2008年11月12日水曜日

そういえば

そういえば,今日は死んだ兄貴の命日だった。兄貴は私より2歳半年上で,学年で言うと3年上だった。小さい頃はいつも兄の後ばかり追いかけるような子供だったらしい。その兄が脳の病気(脳腫瘍かな?実はよく知らない)にかかったのが,私が小学校3年生の終わりぐらい。兄が小学校の卒業を控えた頃のことだった。その当時は姫路に住んでいた。最初はすぐに退院できるかな?と思っていたが,兄が中学になっても入院したままで,病院内にあった特別クラスみたいなのに入っていたように思う。その後,手術をするために神戸にある県立子供病院に入院していた時期もあった。日曜日に車で姫路から神戸までよく見舞いに行かされた。でも,子供病院は健康な子供は病室には入れてもらえない。入院している子供がうらやましがるからだ。だから,病院に行くのはとても嫌だった。当時は車酔いしてた(今からは想像できない)というのもあるが。そこでよく食べていたカップヌードルはトラウマになって,今でもむしょうに食べたくなる時がある。私が小学校6年生の時に一度危篤になったことがあった。その時,私は夕方友達の家に遊びに行っていて,ルパン3世(最初の作品。ジャケットが水色だった)の再放送を見ていた。その後,家に帰ると兄が危篤だからすぐに病院に来い(その時は姫路の日赤病院に戻っていたと思う)と言われて行った記憶がある。探してもすぐに見つからなかったと怒られた記憶がある。6年生の子供に,事前にある程度説明せずに家にいとけ,なんて無理だよなぁ,と当時ぼんやりと思った記憶がある。その後,父の転勤のために神戸に引越した。私が6年生の夏休みの終わりだった。あの時はさびしかったなぁ。だって,もうすぐ卒業なのに,最後の2学期だけ他の小学校に行かないといけなかったから。それが神戸の東灘区にある小学校で,その辺りは3月1日は中学受験でクラスの7~8割が休む,というぐらいの学校だった。あの辺りはみんなそうだったかもしれない。たまたま風邪で3月1日に休んで,友達に昨日は人が少なくて寂しかったでぇ,と言われた記憶がある。私は中学を受験したりしなかったので,そのまま公立の中学に行った。住吉中学という,神戸でも指折りの不良がいっぱいいる中学だった。でも,最初からいるとおでこに剃り込みが入ったいかつい奴もみんな友達だった。何故かそこで委員長と言う役をやらされたが,率先して先生に怒られるようなことをしていた記憶がある。

 兄貴が死んだのは中学1年の秋だった。部活動から帰ってきたら家の周りがばたばたしてた。兄貴が死んだと聞いたのは誰からだっただろう?近所の人だったような気がする。死んだ兄貴には申し訳ないが,その時は兄貴が死んでほっとした。何故だろう?それは兄が治る見込みがほとんどない,というのを聞いていて,かつ,看護のために両親が代わる代わる病院に泊まりこんでいたからだと思っている。病院に泊り込むと親は家にいれない。だからまだ小さかった妹は祖母の家に預けられていた。親が疲れているのもなんとなく感じていた。それでも治る見込みがあればいいけど,兄は治療のせいか薬のせいかはわからないが,髪の毛は抜け,ぶくぶくに太ってしまい,小さい頃追いかけた兄とは似ても似つかなくなっていた。さらにしゃべることもできず,植物人間のような状態だった。そんな兄を見るのは嫌だった。でも積極的に死んで欲しいとは思っていなかった(と思う。あまり覚えていない)。そりゃ,元気になってくれるならなって欲しいと思っていた(と思ってる)。でも,それはどうも望み薄で,神戸に行ってからも何度か危篤だと言う話を聞かされていた。なんとなくだが着実に死に向かっているように感じた。兄も苦しんでいるように感じてた。だから,死んだ,と聞いた時,ほっとしたのだと思う。でも,ほっとしたと言っても,普通のほっとした,例えば,人前に立たないといけなくて緊張してたのが発表が終わってほっとした,というのとは全然違っていた。何か大きな時代が一つ終わった,という感じだった。

 その後,葬式の準備などですごくばたばたしていた。狭い社宅だったのだが,めちゃくちゃ狭い~と感じた記憶がある。親父はがんばって広い家に住もうと思って,神戸の西の方に家を建てていたのだが,残念ながら間に合わなかった。棺おけに花を入れたのだが,その時見た兄貴の顔は血の気が引いて,もの,という感じだった。死んだらこんな風になってしまうのか,と思った。その時はさすがに涙がいっぱい出てきた。あの時は火葬場に連れて行ってもらった記憶がない。連れて行くだけは連れて行ってもらったのかもしれないが記憶にない。兄の後で,祖母と祖父二人が亡くなったが,その時には火葬場まで行き,後で骨を集めて骨壷に入れた記憶があるが,兄の時はどうだったのだろう?忘れてしまった。葬式が済んでから,東灘の社宅から西区にある家に引越しをした。その後,毎年のように秋は法事だった。正座が不得意で,法事は辛かった。椅子でできればもっとよかったのになぁ。兄の遺骨は祖父母の立てた墓と親が立てた墓に入れてある(はず)。そういえば最近全然お参りに行ってないなぁ。今年はいけるかな??

 何年かして神戸の家は引き払って親は芦屋浜に引っ越した。前の家の辺りは遠くから見ると神戸淡路鳴門道が近くを走り,住宅地が延々と広がっているようだった。見たのは神戸淡路鳴門道を走りながらだったのだが。私は中学の残りの2年ちょっとと高校の間と大学に入ってしばらくの間住んでいたが,考えてみると住んでいたのは7年ほどだけだったことになる。もっと長く居たように思っていた。うーん,時間の尺度が狂ってきたなぁ。さすがに歳をとったかなぁ?????

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