区間がまだ1車線だったからみたい。2011年5月21日から大阪向きも有田インター~海南インター間が2車線になるので(南向きはすでに有田インターまで2車線)この渋滞もなくなるかもしれない。海南インターから先は渋滞はなく,快適に帰ることができた。

 今回の駅は有人駅が多く,真面目に入場券を買ったので,それだけで2000円ぐらいかかってしまった…。東の方はほとんど無人駅だったから,その点はよかったなぁ…。でも,入場料を払っていると気兼ねなくうろつけるから,それはそれでいいんだけどね。とりあえず残りは13駅。頑張ろう,おー!!(もっと写真を見たい人はMatsup's Motorcycle Siteを見てくださいな)

2011年5月7日土曜日

四国カルストを走る

 R439を走った次の日に四国カルストを走ってから帰った。その日は快晴ではなかったが,雨は夜まで降らないという予報だったので,四国カルストを走ろうと考えた。四国カルストまでは国道441号線で四万十川沿いに北上し,国道381号線と国道320号線,国道197号線を走って,四国カルストの西の端に上がる緑資源機構の作った林道で四国カルストに向かい,四国カルストを西から東へと横断し,天狗高原から同じく緑資源機構の林道で国道197号線に戻るルートとした。その後は,須崎から高知道を使って楽に帰る作戦にしてみた。

 四万十川沿いは,四万十市から川の左岸(河口からみると右側)の道を走ろうと思ったが,入り口がわからなかった。そこで仕方なく右岸をさかのぼった。右岸の道は地道で,とても分かりにくかった。それでもなんとか佐田の沈下橋までたどり着いた。折角なので佐田の沈下橋をバイクで渡ってみた。細くてガードレールなどはないので,結構ドキドキだった。そこから川の左岸の道をさかのぼり,国道441号線で北に向かった。途中いくつかの沈下橋を写真に撮っておいた。引田の沈下橋は佐田の沈下橋よりも細く,渡ると迫力満点だった。その後,国道441号線の後,宇和島に向かう国道381号線,さらに梼原に向かう国道320号線,国道197号線と走った。

 国道320号線の途中,道の駅・日吉夢産地で休憩した。四万十市からそこそこの距離を走っていたところにちょうど道の駅があったので。そこで地元のライダーの人とひとしきり話をした。とても人懐っこい人だった。道の駅から国道197号線で高研山トンネルの手前まで行き,そこから緑資源幹線林道・東津野・城川線で四国カルストに上がった。幹線林道は,2車線(片側一車線)が続くのだが,路面がうねっていたり,段差がある部分があり,少し走りにくかった。そこで,北九州ナンバーの隼のおじさんと一緒に楽しく走った。四国カルストの西の端の大野ヶ原まで林道で行き,そこから四国カルストを縦断する県道383号線を走り,四国カルストの東端の天狗高原まで行った。途中地芳峠や姫鶴平などで写真を撮った。当日は風が強く,カルストの上ではバイクが振られて怖いぐらいだった。

 四国カルストから下る時も緑資源幹線林道を走った。そこから国道197号線に出て,須崎に向かった。須崎でガソリンを入れ,道の駅・かわうその里すさきで休憩した。後は高速にのり,ひたすら帰ることにした。帰りはとりあえず走ったことがない徳島道を走って徳島に向かうことにし,その先は気分次第で南海フェリーで和歌山に渡るか,神戸淡路鳴門道で走って帰ろうと思った。高知道は高知までは対面交通だったが,高知から川之江東ジャンクションまでは4車線(片側2車線)で走りやすかった。徳島道は全線で対面通行だったが,まあまあのペースで走れたので言うほどは疲れなかった。

徳島からの帰りは最終的には南海フェリーを選択した。それは,徳島道を走っている時に風が強くてかなりバイクが振られたので,もしかしたら鳴門大橋や明石海峡大橋でバイクだけ通行止めかもしれないと思ったのと, 2時間でも横になって休憩したいと思ったからというのが理由。他にも南海フェリーに乗ったことがない,というのもあったが…。南海フェリーの乗り場は徳島市の中心部から東に行った辺りにある。バイクは予約がないみたいで,早い者順みたいというのが途中で休憩したコンビニでわかったので,急いでフェリー乗り場に向かった。フェリー乗り場では既に20台ぐらいのバイクが並んでいた。乗れるのかどうかちょっと心配だったが,結局はまあまあ余裕で乗れた。フェリーでは2等船室でごろ寝をして過ごした。熟睡はできなかったが,まあまあ休憩できたと思う。今回は風が強く,波が高くて結構船が揺れたが,それなりに休憩できたみたいで,その後は余裕で帰れた。和歌山についてから,ガソリンを補給し,吉野家でお腹も補給してから阪和道で帰った。(もっと写真を見たい人はMatsup's Motorcycle Siteを見てくださいな)